第16話

 いや、そんな力強く言われてもなぁ。荷物持ちって労働じゃねぇか、給料もでないのに。


 うんうんめんどくさがっていると肩に手を置かれる。

 後ろを振り返れば先ほど白帆に話しかけに行った同僚。


「行けよ。後のことは任せて、な?」


 少年漫画かよ。


「ほらほらそう言ってもらってますし〜」


 なんだこの連携プレーは。

 後を任せるもなにも、仕事は残ってないんだって。


 ため息をつきながら部屋の外へ出る。後を着いてくる彼女を疎ましく思いながらも、丁寧に用意された落とし穴に嵌ってしまったのだから仕方がない。


「ほら帰る用意して来いよ」


「行ってくれるんですか!?」


 弾けたように彼女が笑う。最近この顔をよく見るような。

 窓際を歩く俺たちを西陽が突き刺すように照らす。

 

 夏とはいえ少しずつ陽が傾いてきた。こんな日は早く帰りたい。


「お前が来いって言ったんだろうが」


「でもほんとに来てくれるとは思わなかったんですって」


「行かなくていいなら今からでも帰るが」


「だめでーす、もう言質とったので!」


 彼女は企画部屋にささっと入るとものの数十秒で再び現れた。

 奥からは「お疲れ様〜」や「行ってらっしゃい」やら「がんばれ」と声が聞こえる。


 がんばれってなんだ。なんかやばいものでも買うのか……?


 小さな鞄を握りしめた彼女はにこっと笑うとこちらを見上げる。


「それじゃあせんぱい、いきましょっか!」


 連れられるがまま後ろをついて行く。今日はクール系なのか、少し高めのヒールにベージュのパンツスーツ、セットアップなのか同じ色のジャケットを着ている。


 夕方のカラフルなビジネス街を一緒に歩くにはあまりに不相応。

 うーん、自分の顔があと少しでもイケメンに寄っていればな。


 そんな劣等感もいざ知らず、彼女はこちらを振り返る。


「どうしたんですか先輩、そんなに私のこと見て。好きになっちゃいました?」


「安心しろ、好きになっちゃってないから。普段私服なのに珍しいなと」


 彼女が驚いた顔をしたのも一瞬、すぐにいつもの笑顔に戻る。


「へぇ〜〜私の服、覚えてるんだぁ」


 整った頤に手を当ててうんうん頷いている。なんか腹立つんだよなぁあれ。


「私も先輩の服覚えてますよ。見せてくれるのは寝巻きとスーツばっかりですけど」


「逆に私服を見せるシチュエーションが思い浮かばんわ」


「そりゃあもちろん、ねぇ?」


 ふわふわと手の上で踊らされている。

 俺がペースの主導権を握る日は来るのだろうか。


「どうですか、今日の私は」


 彼女はくるっとターンしてみせる。前のボタンを止めていないジャケットがスカートのようにふわっと膨らんだ。


「生意気言う割に仕事できそうな服で腹立つ」


 本音8割、気恥しさ2割。


 ぷくっと頬を膨らませた白帆は、髪を耳にかけて近づいてきた。

 白くてきめ細やかな肌が目の前に迫る。


 俺の肩に手を置くと背伸びして耳元でささやく。


「でも本当は?」


 彼女の髪が頬を撫でる。香水なのかは分からないが、甘い匂いが鼻いっぱいに広がって、理性を奪っていく。

 残った良識をかき集めてなんとか彼女から身体を離す。


 無言で足を進める。本当は……か。

 歩く速度は先ほどよりもゆっくり。


 後ろを振り返ると思っていたよりも近くに顔が。


「似合ってるよ」


 彼女以外に聞かれる心配なんて少しもないのに、小さな声で俺は呟く。


 目に差す夕陽が眩しくて、へへっと声を上げた彼女の顔は見えなかった。

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