第14話
金曜日。仕事から帰宅した俺はゆっくりシャワーを浴びてベランダへ向かう。
いつにも増して勇み足なのは、来月の出張についてあいつに聞くためだ。
カラカラカラ。軽い音と共にベランダへ出る。
彼女はまだ来ていないらしい。
そういえば定時過ぎに見かけた時には男性社員に絡まれていたっけ。
営業も企画もお盛んなこった。総務なんて静かなもんだぞ……まぁやらかすと課長から特大の雷が落ちるからだけど。
異動先不人気部署ナンバーワンは伊達じゃない。
先に始めておこうと水色の缶に手をかける。今日のお供はジンソーダ。
しゅわしゅわの口当たりを思い浮かべるだけで、目の覚めるような幸せに包まれる。
カシュっとプルタブを鳴らす。
ふと見上げた空には夏の大三角、あぁ、平穏な日々に乾杯だ。
ひとり星と戯れていると目の前の窓が開く。
「あーー!!だめなんだ!!先に始めちゃうなんて!」
さっきの平穏な日々って言葉は取り消しだ。元凶が来やがった。
帰ってきたばかりなのか、他所行きの格好で慌ててビール缶を取り出す。
この家で彼女を見る時はいつも部屋着だからなんだか新鮮だな。
「も〜〜!ちょっと遅くなるって会社でチャット送ったじゃないですか」
「悪い、見てなかった。お前それよりやりやがったな、おい!」
ご近所に迷惑にならないよう、小さめの声で苦言を呈する。
「そんなつまらない話は乾杯してからですよ、ほれほれ」
じっとりと汗ばんだ腕に目を奪われる。
そのまま白魚のような指先まで視線を流すと、空に浮かぶ月と同じ色の缶が揺れていた。
「乾杯、せんぱい」
慈しむようにふにゃっと下がった眉尻で彼女は言葉を紡ぐ。
カチカチに凍った怒りの感情も、そのじんわりとしま声に溶かされていく。
「あぁ、乾杯」
マンション間で缶が重なった。
想像していた通りの味、キリッとした口当たりにしゅわしゅわの強炭酸、飲み込むと喉を泡が刺激する。
夏にふさわしい清涼感、ジンの苦味が脳を起こす。
「それで?出張うんぬんはどういうことだよ」
「そのまんまですよ、人が足りないので着いてきてください〜」
当然だとでも言うように、白帆はふんっと鼻を鳴らした。
「でも先輩、断ってないでしょう?」
「ノーコメントで。」
「いいえ先輩は断らないはずです。風邪の時に色々届けたのを恩に感じてるから」
思っていたより見透かされていたことへの不快感はない。
策に嵌ってしまった俺が悪いのだろう。それにしても……はぁ……やられたな。その間の仕事はどうすんだよ。
項垂れているとちょんちょん、と頭をつつかれる。
顔を上げると思ったよりも近くに彼女の顔があった。
「「あっ」」
どちらともなく声を上げる。
漂ったら甘い匂いは香水かそれとも。
「すまん、近かったな」
「いえ、こちらこそ……」
もやっとした雰囲気をかき消すように水色の缶を飲み干す。
金曜日の夜は自由だ、実質休みの0日目だから。
白帆は窓の奥に消えてごそごそと手元を動かすと、追加の缶を俺に手渡した。
「じゃあうじうじしてる先輩のためにこのビールを進呈します!だから、ね?」
かわいい後輩の真っ直ぐな誘いに乗るために、今の俺には理由が必要らしい。
それを含めて用意周到な、気を遣いがちな彼女を苦々しく思いながらも、俺は350mlのあざとさを受け取った。
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