第30話 湖
夏の烈日に対抗するかのように、水分の含んだ涼しい風が吹いた。
ビュン、と音を立てる強い風は微かに潮の香りがする。
俺たちは神社を後にして、麓からまたバスに乗り数十分、今度は湖のほとりに来ていた。
さっきの神社からも見えていた湖だ。
山の上からはあまりにもでかいので海かと思っていたが、実は海に繋がっている湖だったらしい。
海と湖の区別ははっきりせずまちまちらしいから、別に深く考えないでよさそうだが。
「わぁ……こんな大きいんですね」
「そうだなぁ」
「こんな船とか乗るの、初めてかも……」
「俺も初めてだなぁ……」
目の前の水上には、どっしりと大きな遊覧船が鎮座していた。
想像以上の大きさの遊覧船を見上げながら、何気ない会話をする。
今回の旅行の第二の目的地は、この遊覧船でのクルージングだ。
約一時間ほど、自然豊かな湖の周りをぐるっと一周するらしい。
とりあえずここもこの地で有名な、定番の観光スポットだ。
普段はなかなか船に乗ることなんてないから、旅行っぽい非日常感が心をくすぐる。
「……」
「……」
――俺が軽くテンションが上がりながら遊覧船を眺めていると、有澄さんと鞠亜が俺に背を向け何やらコソコソと話し合っていた。
「な、なぁ――」
「行きましょう、一之進先輩!」
「行こう……一之進君」
俺が話しかけようとすると、二人は言葉を遮るように話を被せてくる。
「……お、おう」
何かを隠されているような疎外感を感じながら、俺たちは遊覧船に乗り込んだ。
〇
船に乗りしばらくすると、足元が揺らつきだした。
ゆっくりと、船が前進しているのだろう。
俺たちは船が進むまで、入ってすぐの客席に座っていた。
「……あの、一之進君」
「うん? どうした、有澄さん」
「私、ちょっと疲れちゃったから座って休んでるね……鞠亜と二人で船の中
「……おう、そうか」
広い船内には展望デッキや売店などがあり、後で行ってみようということになっていた。
運動とかしていない有澄さんが慣れない靴で結構歩いていたので、大分疲れているのだろうが……。
「一之進先輩、行きましょう!」
鞠亜が笑顔で言う。
その笑顔に、俺は苦笑いで返すことしかできなかった。
たしかに有澄さんは疲れているのだろうが……神社での鞠亜の行動を顧みても、違和感しかない。
確実に何か仕組まれている。
そう、言わざる負えないと思う。
これは姉妹で話し合ってのことなのだろうけど……、本当にこれでいいのだろうか。
「いや、三人で――」
「――一之進先輩は何も気にしないでいいんです! ほら、一緒に行きましょう!」
俺が一言言おうとした時、鞠亜が言葉を被せて腕を引いてきた。
「――ちょ、ちょっと待っ」
鞠亜が力を強め、半ば強引に腕を引っ張ってくる。
鞠亜、有澄さんと違って意外と力強いな!
鞠亜に腕を引かれながら姉妹間の能力の相違に驚きつつ、俺の目には椅子に座って少し寂しそうな表情を浮かべる有澄さんが目に映っていた。
〇
「わぁ、いい景色ですね!」
「そうだな」
姉妹のことに関しては口を割ってくれそうにないので、とりあえず船内を周ることにした俺と鞠亜は、船の最上部にある展望デッキに来ていた。
正面に広がるエメラルドグリーンの湖。横を見ると
まるで異世界にいるかのような神秘的な光景だ。
「なんかずっと居れそうだな……」
「そうですね……すごい心地いいです」
温かい太陽の光とさっきから吹いている強い風がいい塩梅に中和して、とても気持ちいい。
地元ではなかなか感じられないだろう美しい景色。
「お姉ちゃんも来ればよかったのになぁ……」
鞠亜が、小さな声でポツリと呟いた。
横を見ると――鞠亜はさっき有澄さんが浮かべていたのと同じ、寂しそうな顔をしていた。
「……鞠亜、なんで神社で先に行っちゃったんだ?」
「それは……秘密です。一之進先輩はそんなこと気にしないでわたしのことを見てくれればいいんですよ」
鞠亜はやや寂しそうな面影を残しながら、真っ直ぐそんなことを言ってくる。
「わたし、この旅行でたくさん楽しい思い出を作りたいと思ってるんです。一之進先輩は何も気にせず楽しんでください!」
「それは俺もそう思ってるけど……有澄さんのことが気になるんだろ?」
「……一之進先輩と一緒に旅行に来れるのは今回だけなんです。それに――」
鞠亜が何かを言おうとした瞬間――、
神の悪戯は思いかけずにやって来る。
俺の後ろから――ビュン、と大きな風が吹いた。
突き刺すような
何かを言おうとした鞠亜のミニスカートをふわっ、とまくり上げた。
「きゃっ!! ~~~っ!」
カーゴのミニスカートから一瞬だけ覗いた白の布はまごうことなき輝きを放っていたようで――じゃなくて!
「見てない! 見てないぞ!」
俺は咄嗟に言い訳をするが、鞠亜はその場で後ろを向いてうずくまってしまった。
流石に見てないは無理があるか……?
「……ごめん、やっぱちょっとしか見てないぞ」
「み、見てるじゃないですか!」
鞠亜はうずくまった態勢のまま赤い顔を向けて言う。
やっぱり見てない
「ごめん、本当にごめん!」
とにかく謝るしかない! 謝る以外にこの場をおさめる方法ってないよね!?
平謝りの俺に、鞠亜はゆっくりと立ち上がって一言。
「でも……一之進先輩ならいいですよ」
紅潮した顔からの上目遣いが炸裂した。
「――っ!」
……か、かわいいっ!
いつもは平気でくっついてくる鞠亜だが、突然パンツを見られると余裕がなくなって。でも焦りながらもそんなことを言ってきて……!
俺はなんて返せばいいのかも分からず、照れ臭くなって鞠亜から目を逸らす。
「……えへへ、照れてるんですか? 一之進先輩」
鞠亜は俺の態度を見て少し余裕を取り戻したのか、俺の逸らした目線に入ってくる。
まるで小悪魔のような笑顔を浮かべて。
「……照れてるよ」
「えっ! そ、そうですか……!」
……実際、二人ともに余裕はなかったみたいです。
風は、少し甘酸っぱい匂いがした。
〇
「ありがとうございます、一之進先輩!」
「うん、気にしないでくれ」
展望デッキで色々あったのち、照れくささを紛らわすように船の中を巡った。
ぐるっと一周船の中を歩いた後、船内に食べ物を売っている屋台がでている所があったので、そこでベビーカステラを買って外のベンチに座り休憩をすることにした。
……よっぽど恥ずかしかったんだな。
「一之進先輩、食べましょう!」
鞠亜は黄色い小袋に入ったベビーカステラを持って言う。
「っていうか鞠亜、ベビーカステラにしたんだな。もっと色々あったのに」
いや、ベビーカステラが悪いって言っているわけではないけど、割と渋めのチョイスじゃん。
「わたしベビーカステラ好きなんですよー。はい、一之進先輩」
そう言って、鞠亜は真ん丸のベビーカステラを一つ掴んで俺の口に近付けてきた。
「お、おう」
そのまま、鞠亜の手から口でベビーカステラを受け取る。
平静を装うので精一杯で、味なんて全く感じなかった。
噛み方を思い出しながらベビーカステラを咀嚼する。
ベビーカステラのせいか緊張のせいか分からないが、口の中はパサパサだった。
「……一之進先輩、お姉ちゃんとずっと手を繋いでましたよね」
「見てたのか……? あれは有澄さんが足を痛めてたからで――」
「別にいいですよ。手を繋ぐくらいなんて」
鞠亜がその言った瞬間――、右頬に柔らかいものが触れた。
「え……、ま、鞠亜っ!?」
赤い顔ながら真っ直ぐこちらを見つめる鞠亜。
「わたしは……一之進先輩が好きでたまらないです。大好きなんです」
「っ……!」
「お姉ちゃんと一緒にいると、嫉妬しちゃいます。お姉ちゃんよりも……わたしを見てほしいんです」
ベンチに座って向き合う二人。
いつの間にか水面から吹く風なんて全く気にならなくなっていた。
低い高さから照らす太陽の光がどこかロマンチックなムードを演出する。
徐々に正面にある鞠亜の顔が近づいている気がした。
何も聞こえない空間に、心臓の音のみが響く。
――。
『――まもなく船は到着します。本日はご乗車ありがとうございました』
その時、大音量の船内アナウンスが鳴り渡った。
向き合った俺と鞠亜はどこかタイミングを失ったかのように動きを止める。まるで何かから取り残されたかのように。
二人の間にぎこちない空気が流れた――。
「ま、鞠亜……!」
そこに、凛とした声が割り込む。
「……お姉ちゃん」
そこには、少し寂しそうな顔を浮かべてこちらに視線を投げる有澄がいた。
「……鞠亜だって抜け駆けしようとしてるじゃない」
「……っ!」
「いつも鞠亜が一之進君といい雰囲気の時に私が邪魔しちゃってた事が多かったから我慢してたけど……もう限界、ここまでよ……!」
「お、お姉ちゃんが先に抜け駆けした癖に!」
「で、でも! 私は手を繋いだだけなのに、鞠亜は……!」
「別に、手を繋ぐのもキスをするのも一緒でしょ?」
「そ、そんなことない……のよね?」
多分一緒ではない気がします!
「もう……。お姉ちゃんと来てなければいい感じだったのに」
「なっ……! わ、私だって!」
キッと睨み合う二人。
「ちょっと! これ以上はやめろって」
せっかく一緒に来たんだから、そんなことは言ってはいけないのではないだろうか。
俺が二人の間に入ると、複雑そうな表情で下を向く二人。
先程までもピリピリしていたが……今日一のピリピリした空気が三人を包む。
……今回の旅行は、なかなか上手くいかないなぁ。
でも……すべての原因は俺なんだ。
全ては二人を選べずに中途半端な態度を取り続けている俺が悪い。
俺がなんとかしなくては……。
潮風が胸に突き刺さるように感じた。
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