第29話 縁結び
夏らしく眩しい輝きを放つ太陽のもと。
「……さて、上るか」
「……うん」
見上げるには高すぎる神社への階段が、目の前に
ふと横を見ると、有澄さんは生気のない顔をしていた。ちゃんと嫌そうだ。
「有澄さん、俺が上まで行って鞠亜を連れて帰って来るから、ここで待ってても大丈夫だよ」
そんな死んだ顔をしているのに、無理強いはできない。
「い、いやっ……ちょっと歩きにくいだけだから多分平気だよ……!」
「でも……本当に大丈夫?」
「う、うん……そ、その、このまま一緒に登ってくれたら安心かな……!」
有澄さんが先程転びそうになった時に俺が握っていて、そのままにしていた右手を見ながら言った。
小さくて柔らかい、有澄さんの真っ白な手が俺の手の中に収まっている……。
――。
なんか普通に有澄さんの手を握っていたけど、意識してしまった瞬間ドキドキしてきた!
「わ、わかった! そうだよな! 危ないからな!」
俺は何かを紛らわすように言う。
「う、うん! あ、ありがとう!」
有澄さんも同じようなことを思っていたのだろうか、何かを慌てて誤魔化すように言った。
「じゃ、じゃあ行こうか!」
「そ、そうだね!」
二人の間で共通認識として、何かが隠蔽されたようだ。
〇
「有澄さん、大丈夫?」
「う、うん」
有澄さんのペースに合わせてゆっくり石段を上ること約十分。
やはり靴が合っていないのだろう、少し歩きにくそうな有澄さんはだいぶ疲れているようだった。
「そろそろあそこのベンチがあるところで休憩するか?」
真っ直ぐに続く石段の踊り場になっている所に、ちょうど二人が座れるくらいのベンチがある。
「う、うん……気を使わせちゃってごめんね」
「いや、俺も結構疲れてきてちょうど休みたかったし、全然大丈夫だよ!」
実際本当に疲れてたし、暑い気温も相俟ってインドア派の有澄さんはだいぶ疲労がたまっているだろう。
俺と有澄さんは並んでベンチに座った。
ちょうど木陰になっている場所にベンチが設置されていたので、ありがたいほど涼しい。
俺はさっき駅前のコンビニで買った緑茶を一口飲む。
ふと横を見ると、有澄さんは自分のペットボトルを見つめながら不安そうな顔を浮かべていた。
声には出ていなかったが、口元は微かに「鞠亜……」という形に動いているように見えた。
「鞠亜が心配なのか?」
「えっ! ……ま、まあ」
有澄さんはぎこちない笑みを浮かべて言う。
「鞠亜だから多分大丈夫だと思うけど……ちょっとだけ心配かな……」
「……どうして鞠亜は先に行っちゃったんだ?」
聞いていいのか分からなかったが、聞いてみた。
すると、有澄さんは首を振って、
「うんうん、一之進君は気にしなくていいの……私達二人の問題だから、大丈夫」
と言う。
「そんな……」
有澄さんの不安そうな様子を見て、このままでいいのかと思ってしまう。
きっと、二人は喧嘩をしたい訳ではないはずだ。
でも、お互いに譲れないものがあって、ちょっとだけ気に食わなくて、ついムキになってしまって……。
このままじゃいけない気がするが――。
何か気の利いた言葉を探していたその瞬間――、
――パタッ
「わっ!」
突然、上から何かが落ちてくる。
「び、びっくりした……」
「あぁ……まあ山の中だからな」
俺たちの目の前に落ちてきたのは、一匹の蝉だった。
ひっくり返って、白い胴体を露見させている。恐らくもう死んでしまっているだろう。
きっと、一週間の間思う存分鳴いたのだ。
夏の儚い光景の一幕である。
道の真ん中にいては誰かに踏まれてしまうかもしれないので、せめてもの供養だ。
俺はひっくり返った蝉を道の端に追いやろうとする。
するとその瞬間――、
『ビーーーー』
これは『セミファイナル』とか言うんだっけ。
俺が近づいた瞬間、蝉は最後の力を振り絞るかのように激しく暴れだした。
バタバタ、とのたうち回る蝉は、有澄さんの方へ近づく。
「キャーーー!」
トラップとも言えるセミファイナルに、有澄さんは甲高い悲鳴をあげパニック状態になる。
そういえば有澄さん、虫とかめっちゃ苦手だったよな……。
有澄さんが一目散でこちらに飛び込んできた。
俺は咄嗟に有澄さんを受け止める。
爽やかな香りが鼻腔をくすぐりながら、ほのかに有澄さんの体温を感じる。
俺は軽く有澄さんの肩を掴んで、蝉が暴れているのと反対側の道の端に誘導した。
細身だがしっかり柔らかい有澄さんの身体が、俺の胸の中に収まっている。
「うぅ……」
怯えた顔の有澄さんは、蝉が動かなくなるまで俺の服を掴んで密着していた。
……意識するなと言われても、無理があります。
「――あっ!」
蝉が動きを止め少し落ち着いた後、有澄さんは慌てて俺から離れる。
「わ、あ、ご、ごめん!」
「い、いや! これは事故だったし……!」
取り乱した様子の有澄さん。
俺もあたふたしながら、必死に冷静を装う。
暑さとは別の原因で、二人とも顔は真っ赤だ。
色々と一緒に出掛けたりはしているが、まだまだ初々しいこの恋。
でも、きっとゆっくり一歩一歩前に進んでいる……。
〇
「……もうすぐだね」
「そうだな」
休憩中に色々とありながらも、またゆっくりのペースで手を繋ぎながら階段を上ることもう十分ほど。
なかなかに険しい道のりだったが、有澄さんの柔らかな手を握っていたら時間が一瞬で過ぎていた。もう上に着いてしまうのか、と感じるほどに。
達成感と名残惜しさが混じったような感覚で、俺と有澄さんは最後の一段を踏み込んだ。
白い鳥居をくぐり、手を離して後ろを振り返ると――
「おぉ……!」
「わぁ……!」
そこには開けた高い位置から見下ろす美しい自然が広がっていた。
遠くには青く光る海も見える。
ここまで登ってきた人にしか見ることのできない、広大なパノラマ。
それはまさに時間をかけて来る価値のある壮観だった。
「――綺麗だね」
有澄さんが優しい笑顔を浮かべて言う。
「……そうだな」
その笑顔は高一の入学式の日に一目惚れした、あの時を思い出すような美しさだった。
圧巻の景色を前にして、鳥居に沿って並ぶ二人。
ふと、有澄さんと手の甲が触れ合う。
何度か触れては離れる手の甲。
どちらから、ということはないのだと思う。
自然と手は絡み合った。
「……行こうか」
「……うん」
燦々と照らす太陽に似合わないようなムーディーな雰囲気。
さっきまでお互いが紛らわしていた、でも確かにお互いが認識しあっていたもの。
それが今この時、言葉にはならなくても明らかに顕れているようで……。
有澄さんがどう思っているかなんてわかるはずない。
それなのに、同じことを思っていてくれたらいいな、と強く思っていて……。
会話はなく、一歩一歩境内を進む。ただ、心臓の音だけが一定のリズムを響かせる。
「い、一之進君、この神社ってどんなご利益があるか知ってる……?」
「いや、分からないな……」
「な、なんか恋愛の神様が祀られるらしいよ……『
「そ、そうなのか……」
「うん……。あそこの拝殿にある二つの鈴を一緒に鳴らしたら結ばれる、みたいなのがあって……」
俺は有澄さんの方を見ることができなかった。目が合ったらどんな顔をすればいいか分からなかったから……。
一歩、また一歩境内を歩く。
そして、拝殿の前までたどり着いた。
一間。
俺は微かに震える手を
ちらりと横を見ると、有澄さんもゆっくりと鈴緒を両手で握ろうとしていた。
俺も鈴緒を掴もうとした、
――その時、
『『ガラガラガラガラ』』
拝殿内に二つの鈴の音が響いた。
が――、
「…………えっ!」
緊張も混じったようなしっとりとした笑顔でこちらを向いた有澄さんは、驚きの表情を浮かべる。
一瞬、俺にも何が起きたのか分からなかった。
「――させないよっ!」
そこには、俺の右後ろから横取りするような形で鈴を鳴らす鞠亜がいた。
「も、もう、鞠亜……!」
「ここまでだよ、お姉ちゃん!」
「……むぅ」
鞠亜はいつの間にここにいたのだろうか。
「鞠亜、いつからいたのか? っていうか何で先に行っちゃったんだ?」
「一之進先輩には秘密です。お姉ちゃんじゃなくてわたしと鈴を鳴らしましょう!」
鞠亜は俺の手を掴んで言う。
「鞠亜……だめ」
有澄さんもそれに触発されるように反対のシャツの袖を引く。
「お姉ちゃんが抜け駆けしようとするからじゃん……!」
「そ、そんなこと……」
……またバチってしまった。
「ま、まあ、落ち着けって二人とも」
やはり二人集まると不穏な空気になってしまう。
どうにかならないかな……姉妹二人で鈴を鳴らしたんだから神の御利益で仲良くなってほしいものだが……。
太陽は雲に隠れて、日陰が広がる。
睨みあう二人を横目に、俺はとにかくうまくいきますように、と願いながら一人で鈴を鳴らした。
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