第26話 魔性の女性
「あ、ありがとうございます」
「気にしなくていいわ」
夜の静けさに包まれ、街灯と月の明かりが微かにセンチメンタルな雰囲気を演出している。
……どうしてこうなった。
俺の横には、色気のある大人なお姉さん――有澄さんと鞠亜のお母さんである及川
有澄さんと別れた後、お母さんになぜか近くのコンビニで三百円以上もするカップアイスを買ってもらってしまった。
めっちゃ遠慮したんだけど、「わざわざ有澄を家まで送ってくれたんだから」などと言われ、断りきれなかった。
「一之進くん、娘たちがいつもお世話になっています」
「い、いえ! こちらこそお世話になってます!」
大学生と見紛うほど綺麗なお母さんが話しかけてくる。
……いや、冷静に考えてこの状況は色々とアレじゃないか。
「娘たちから話は聞いている」と言っていたが、お母さんはどこまで知っているのだろう。
……場合によっては俺に対していい印象を持たれていない可能性だってある。
俺は有澄さんと鞠亜に好意を持ってもらっているにもかかわらず、どっちつかずの態度をとり続けてしまっているのだから。
「それで、一之進くんは有澄と鞠亜どっちが好きなのかしら?」
「ひゃっ!」
この人ちゃんと知ってた!
もしかしたらお母さんは二人の気持ちにはっきりした態度をとらない俺に対して、お灸を据えるためにここまで連れてきたのかもしれない。
……これはもう逃げられない。
こんな状況になってしまったのは、紛れもなく俺の責任だ。
俺がお母さんに、しっかり説明しなくてはならない。
少しでも、俺の気持ちが伝わるように……!
「えっと……今は二人のこと、どちらも好きです……!」
自分で言ってて、不甲斐ないなと痛感させられる。
「――でも、しっかり二人の気持ちに向き合って、答えを出します」
お母さんがこの状況を聞いて不信に思うのは当たり前だ。
でも、俺は二人を誑かしているなんて気持ちは一切ない。
少しでも、ほんの少しでもいいから、俺が二人と誠実に向き合わせてもらっていることが伝わればいいと願いながら。
「有澄さんと鞠亜さんには迷惑をかけてしまっていると思います。お母さんにも心配をかけてしまっています。本当にごめんなさい。でも、あと少しだけ時間をください……!」
――ふと、頬に手が当てられる。
「冗談よ、そんな悲しい顔しないで。私は怒ったりしてるわけじゃないから」
優しい顔で俺の頬を包みながら語りかけてくれる。
「……選ばされる側はたまったものじゃないわよね」
「……え?」
すっと、体の力が抜けたような感覚になる。
「娘二人の気持ちに、一之進くんを巻き込んでしまっているのだもの」
「いや、それは僕が――」
「そんなことないのよ」
僕が二人を巻き込んでしまっている、と言おうとして遮られる。
「伝える側よりも、答える側の方が大変に決まってるもの」
「……」
「特にあなたみたいに優しそうな子はね。きっと二人の気持ちをこれでもかってくらいに考えて、時には自分を責めてるんじゃないかな」
「……はい」
なぜこの人はここまで俺の気持ちが分かるのだろうか。
「伝える側は後はもう願うだけだからね。選ぶ側の方が大変よ」
ずっと心にはびこっていた気持ちが、霧のように消えていく。
俺は中途半端な自分を責め続けていた。
そんな気持ちを全部見透かすように、お母さんは、
「焦らずに、じっくり選べばいいからね。娘たちは大丈夫だから」
優しすぎる言葉をかけてくれる。
お母さんの言葉で、今までの心のわだかまりが消えていく。
ずっと一人で抱え込んでいた不安を理解してくれる人がいて、つい涙が出そうになる。
「あらあら、泣かなくていいのよ」
「っ!?」
つい目に涙が溜まってしまった俺を、お母さんは優しく抱きしめた。
ちょっ……! 触っちゃいけないものが当たってるって!
でも、お母さんの胸の中はものすごい安心感で……。
「一之進くんは本当に頑張っているのよ」
お母さんの言葉は、常に俺の心の不安を溶かしていく。
ああ、ほっとする……。
「どちらを選んでもいいし、どちらも選ばなくったっていいの」
妖艶に、呟く。
「それか――、おばさんを選んだっていいのよ」
……。
え、何言ってんだこの人!?
色気満開で言い放つお母さん。
ちょ、ちょっと待って!
綺麗で優しくて、俺の気持ちを全部わかってくれるお母さんに懐柔されてしまいそうではあるが!
流石にそれは倫理的に駄目だって!
「ごめんなさい、僕は有澄さんと鞠亜さんが好きなので、お母さんは選べません」
……これ合ってるのか?!
「…………流石に冗談よ。私結婚してるし」
……そりゃそうだよね! お母さんジョークだよね!
お母さんはさっきよりも少し冷めた声で言う。もしかして引かれてる!?
一人でこれ以上ないくらい焦って顔を真っ赤にしていたが、お母さんは俺を抱き寄せながら頭を撫でる。
「でも、一之進くんが真っ直ぐで誠実な人だってのは伝わったわ。娘たちが惚れるのも納得ね」
「……いや、そんな」
「私ももし学生の頃あなたに出会っていたら、好きになってたかもな」
しっとりとそんなことを言って。
……お母さん、すべてがめちゃくちゃ色っぽいんだって!
わざとやってるのこの人!?
「――あ、いたよ! お姉ちゃん!」
「ほ、ほんと?」
ふと、遠くから聞きなれた声が聞こえる。
「「……え?」」
気温が一気に五度くらい下がった気がした。
……なんかまずい気がする。
バタバタバタ、と足音が段々と近くなる。
「ちょ、ちょっとお母さんと一之進先輩! 何やってるの!?」
「二人とも……どういうこと?」
俺は慌ててお母さんから離れる。
そして、目の前にはふくれっ面の鞠亜と、表情の消えた有澄さんがこちらを見つめていた。
「いや、これは違くて――!」
「安心して、二人とも。私はただ一之進くんに振られちゃっただけよ」
「「……は??」」
いや、その説明じゃどう考えても無理だって!
「帰ってくるのが遅いから何やってるのかと思ったら! お母さん! ほんとにどういうこと!?」
「………………」
顔を真っ赤にして抗議する鞠亜と、何も言わずに怒気を孕んだ表情の有澄さん。
お母さんは若干困り顔を浮かべて、こちらに囁く。
「一之進くんはもう遅いから先に帰りなさい」
「え、でも――」
「安心して、大丈夫よ。私がちゃんと説明しておくから。じゃあ――二人をよろしくね」
優しく微笑んで、お母さんは俺の背中を押し出した。
「は、はい!」
俺はそのまま駅に向かって飛び出す。
すごく、それはもうすごく色めいた人ではあったが、お母さんは俺の気持ちを分かってくれて、慰めてくれた優しい人だった。
「あ、一之進先輩! ……ちょっとお母さん! どういうこと! も、もしかしてお母さんまで!?」
「………………説明して」
憤慨する二人の声を背中で聞いて、本当に大丈夫かなぁ、と思いながら駅に走った。
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