第23話 聖人兼、天然
夕方になっても、まだまだ夏らしい日差しが降り注ぐ。
鞠亜と海に行った数日後。
暑さとはまた違う熱気に包まれる駅で、俺は有澄さんと待ち合わせをしていた。
今日は地元から数駅離れた地域での、夏祭りの日である。
夏休み前に色々あって鞠亜と有澄さん、二人と一回ずつ遊びに行く約束をした。
今日は有澄さんと出かける日だ。
駅では皆が同じ方向に足を向け、祭りの独特な空気が広がっている。
まるで笛と和太鼓で奏でられる祭りの音頭がどこからか聞こえてくるようだ。
有澄さんとは駅で待ち合わせをしているのだが、さっき『少し遅れる』というメッセージが来ていた。
別に何分待っても全然いいのだが、有澄さんが遅刻するなんてかなり珍しい。
……なにかトラブルがあったりしないといいのだが。
無遅刻無欠席、成績優秀、品行方正の才色兼備である有澄さんには絶大な信頼がある。
たかが十分程度の遅刻だが、ちょっと心配になってきたな……。
「――し、下野君っ!」
有澄さんの声を聞き、安心しながら声に振り向いた瞬間、目を奪われた。
「遅れてごめんなさい……! ちょっと着付けに時間かかっちゃって……」
有澄さんは、紫と白を基調とした浴衣を着ていた。
制服と学校指定のジャージ以外を着ている姿を見たことがなかったのだが……浴衣!?
圧倒的にお淑やかな雰囲気に包まれた有澄さんに、思わず息を飲む。
「ゆ、浴衣着てきてくれたんだ!」
「う、うん……。友達が絶対浴衣の方がいいって言うから……ど、どうかな?」
「……本っ当に似合ってます」
有澄さんの姿に圧倒されながらも、なんとか言葉をひねり出す。
届くことはないかもしれないが、有澄さんの友達ありがとう!
「ほんと!? ……ありがとう」
俺の言葉に目を丸くして喜んだ後、少し恥ずかしくなったのか下を向く有澄さん。
その行動ひとつひとつが俺の鼓動を加速させる。
「ご、ごめん、俺も浴衣とか着てくればよかったな」
「うんうん! 全然大丈夫……! 急に浴衣を着てきた方がびっくりするかも、って友達に言われて……びっくりした?」
「……それはもう」
多分びっくりの一つ上にはいっていたと思う。
「そっか……。なら作戦成功だね」
柔らかく笑う有澄さん。
その笑顔はずっと見入ってしまうほどの魅力があった。
俺はそんな有澄さんに不器用な笑顔で答える。
「じ、じゃあ行こっか、お祭り」
「うん、そうだな」
今日の有澄さんはいつもよりもどこか明るい気がするかも……?
こうして、一之進と有澄の初デートが始まった。
〇
「やっぱ人が多いなー」
とりあえず人の流れに乗って祭りの会場に着いた。
が、さすが地元でもかなり大きいお祭り、会場は人でごった返していた。
「及川さん、大丈夫か?」
「う、うん! 私は大丈夫。あ、あの、このままじゃはぐれちゃいそうだから……!」
そう言って、有澄さんは俺の小指を握った。
「――え!?」
「あ、あくまでも迷子にならないため、だよ!」
「わわわ、わかった」
有澄さんの小さな指が、俺の小指を包む。
小指に収まる有澄さんの手。少し冷たく、触れるとどこまでも柔らかい。
女の子の手ってこんなに小さいのか……!
やばい、手汗が出そう。
っていうか、今日の有澄さんめっちゃ積極的じゃないか!?
この前の校外学習の時はそんなことなかったけど……でも、あの時とは明らかに関係は変わっているし……。
「下野君、あっちに行ってみよ!」
「お、おう」
今日の有澄さんはどこかイキイキしているように見えた。
「あ、そこの浴衣のお姉さん、かき氷食べていきなよ! 安いよ! ほらこっちこっち」
「わっ……え、えっと……」
……有澄さんが呼び込みに捕まったようだ。
さっきまで柔らかく俺の小指を包んでいた有澄さんの手に力が入る。
「うちのかき氷ふわっふわの最新のやつだから! ほらこっちこっち!」
「あっ……は、はい」
……どうやら押し切られてしまったようだ。
優しい有澄さんは断り慣れていないんだろう。
「ご、ごめん下野君、かき氷食べない……?」
「うん……まあ暑いしちょうどいいんじゃないか」
なんか最新の奴らしいし。
「……ありがとう!」
まあ心なしか有澄さんもノリノリみたいだしよかった。
……もしかしたら実はかき氷が食べたかったんだったりして。
そんなこんなで俺と有澄さんはかき氷を買った。
有澄さんはいちご味で、俺はブルーハワイ味を頼んだ。
結局ブルーハワイって何なのかは全く分からないが、とりあえず夏っぽくていいだろう。
「へいお待ち!」
寿司屋みたいなセリフとともに、いかついお兄さんがプラスチックのカップに入った赤と青のかき氷を差し出す。
……見るからに最新のふわっふわではなく普通のかき氷にしか見えないが、そこは気にしないことにしよう。うん、その方がいい。
有澄さんは微笑みを浮かべながら『ご自由にお使いください』と書いてある練乳をふんだんにコーティングしていた。
そうだ、有澄さんが楽しそうなのでなんでもいい。っていうか有澄さんって意外と甘いの好きなんだな……。
「めっちゃ美味しそうだね」
「わっ……で、でしょ」
幸せそうな有澄さんに声を掛けると、少し恥ずかしそうにこちらを向く。
なんかめっちゃ幸せな空間なんですけど……!
「ありがとう……じゃなくて、あっちの座れるところで食べよっか」
「う、うん!」
幸せ過ぎてつい感謝してしまった。
俺と有澄さんが移動をしようとしたその時――、
「わーー! あれも食べたい――っ!!」
五歳くらいのおてんばな女の子が、かき氷片手に前を見ずに走っている。
「あ、危ないっ!」
俺の声も及ばず、女の子はそのまま有澄さんに衝突した。
「わっ!」
そこまで強い勢いではなかったので、女の子は有澄さんにぶつかっただけで転んだりはせずに済んだようだ。
「あ、及川さん!」
いきなりの後ろからの衝撃に前方へややよろめく有澄さんの手を咄嗟につかみ、どうにかバランスを取り戻す。
……なんとか二人とも無事だったようだ。
――が、
「え……え……っ」
唯一、女の子が手に持っていたかき氷だけが、地面に落ち無残な姿で犠牲になっていた。
途端、泣きそうな顔をする女の子。
こ、これは……。
俺が女の子に話しかけようとした時――、
「大丈夫だった?」
しゃがんで同じ目線になり、優しい笑顔で女の子の頭をなでる有澄さん。
「う、うん……」
「次からはあまり走っちゃだめだよぉ。わかった?」
「うん、ごめんなさい……」
「謝れてえらいね! はい、これあげる!」
有澄さんはにっこり笑顔で女の子に自分のかき氷を渡した。
「え……いいの?」
「うん! ほら、これおんなじいちご味だから!」
「わぁ……! ありがとう、お姉ちゃん!」
女の子はさっきまでの暗い顔から、パッと満開の笑顔を咲かせていちご味のかき氷を受け取った。
「うん……今度は気を付けてね!」
「お姉ちゃんありがとう! またね!」
女の子は明るい笑顔で歩いて行った。
……俺には有澄さんが女神以外の何物にも見えなかった。
「及川さん、優しいんだな」
「そ、そんなことないよ! ……それよりもあの子、かわいかったね」
子供好きそうな優しい笑顔を浮かべる有澄さん。
有澄さんは絶対にいいお母さんになるなぁ。
「はい、これは及川さんが食べて!」
「え? い、いや、いいよ! 下野君のだし!」
俺はブルーハワイのかき氷を差し出して言う。
「……実はかき氷、食べたかったんじゃない?」
「えっ! そ、それは……」
まさかの図星でした。
「俺はいいから、及川さんが食べてよ。優しい有澄さんは報われるべきだと思う!」
「そ、そんな……私が勝手にあげただけだし……じ、じゃあ一緒に食べる……?」
「えっ?」
「私、さっきの店員さんにもう一つスプーン貰ってくるよ! 待ってて!」
そう言って有澄さんはスプーンを貰いに行ってしまった。
……これっていわゆる。
その後、一之進と有澄は一つのかき氷を二人でつっつく、という熱々カップルのようなことをした。
これってなかなかのことなんじゃ、と二人が気付く頃にはもはや引き返せないところまで来ていた。
有澄としては良かれと思って提案しただけだったのだが……。
二人とも顔は真っ赤で、かき氷を食べているのにどこか暑さを感じていた。
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