第2章
第9話 偶然の幕開け
木曜五限。一週間で最も眠くなる時間と言っても過言ではない。
「次の授業は校外学習でフィールドワークをしまーす」
気だるそうな社会科の先生の声が響く。やる気はなさそうだが、裏を返せばあまり厳しくないのでそこそこ人気の先生である。
「近くの自然公園に行ってもらって、そこで与えられたテーマについてペアで調べてもらいまーす」
どうやら校外学習があるらしい。
ペアワークか……。隣の席で仲良くなった佐藤とでも組もうかな。
「今回は変な軋轢が生まれると面倒臭いので事前にこちらでペアを決めさせてもらいましたー。ネットの自動ツールで決めたので文句は言わないでくださーい」
どうやらこの教師はとことん厄介事が嫌いらしい。
……となると、誰とペアになるか分からないのか。
まだ新学期になって一、二ヶ月しかたっていないし、二人きりだと気まずくなりそうな人も結構いるな……。
頼む、仲いい奴であってくれ。
「では発表していきまーす。一班、佐藤拓真、渡辺大和」
あ、佐藤が別のグループに行ってしまった……。
別に友達が多い方ではないので、一気に心細くなる。
せめて一度でも話したことがある奴がいいな……。
そう軽い気持ちで願っていたが、時は突然にやってくる。
「――二班、下野一之進、及川有澄」
「――っ!?!?!?」
先生の間延びした声は、一瞬で眠かった俺の意識を覚醒させる。
い、今なんて!?
お、及川有澄さんって言ったか!?
他の人からすれば何の変哲もない文字列だけど、その言葉は一気に俺の心の鼓動を速める魔力があった。
「……おい下野! よかったじゃねぇか」
隣の佐藤が小声で小突いてくる。
「ま、まじか……」
どうやら俺の耳は間違っていなかったようだ。
ちなみに佐藤は俺の片想い事情を知っている。
「いや、でも、今までずっと避けられてきてて、多分嫌われてるし……っていうか実質フラれてるみたいなもんだし……」
気まずいとかいう次元を軽く越えている。
「いや、そんなこともないと思うぞ。ワンチャンある」
「それ無い時に言うやつだろ!」
笑顔でサムズアップしながら適当なことを言いやがって!
先生が全員のペアを発表している間も、全然話が入ってこない。
大体今までほとんど喋ったことがなくて、いきなりペアワークとか! こっちのほうが変なトラブルが生まれかねないぞ!
「――はい、以上でーす。では実際にペアに分かれてみてくださーい」
俺の葛藤なんかをよそに、無慈悲にもペアワークは始まろうとしていた。
〇
「し、下野君……」
か弱く、透き通った声。
長く綺麗な黒い髪から覗く麗しい瞳。
その可憐な雰囲気の全てが、俺の心の鼓動を速める。
「お、及川さん、よろしく」
どうしても、声がくぐもってしまう。
有澄さんの瞳が俺に向けられてる……! これは夢か?
「はーい。全員ペアで集まることができたでしょうか? じゃあ、今から黒板にこらちで設定した調べ学習のテーマを書き出していくので少しお待ちくださーい」
若干の自由時間に少しずつ教室がザワザワしだす。
各々ペアで親睦を深めているのだろう。
俺も何か喋らないといけないのか……? でも何話せばいいかわからないし……
「……あ、あの! 下野君」
「は、はい!」
いざ好きな子と二人きりになったらなったでチキって黙りこくっていた俺に、有澄さんが話しかける。
「あ、あの、――下野君は鞠亜と付き合っているの……?」
「――えっ!?」
まさか鞠亜の話が出てくると思わなかったので、思わず声がもれる。
なんで有澄さんが俺と鞠亜のことを……?
あ、そういえば確か一度俺と鞠亜が一緒にいるところを見られたことはあったか……。
それに、姉妹間なのである程度の情報が共有されていてもおかしくない。
「いや、鞠亜とは付き合ってないよ! 一応友達って感じで……」
鞠亜とは、付き合ってはいない。
『好き』と明確に言われていて、複雑な関係であるけど。
「そ、そっか……」
有澄さんはどういう感情かわからない難しそうな顔で応える。
「はーい、黒板に調べ学習のテーマを書きましたー。ペアで話し合って決めちゃってくださーい。他のペアと被ったら適当にじゃんけんでもしてくださーい」
今日の晩飯の事でも考えながら喋ってそうな先生の声が、生徒たちの会話を鎮める。
さて、
「及川さんはどのテーマがいいかな……?」
「え、えーっと……できたら花とかがいいな。虫はちょっと嫌かも……」
「わかった!」
結果――。
「マジでごめんなさい」
俺は深々と有澄さんに頭を下げていた。
「いえいえ……! そんな謝らないて……!」
俺は見事じゃんけんに三連敗し、『自然と虫たち』というテーマを手に入れた。
俺が何をしたって言うんだ! 好きな子の前なんだぞ!
「……し、しょうがないよ! 私、頑張ってみる」
情けない俺に向かって、有澄さんは女神みたいな柔らかい笑顔で、そう言う。
……か、かわいすぎる。
というか、今までの話すらまともにできていなかった状況を踏まえると、有澄さんと会話できていることが信じられないくらいの奇跡である。
有澄さんに嫌われてたわけじゃないのかな……?
「いや、俺が責任をもって頑張ります」
「私も頑張るよ。じゃあ、その……よろしくね」
「……よろしく!」
できるだけ平静を装って、そう言った。
こうして、一之進と有澄の初めての共同作業が始まった。
●
「鞠亜、来週の木曜日の放課後のカフェに行く約束なんだけど、予定ができちゃったから次の週でもいい?」
「別にいいよー、お姉ちゃん」
その日の夜、及川家にて。
有澄と鞠亜は高校生ながらよく一緒に出掛ける仲良し姉妹だった。
「お姉ちゃんが予定あるなんて珍しいね。何の予定なの?」
「校外学習でペアワークがあるんだよね」
「へー。ペアワークって、大丈夫なの? お姉ちゃん、男の人と全然話せないじゃん」
実は有澄は男子全般が苦手なのであった。
「一応、大丈夫かな」
「ふーん。女の子の友達と組んだんだ」
「いや……男の子だよ」
「え? じゃあだめじゃん。誰と組むことになったの?」
「……下野君」
有澄はここ最近の鞠亜の様子を踏まえて一瞬本当のことを言うべきなのか迷ったが、隠す方がかえって変だと思ったので正直に答えた。
「へー……って、一之進先輩!?」
さっきまで姉のペアワーク事情にほとんど興味のなさそうだった鞠亜だが、弾かれたように勢い込んで聞き返す。
「嘘でしょ……!? なんで!?」
「先生がペアを決めて、それで一緒になったの」
「どんな確率!? 漫画のご都合主義じゃないんだし!」
キレのいいツッコミをしながら憤慨する鞠亜。
「大体、なんで一之進先輩だと大丈夫なの!? 今までだって一之進先輩に話しかけられたら逃げてたじゃん」
「下野君は……今までもいっぱい話しかけてくれてたし……。思ったよりも話せるかも」
有澄は思案顔で、もし一之進が聞いていたら泣いて喜びそうなことを言う。
「マ、マジ……? まさかここにきて最強の敵が現れるなんて……」
ぐったりと項垂れる鞠亜。
「木曜日でしょ? わたしも普通に授業あるし……どうしよう」
――鞠亜、やっぱり下野君が好きってことなのかな……?
有澄は鞠亜の様子を見て、考える。
一瞬、胸が引っかかるのを感じた。
――いや、私には関係ないことだし……。
まだ恋を知らない有澄の物語は、幕を開けるのだろうか……?
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