第8話 重い想い

 夕闇が迫る帰り道。


 俺は鞠亜と二人並んで歩いていた。


「……」


 金髪男との一件以降、鞠亜と一言も喋っていない。


 完全にタイミングを見失ってしまった。


 鞠亜はずっとどこか暗い顔をして、下を向いている。


 その様子を見るに、多分あの金髪男のことを考えているんだろう。


 でも、なんで鞠亜はあんなモラハラ男と付き合っていたんだろうか。


 そもそも本当にあの男のことが好きだったのか?


 とにかく話さないと、鞠亜が今何を思っているのか分からない。


「ま、鞠亜、なんであの男と付き合ってたんだ?」


 恐る恐る話しかける。


「……一目惚れだったんです」


「あぁ……」


 一目惚れか……。気持ちは非常に分かる。


「中学の時に出会った二個上の先輩で、初めて会った瞬間、好きになっちゃったんです」


 性格だったり、趣味だったり、出身やら生い立ちやら何も知らないのに、一目見ただけで惚れてしまう。


 こう文字面だけ見れば、どこか不誠実に聞こえてしまうかもしれないが、一目惚れこそが本当の心の叫びのようなものなんじゃないかって思う。


「でも、いざ付き合ってみると思っていたの違って……。最初はいい人だと思ったんですけど、だんだん態度が大きくなったり、ひどいことを言われたりするようになって。やめてほしいって言っても聞いてくれなかったし……あまり大事にしてくれなかったんです」


「……ほんとそいつ許せないな」


 これが一目惚れの難しいところだと思う。


 一目見ただけだから、そいつの内面は分からない。

 見えているのも色眼鏡を通過した仮面の姿かもしれない。


 大きな期待を抱いていても、それが裏切られる。


 こう考えると一目惚れがうまく成就するのは難しいように感じる。


「まあ、わたしも若かったんです。あんな悪そうな人、今は好きじゃありませんよ!」


 鞠亜は苦笑いを浮かべて言う。


「若かったって言ってもまだ高一だけどな」


「はい! 今はあんなチャラチャラした人よりも――」


 なにかを言おうとした瞬間、鞠亜は表情を曇らせる。


 ……どうしたんだ?


 不安そうな瞳で、縋るようにこちらを見つめてくる。


「……一之進先輩、あの、わたし……」


「どうした……?」


「わたし……重くないですか?」


「……え?」


「……いつもわたしって好きな人ができたら周りが見えなくなっちゃって……。それで海斗先輩といる時も『重い』って言われて……」


 鞠亜は今にも泣きそうな表情で言う。


「今だって、一之進先輩には好きな人がいるのに、わたしの好きって気持ちを押し付けて……!」


 ……なんだ、鞠亜はそんな心配していたのか。


 きっとあの元彼にメンヘラだのなんだの言われたのをずっと気にしていたんだろう。


「そんなことない!」


 俺は鞠亜の涙を吹き飛ばすくらいの笑顔で言う。


「大体俺と鞠亜は一緒だろ?」


「……え?」


「俺も鞠亜もほとんど話したことない人にアプローチして、好きって伝えて」


「……っ!」


「それに、俺は鞠亜のことメンヘラだなんて思わない。ただ、好きな人を大好きでいるだけだと思う!」


「一之進先輩……っ!」


「それって好きな人を愛せない人とか、一人の人を本気で愛せない人よりも、真っすぐで誠実で圧倒的に素晴らしいと思う!」


「……わ、わたし、もしかしたら一之進先輩に嫌がられてたかもしれないと思ってずっと不安で……! 一之進先輩優しいから、無理して付き合ってくれてるのかと思って……!」


「そんなこと思ったことは一度もないぞ」


「――うわぁぁんっ!」


 今まで溜まっていたものが爆発したように泣き出す鞠亜に、胸を貸す。


「少なくともあの男は最低すぎるから、あいつに言われたことなんて気にすんなよ」


「……はい! ありがとうございますっ!」


 真っすぐで天真爛漫で、それでいて実は繊細で。


 こんな純粋ないい子、なかなかいないと思う。


「……一之進先輩でよかった!」


「っ!」


 鞠亜はいつもの明るい笑顔で言う。


 ……まあ、これでこそ鞠亜だよな。


 少なくとも俺にとっては『重い』なんてマイナスな意味だと思わない。

 一人の人を真っすぐに愛せるって、素晴らしいじゃないか。


「まあそれで言ったら俺だって重い方かもしれないしな……」


「……むう、お姉ちゃんのこと」


 鞠亜は涙を抑えながら、俺に上目遣いでジト目を向けた。



 さっきまで泣いていた鞠亜も、家の前に着く頃には落ち着いていた。


「一之進先輩、今日は本当にありがとうございました!」


 鞠亜の表情は晴れやかで、どこかつきものがとれたような様子だった。


 まああの男から吹っ切れることができたならよかっただろう。


「こちらこそありがとうな。今日一日めっちゃ色々あった気がするけど、楽しかったぞ」


「一之進先輩!」


「うん? なんだ?」


「一之進先輩、わたしの事『大事な奴』って言ってくれましたよね?」


「うぇ!?」



『俺にとって鞠亜は、大切な奴なんだっ!』



 た、たしかに金髪男と話してるときに言ったけど! まさか掘り返してくるとは思わなかったって!


「べ、別に変な意味ではないぞ!」


「いえ。あんなこと言ってくれて、嬉しかったです」


「……っ!」


「……わたしにとっても一之進先輩は大切で、特別な存在です!」


 鞠亜は今日一番の笑顔で言う。


「今日でよりいっそう好きになっちゃいました! ありがとうございました!」


 そう言って、鞠亜は家に向かって駆け出す。


 突然の『好き』という言葉に心臓が急速に鼓動しながら、鞠亜の後ろ姿を呆然と見つめていた。





 テスト明け休みでありながら律義にテストの復習をしていた、及川有澄ありすは、勉強が一段落つき休憩がてらふと自室の窓を眺めた。


 ――え……? 鞠亜と下野君?


 窓には、家の前の街灯に照らされ、何かを話している二人が映る。


 しばらくすると、鞠亜が玄関に向かって駆けて来た。


 そして、

 ――バタン、と及川家にドアの音が響く。


「ただいま!」


「おかえりなさい……」


 いつも元気な鞠亜だが、いつもよりも明るい声とともに、トントンと足早に階段を上る音が近づく。

 そして――ドーン、と大きな音が鞠亜の部屋から反響してくる。鞠亜がベッドに飛び込んだりでもしたのだろうか。


 ――どうしたんだろ……?


 鞠亜がここまでテンションが高いのは珍しい。気になって、有澄は鞠亜の部屋を覗いてみることにした。


 すると、


『――あ~~~~~!』


 ……そこにはベッドに寝転びながら、枕に向かって奇声をあげている妹の姿があった。


 ――何やってんの鞠亜!


 普段なかなか見ない妹の姿に面食らいながら、心の中でツッコむ。


 ――何があったんだろ……?


 もしかして鞠亜、下野君となんかあったり……?


 有澄は思案を巡らす。


 そういえば今日の朝も早くに起きて、気合い入れて準備してたし……。


 この前も二人が一緒にいるところを見たし……。


 今までの出来事を振り返り、一つの大きな可能性が浮かぶ。


 鞠亜と下野君って付き合ってるのかな……?



 ――まあ、どうであれ私には関係ない、よね……。



 止まっていたストーリーは、誰にも見えないところで、少しずつ動きかけていた……。

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