第14話 恥をかくのも、二人なら


 【♂♂♂】


 暑いし重いしで、パーカーは脱いできた。

 息苦しいので、マスクも外した。


 明日ヶ丘高校から運動公園まではバスで停留所三つ分、幾度か急な坂を挟む。全力で走って葉桜の並木道を越えていく。


「はっ、はっ、はっ、はっ……!」


 形振りを構わずに飛び込んだ運動公園の、屋外ジョギングコース。

 そこには、何もなかった。

 何も、おかしなところがなかった。


 まるで平和な休日の昼下がり。サイレンも鳴っていなければ、施設も倒壊などしていない。あるのは、時間が巻き戻されたような平穏——むしろ異常で不審なのは、汗だくでやってきた、尋常でない表情の瀧川朔日ぼくくらいなものだということが、周囲の反応から明らかであって……。


「おっつかれー」


 必死で辺りを見渡しているところに、背後から声をかけられる。

 全身の力がどっと抜け、振り向いて思わず破顔した。


「学校とココ、全力ダッシュで二往復かー。錆落としの効果、出てんじゃん」

「……うん、おかげさまで」

「ほい。これ、いるだろ?」

「——いる。超いる」


 都成さんから差し出されたペットボトルを受け取って、手近なベンチに腰を下ろした。

 とりあえず一も二もなく、スポーツドリンクを喉に流し込む。


「うわー、すっげぇ飲みっぷり。そんだけ汗かきゃさぞ美味かろう」

「それもある、けど。……久しぶりに、カメラの前で喋り倒したし」


 人心地ついて、会話の余力が戻ってくる。「あのさ、」とぼくは切り出す。


「嬉野先生と、宮田くんは」

「どうにかなったよ、おかげさまで。嬉野先生はしばき倒したら泣いて逃げてった。一組、週明けには担任変わってるかも」

「悪いこと、したかな」

「そんなでも? 『私など所詮めちゃすこ倶楽部ゴールド会員では最弱』とか言ってたし」

「……怖いこと言うじゃん。プラチナ会員とかどんな変態なんだ」

「なー。で、宮田くんのほう、だけど」

「……っ」

「元に戻して帰したよ。自分に何が起こったかはよくわかってないっぽかったけど、憑き物は落ちたみたいな顔してた。同室だし、帰ったらちょっと話してみな」


 ——ずっと圧迫されていた胸の内側が、広がった感触。

 都成さんに「改めてだけど、ありがとう」と、伝え——ようとした矢先に、気付く。


 真正面から見た、彼女の、髪。

 一房ほど、その色が……別の色に、染色されている。

 あれは——トキノミヤ・ミコトの、髪色だ。


「——本当に、ごめん」


 ぎりぎりで発言の修正が間に合った。ぼくは深々と頭を下げる。


「こうなるって、わかってて、ああした。自分の知らないところで在り方を決めつけられるのが、ぼくらは嫌なはずなのに。君のことを、自分の都合で、身勝手に拒否権もなく変えたんだ。……正直、何をされたって、ぐふっ!?」


 脇腹への不意打ちを喰らって悶える。

 何をされたっていい、とは言いかけてたけど、レスポンスが早すぎてさすがに戸惑うし、都成さんはニヤニヤ笑っている。


「言わせねぇよ。そりゃ、ボクのこと何も知らない他人に『こうだろ』って決めつけられるのは嫌だけどさ。お前なら、瀧川朔日同士、ノーカンっつーか? それに……お前もさ、あれ、半分くらいは本音だろ? ミコトみたいな力があったらいいな、ってさ」

「……隠し事してもしょうがないよなあ。自分だし」

「そゆこと。……ふふふ。むふふふふ」


 ニヤニヤと、都成さんは、そこだけ色が変わった自分の髪を何度もイジる。宝物を自慢するみたいに。……ああ、いいなー! 本音出ちゃうと……その髪、めちゃくちゃ格好いいし、羨ましい!


「最高の贈り物、サンキュ。……触る?」

「触るーっ!」


 差し色みたいになった髪を触らせてもらう。すると、彼女はイタズラっぽい様子に雰囲気を変えて、


「これさー。あたし、瀧川くんの色に染まった、ってカンジじゃない?」

「だからさ。いきなり都成さんモードになるなって」

「トキめかない?」

「トキめかない。もう色々知っちゃったもんで。デザインは依然好みのど真ん中なんだけど、男友達とか相棒とかそういうポジだな、うん」

「あっはっはー、だーよなー! なら、これもイケるかな?」


 飲みかけのペットボトルを挑発的に差し出される。「当然」と受け取り、半分ほど残っていたスポーツドリンクを飲み干す。ちょうど飲み足りなかったところだ。見事な飲みっぷりに「お見事」と拍手される。


「ボクの負けだぜ。な。今日は十分以上に運動したよな? シャワー浴びて着替えたら、帰りさ、この前発掘したラーメン屋寄ろうぜ。塩分がいるよ塩分が」

「いいね。トッピングは?」

「門出のハレだぜ。ここは豪勢に」

「ノリ、生卵、ほうれん草。おろしニンニク別添え」

「異議なし最高。ぼくに同じ」

「餃子は一皿、シェアしよう」

「もちだよなあ」


 ——とか。

 和やかに言い合っているが、言うまでもなく、瀧川朔日の問題は何も解決していない。

 今後嬉野先生みたいな手合いは再び訪れるだろうし、そもそも、青春崩壊カノンイベントも未来からの敵と関係なく立ち塞がるし、ついさっきは黒歴史を更新したばっかりだ。……未来に影響を及ぼさせるという目的上、あの【サっくん配信】のアーカイブは削除もできない。あぁぁぁ、思い出したら胃が痛い。


 ……まあ、でも。

 未来への心配より。

 今が楽しいし、まあ、いっか。

 今のところはね。


「あー、そういえばさあ、ボク」

「ん? 何だよ、ぼく」

「……あの配信さあ。きみ、見た? どうだった?」

「ああ? そんなのさあ……格好良かった以外にないだろ! 次の配信楽しみにしてるぜ、サーっくん♪」

「うっせ!」


 ぼくらは小突きあって、お互いに遠慮しない声で笑った。何事かと周りの視線が集まって恥ずかしい。


 まあ、でも。

 恥も二人でかく分には、結構いい思い出ってことで。


 (終)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る