第10話 先生は教師の顔とプライベートを使い分ける


 【♂♂♂】


「…………っ!」


 芝生の地面を叩くように立ち上がりつつ飛び退く。

 距離を開けながら対峙するも、嬉野先生は棒立ちのまま、微塵もこちらに敵意を持っている様子はない。どころか、その逆、好意しか見えない。


「お会いできて光栄です。昔日の、若かりし朔日さま」


 人の態度がぐるっと変わるのも初めてじゃない。が、衝撃と困惑は据え置きだ。

 年上の大人の女性から、まるで『目の前に神様がいる』くらいの態度で当たられるなんて、初体験だし。


「態度……随分、変わりましたね」

「度重なるご無礼、謝罪致します。恥ずかしながら、たいへん緊張しておりまして。厳しく自己を律し接近を慎まねば、会則違反行為を抑えきれない可能性もありましたので」

「クラスの他のみんなには、人当たりよくやってましたけど……」

「あら。まともに取り合っていない相手には、どんな態度も取れますでしょう?」


 クラスの背景として、ひっそり小耳に挟んでいたやりとりでは、一度もきかなかった本音。……まずはこれを認めなきゃ、か。


「嬉野先生は、ぼくに最悪の高校生活を送らせて、元通り将来は偉人にさせたいんですね? ……ぼくはそんなの、嫌なのに?」


 ジャブくらいだった質問への反応に、思わずぎょっとしてしまう。

 嬉野先生の瞳へ、瞬間的に大粒の涙が溢れ、とめどなくこぼれ落ちる。


「朔日さまはっ、朔日さまは知らないから、そんな御無体が仰れるんです! 暗黒の高校時代を送ったあなたが将来、どのような存在になられるか……それが、私たちにどれほどの勇気を、希望を、元気を与えてくれるのかっ……!」

「そ、そうなの……!?」


『はい!』と力強く頷かれる。都成さんは語れなかったし、ぼくも、どうせなりたくないしならないものだからと積極的には尋ねなかったけど……。

 ……偉人・瀧川朔日の詳細、か……。


「そう! 幾千のお労しき痛みを背負ったからこそ——朔日さまは成ったのです! ッッッッ!」 

「……は?」


 ちょ。

 ちょっと待って、嬉野先生。

 ——何て?


「世を恨み、世を儚み、もって世を厭うモノ! クールでニヒルで残虐なる邪悪、誰も愛さぬ外道のカリスマ! けれど、故に功罪あり! あなたが英雄に討たれるまでに築き上げた様々な遺産は後の世を支える礎となり、歴史はこう語ります! 『今日の平和は、あの魔王が世界の善意を纏めたからこそのものとも言える』と! 紛れもない偉人だとッ!」


 待って。

 待って待って待って待って。

 いっぺんに押し寄せていい情報じゃない。


 誰が。

 何で。

 どう偉人?


「ま……魔王、瀧川朔日? 災厄、とかって」

「私の時代からは既に大昔で、社会の授業で習う気軽なフリー素材扱いですが。……あ! と言いましても、ガチファンの人気や熱意はまったく冷めておりません! ほら、織田信長といえば伝わりますね!?」

「つた、わる、けれどもっ……!」


 あの人も“魔王”ではあったっけね!?

 ……そんで、やったことも決して、人を幸せにするい事だけではなかった、か。


 だけれど、偉人。

 後世にて、愛される……没してより遥か先、骨も肉も既になく、されども、決して滅びない“情報”となった存在。


「い……いや! 尚更嫌だよ! 残虐なる邪悪とか、誰も愛さぬ外道のカリスマとか! ぼく、そんなものには、」

「楽しそう、だったのです」


 嬉野先生は。

 とても、うっとりと。


「魔王、暴君、災厄、瀧川朔日。世界の敵。皆の輪の外の、悪者。記録で残っている彼は、ほんとうに、ほんとうに、楽しそうで。誰も味方がいないのに。混じり合えない、独りっきりなのに」

「…………」

「それが、格好良くて。どれだけ……私たちを。世の中に馴染めなくて、寂しい私たちを、救ってくれたことでしょう。そっか——別に正しくなくても、誰の許可なんてもらってなくても、笑っていいんだ、って」

「……嬉野、先生」

「だからね、解釈違いで、地雷なんですよね。ひとりぼっちじゃない、瀧川朔日なんて」


 先生は、ゆらりと、こちらへ近づいて……

 ……そして。

 僕の手を取り、それを、自分の胸へと運んだ。


「っっっっ!?」


 予期せぬ事態に、呼吸が止まる。

 初めて触れる大人の女性の胸は、シャツに隔てられていることなんて、気にならないくらい、柔っこくて、あったかくて、心臓の鼓動を感じた。


「では、さようなら、朔日さま。立派な魔王になるあなたを、未来から推しておりますよ」


 ふいに目の前へ、嬉野先生の指輪をつけた手が差し出され……パチン、と小気味よい音が鳴らされた。

 ぼくは、それで——


「えっ、と……嬉野先生、これって……」


 ——それで特に、何にもなって、いないんですけど。


「……あれぇ?」


 向こうにとっても想定外だったらしく、首を捻られる。


「効いてない、ですか? 接触して、精神に隙を作っての、記憶操作の略式術式ショートコードだったんですけど……ああ」


 嬉野先生が、鼻を鳴らして、その表情を歪める。ありったけの忌々しさが浮かぶ。


「別の式の、厭な臭いが残っている。あの紛い物で裏切り者、抱きついた時にでも、防御の仕込みをしてやがりましたか」

「はーーーーいっ、呼びましたーーーーっ!?」


 先生が咄嗟に手を離し、ぼくを突き飛ばす。

 開いた空間に突っ込んできたのは、スポーツウェア少女の飛び蹴りで……地面がまるで爆散するように抉れ、盛大な土煙が舞った。

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