第3話
長い間、私の名前は『魔物の餌』だった。
ずっと前には、もっと人間らしい名前を持っていた気もするけれど、あまりにも幼く無知だった頃のことだから、もう忘れてしまった。
気がついた時には、私は大人たちの命令に従うだけの存在だった。
「おい、餌。仕事の時間だ」
低い声でそう言われると、毎日のことでも私は身体を強張らせてしまう。
今日血を抜き取られるだけだったので少しホッとする。肉を取られる時はとても痛いから。一番怖いのは直接魔物に与えなければいけない時だ。
魔物は魔力を喰らうことを喜びと感じる。魔物を従えるためには魔力持ちの血肉を餌にするのが良いのだと教えられたのは、いつのことだったろう……
魔物の歯が皮膚に食い込む感触を思い出して、ぎゅうと身体を丸めてしまう。血が取りにくい、と遠慮なく叩かれて、治っていない傷から痛みが広がった。
ああ、ずっとこうなのだろうか。私はずっとこうして、暗闇の中で血肉を育てるためだと食事ばかりは多く与えられて、それ以外は優しくされることもなく、一生を終えるのだろうか。
どうして私には魔力があるのだろう。どうして私は普通に生まれられなかったのだろう。
そんなことを毎日のように思いながら、解決する術もなく、うつらうつらとしていた時のことだった。
唐突に、私は居場所を移されることになった。
「どこに、行くんですか」
痛いほどに手を引かれながらも、気になって問いかけてしまった。久しぶりに話したせいか、喉が少し痛んで、けほこほと咳をしてしまった。
しかし返事はなく、私は荷台に詰め込まれて遠くへと運ばれた。
廃屋に近いような家に連れて来られて、今度はどんな魔物の餌になるのだろうと漠然と考えていた。
けれど現実とは、想像よりも遥かに悪い方へ行くらしい。
どん、と背中を押されて入った部屋の中には異臭が漂っていた。ぴちゃり、と足元で水音がする。恐る恐る下を見ると、そこは血溜まりとなっていた。
それから動物の毛や羽らしきものが散らばっていることにも気づく。
ひっ、と喉の奥から声が漏れた。その途端、暗い部屋の中の何かが動いた。
もぞり、と起き上がったそれが人間の、それも私と同じくらいの歳頃に見える男の子だと気づいた時の私の恐怖を誰かわかってくれるだろうか。
その子はゆっくりと私に近づいてきた。逃げようもない。だって私の後ろは扉でそれ以上後ろには下がれないし、扉は壊れかけとはいえ開けるには苦労するだろう。それに逃げたらどんな風に怒られるかわからない。
つまり私に残された選択は、その人が近づいてくるのをじっと見つめて待つか、目をつぶって待つかの二択なのだ。
怖いから目を閉じようと思った。暗闇は怖いこともあるけれど、私を包み込んでくれる馴染み深いものでもあった。
だけど、その子の深い青の瞳を見た時、目が逸らせなくなった。
薄暗い中でも目立つ、いやだからこそ引き立つ灰色の髪と青い目。海のようだ、と見たこともないのに微かにある知識だけで思った。
「わ、わたしを、たべるの?」
彼が無表情に私に近づき、鼻が触れ合いそうなほどの距離になったところで、私は耐えきれずそう尋ねた。
ぱちぱち、と音がしそうなほどの瞬きが繰り返された。とても驚いているようだった。
「食べない」
そしてひどく突然に、彼はそう宣言した。彼の声は今まで聞いた誰のものより優しく響いた。
「いま、決めた。食べない。だって、喋れるから」
「喋れるって、なに。私が?」
「うん、そう。喋れる。他のやつと、違う。僕も喋る。同じ。だから、食べない。食べ物じゃないから。言葉が喋れる。それは、食べ物じゃない」
彼は私と歳が近そうなわりには幼い喋り方をした。多分、あんまり人と話したことがないのだろうなと思う。
私も人と喋らないと話し方を忘れそうになるから気持ちは分からなくもない。
今、私を所有している人たちは手荒で無愛想だけど、前の人はもう少し優しかった。ほんの少しだけど、機嫌がいい時に話し相手になってくれた。それだけでも心の助けになった。
この子にはそういう相手がいなかったのだろうと推定をする。可哀想に。私と同じように閉じ込められて、好きに扱われているのだろう。
私が餌だとするのなら、この子はなんなのだろう。
「食べられるのかと思った。勘違いしてごめんなさい。私、ずっと餌扱いだったから。あなたもそうなのかなって」
ぐいぐいと私の手を無遠慮に引っ張り始めたその子に私はそう言ってみた。
さっきの大人の人と違って子どもなその手は私と同じように小さくて熱かった。
「食べるつもりだった。さっきまで。これから来るものを一気に食べてもいいし、少しずつ食べてもいい、好きにしろって言われてたから。どんなのかなって待ってた。そしたら、同じだった」
だから食べない、と自慢げに言われても私が笑えるはずもない。つい逃げるように身を引いてしまって、きょとんと見つめられる。
「どうしたの」
「……食べられそうになると、怖いでしょう。だって、ここには私とあなたしかいなくて、もうここまでと止めてくれる人はいないもの」
「もう食べない。なんで怖がる? 食べないから、大丈夫」
にこ、と笑ったつもりなのだろうが、随分と下手な笑顔だった。私が笑わなかったからだろう。彼は寂しそうな顔をして見せた。
それは私が時折、つい感情を寄せてしまう小さな魔物達に似ていた。少ししか吸血しないような魔物に私はつい可愛らしいと思ってしまうことがある。よくないとはわかっているのだけど。
「怖がらないで。さみしい。せっかく、同じだから、一緒にいられる」
お願い、おねがい、と何度もねだられると嫌な気もしない。
それに、魔物を可愛がるのは良くないとしても、人間であるこの子を可愛がるのは、そんなに悪いことじゃないかもとも思うから。
食べない、とこの子は言っているし、いつまでここにいられるかも分からないし、まあいいか。と私はさっきこの子がしたのと同じように手を取った。
「わかった。一緒にいましょう」
「うん。ずっと、ここにいていい」
今度の笑顔は私のを真似たのか、少し上手くなっていた。
二人になったというだけで時間は飛ぶように過ぎた。いつもはぼんやりしているだけの時間をお喋りで紛らわせるのだから楽しくて仕方ない。私と彼は同じところもあれば、随分と違うところもあったから。
彼がやっている、というよりやらされていることは最初はよく分からなかったけど、何度か説明されるうちに分かってきた。
彼は動物を食べることによって、一時的にその動物と同じ種属、つまりはウサギを食べたらウサギを、従わせることができるのだという。
「でも、魔物はなぜか難しいんだよね」
そう言いながら彼はいつものように動物をそのまま食べた。皮も剥がしていないし、そもそも焼いてすらいない。ちなみに今日はカラスのようだ。
よくお腹を壊さないな、と思うけど彼は平気らしい。これも私との違いだ。
「ほんとは、君は魔物にすごく好かれる、食べたくなるような人間だから、君を食べたら僕が魔物を従わせるのも上手くいくかもって言われてたんだけど、食べたくないから仕方ないよね。だって、君は喋るもん」
「ねえ、動物も、というか、魔物も喋ると思うけど、それはいいの?」
「そうなの? 僕には聞こえないけど」
聞こえるの? と不思議そうに尋ねられて、確かに聞いているのとは少し違うかもしれないと思った。
耳から、というより頭に響くように、言葉というより感情に似たものが流れてくるのだ。
魔物とはそういうものだとばかり思っていたけど、違うのかもしれない。
「魔物の思ってることがわかるのなら、君と一緒にがんばれば、魔物も操れるようになれるかな?」
「どうだろう。そうかもね。できるようにならないと、叱られるもんね。頑張ろうか」
「うん、できたらいいな。そしたら、君のこと食べなくて済むね」
私も喋るようになったからか、最初の頃より上手になった言葉を紡ぎながら彼は笑った。
私が魔物から聞いたことを彼に伝えるのも、それを踏まえて魔物たちに指示を出すのも、なかなか大変なことだったけど、何度も繰り返すことで成功するようになっていった。
最初に言いつけられたことは、空を飛ぶ小さな魔物を遠くまで飛ばし、指定された人に話しかけることだ。
その人に魔物越しに話しかけなければならないというのがかなり難しかった。なんでもその人は私たちと同じように魔力を持っていて、上手く使えるかどうか調べたいのだという。
それにしてはすぐに連れて来るわけでもなければ無理なお願いをするわけでもない。
向こうからこちらに来たいと思わせなければ意味がないのだと言っていた。よくわからない。だってそれなら、私たちはどうなるのだ。ここに来たいだなんて思ったことなど一度もないのに……
「一体、これがなんになるんだろうね」
今日も今日とて、よくわからない指示を二人で出しながらついそんなことを言ってしまった。
「わかんない、けど、でも」
「でも?」
「これをしているうちは、きっと、一緒にいられるから、嬉しい」
私が急に連れて来られたということは、きっと終わるのも突然なのだろうということを彼もわかっているらしい。
終わりなんてこなければいい。また一人になるのは嫌だった。
もし上手くいけばこれから忙しくなるぞ、と彼は言われていた。
怒られるよりはいいけど、仕事が増えれば一緒に話す時間も減ってしまう。けれど、仕事がなくなるのも嫌だ。一緒にいられなくなる。
これ以上大変になるのを少しでも先にしたくて、アヤ、とか呼ばれているその人の実験がまだ成功しなければいいのに、と私はつい思ってしまった。
私たちがいくら子どもとはいえ、遊び道具を与えてくれるような優しい人たちは私たちの周りにはいない。
だから、私たちは自分たちで遊びを考えた。もっと言うなら、私が前に考えた遊びを幾つか教えてあげた上で、二人で作ったのだ。
一番よくしたのは、音を鳴らす遊び。床や壁を手や足でこんこんと叩いたりして、キィキィという音やトントンという響きを楽しむのだ。
そして外から聞こえる音を口で真似する遊びも楽しい。彼は案外真似が上手くて、風の吹くウウゥというざわめきは本当に部屋に風が吹いたように響くのだ。
音を口にしている間は人の言葉を喋らない代わりに、私たちにしかわからない言葉を使っているようで、私たちだけの世界にいると錯覚できた。
二人きりで外の水音を真似しながらけらけらと笑った後、ふと思いついたことを口にしていた。
「あなたは名前をつけてもらったことある?」
私たちと同じように魔力を持っているのに名前をもらっている人のことが気になったから、そんなことを言ってしまったのかもしれない。
きょとんと私を見つめる彼に私は説明する。
「私は魔物の餌って長い間呼ばれてたけど、本当はもっとね、呼ばれるだけで嬉しくなるような短い響きの名前を付けられていた気がするの。ずっと昔の話よ。ちゃんと覚えてないけど、でもそうだったと思うの」
「うーん、お前とか、それとかは呼ばれてた」
「そういうのじゃなくて」
名前っていうのは、もっとずっと素敵なものなのよと力説してみたけど、ぴんときていないようだった。
「ねえ、お互いに名前をつけてみない?」
けれど私がそう提案すると、彼の目に喜びが宿った。
「私たちの間で呼び合うの。素敵じゃない? 普通の人間みたいで……」
自分の言葉に自分で傷ついてしまう。自分たちの置かれた環境が普通でないなんて、自分が一番わかっているのだから。
けれど彼は無邪気に頷いた。私が何を辛く思っているのかなんてわからないように。
「いいね、つけよう」
彼のうきうきとした様子を見ていたら、細かいことなんてどうでもよくなる。
素敵な響き、と考えるとやたらと長くなって覚えるのも大変なんてことになってしまったから、短くて口にしやすい名前にしようということになった。
私たちの中で短くて口にしやすいといえば、音から取るに決まっている。
その日、外は雨が降っているようで、古びたこの家にも雨粒が時折天井から降ってきていた。私たちは水の当たらない場所で身を寄せ合っていた。
二人ならば寒さもさほど感じない。雨音に耳を澄ませて口にするのも楽しい。
そして、ふっと、その名が私に降ってきたのだ。
「トト」
「それが、僕の名前?」
私のたった一言で、彼は全てを理解したみたいに笑ってくれた。
トットト、と振る雨音から取った名前だと言うと彼は、トトはとても喜んで、今度は自分の番だと言った。
トトはなかなか決められなくて、けれど私がトト、トトと呼ぶから早く私の名前も呼びたいらしく、彼にしては珍しく真剣に考えていた。
そしてある時、私と同じように名前が降ってきたようだった。
ひときわ強い、部屋の中にまで吹き込んでくるような、強い風の吹いている時だった。
「ルル」
「それが、私の名前?」
ああ、すぐにわかる。これが私の名前だ。私はルルだ。私はルルという人間なんだ。
ルゥルル、と流れる風の響きから取った私の名前。
こんなに嬉しいことがあるだろうか。
「トト」
「ルル」
そう呼びあって、私たちは手を繋いだ。
二人でいれば、なにも怖くはなかった。
ささやかながらも確かな幸せはひどく唐突に壊されるものなのだ。
大人たちが急に騒ぎ始めた。失敗だとか、バレたとか。よくわからないけど、『まろうぐん』に気づかれた、とか言っていた。
「お前らのせいだ!」
一人の大人が私たちにそう怒鳴った。それはいつものように、黙って大人しくしていればやり過ごせる怒りとは少し違う気がした。
「お前らが上手くやらないからだ!」
本人たちもどうしていいのかわからない怒りを私たちにぶつけている気がしたのだ。
でもそんなもの、私たちにぶつけられてもどうしていいかわからない。二人で身を寄せ合うしかないのだ。
「魔物を上手く従わせておかないから、こんなことになったんだ!」
叫ぶようにそう言って、私の身体は一瞬のうちに蹴り上げられた。視界の隅でこちらに手を伸ばすトトの手が見えた気がした。
げほ、と口から血の混じったものが出る。痛む腹を執拗に足蹴りにされた。
こんなにも人間に痛めつけられたことはない。魔物に肉を食わせるために私の体は必要以上に痛めつけられることはなかったから。
トトじゃなくてよかった。こいつの近くにいたのが私でよかった。痛い思いをしたのがトトだったらと思うと、耐えられない。
「もういい、そいつらは放って置いて逃げるぞ! すぐに見つかる!」
誰かの声に促されるようにして、私を蹴っていた人はどこかへ行ってしまった。
どうやら、ずっと誰かの所有物だった私たちは、唐突に捨てられることとなったらしい。
「ルル、ルル、ルル!」
どこかで風が吹く音がする、と思った。少しして私の名前がトトに呼ばれているのだと気づいた。
トトの手が肩に触れる。私の血に気づいたらしく、トトの口から微かに悲鳴が漏れた。
安心させてあげないと。怖がっている。あのトトが。そう思うのに、声が出ない。喉が引き攣ったようになって、お腹も痛くて、身体全部がじくじくとしている。
「ルル、ルル。どうしたの、声が出ないの?」
トトの声が泣いているように聞こえるのに、どうしても声が出ないのだ。
「喋れないの?」
トトの目が光った気がした。私の目の近くで深い青が瞬いている。
ああ、食べられるのかな。そう私は自然と思った。
喋るから食べないのなら、喋らないのなら食べるのだろう。理屈は通っている。
全部食べられてしまうのは、少し肉を食われるのとはわけが違うから、嫌だ怖いと思っていた。
だけど、どうせ死んでしまうかもしれない。私はもうダメかもしれない。それならば、食べられてしまうのも悪くはないかもしれない。
トトと一緒になれるのなら、それも悪くは……
「ルルのことは食べたくない」
そう思ったのに、本当にそう思ったのに、トトの言葉一つで心が動かされる。
「食べたくない。食べたくない。食べたくない!」
幼い子どもが駄々を捏ねるような言葉に涙が溢れた。
「喋れなくても、同じじゃなくても、食べたくない」
熱い体に抱きしめられて、私たち同じ生き物で違う人間だと思うのに、それでも離れたくはなかった。
辛うじて動いた手で、トト、と背を叩く。伝わっていてほしいと願った。
それからのことは、実のところよく覚えていない。
トトがずっと私を抱きしめてくれていたことと『まろうぐん』とかいう人が私たちを見つけたことはなんとなく覚えている。
私たちを捕まえに来たのかな。今度はこの人たちのために働くのかな。私の体はまだ使えるのだろうか。
そんなことをぼんやりと思っていると、大人の女の人二人が私の視界に入ってきたのだ。
「見つけた」
黒髪を一つに纏めた女の人がほっとしたように言っていたように思う。
「もう大丈夫。わかる? あなた達を助けに来たの」
夢うつつの中で、そんなことを言われた気がする。
「もう、大丈夫だからね」
金色の髪を肩の辺りで切りそろえた女の人も優しくそう言ってくれたはずだ。
それからのことは本当にもう覚えていない。ただトトはずっと私のそばにいてくれたということだけが確かだ。
私は熱が出てしまったし、傷がある程度治るまで随分と時間がかかったのだけど、その間もずっと二人は私たちの面倒を見てくれていたようだった。
悪い人じゃないと思う、と私が目を覚ますなりトトは言った。そこは見たこともないほど清潔な部屋で、トトはずっと私の看病をしてくれていたらしい。
二人の女の人は、ユーリさんとルカさんといった。魔狼群、というところから来ていて、私たちを使っていた人たちを捕まえるために来て私たちを見つけ、助けることにしたらしい。
私たちはその魔狼群という場所に連れて行かれるようだけど、今までみたいに何かしなければいけないというわけではないらしい。
ただの子どもとして保護されるのだと言われた。よくわからないけど、この人たちは痛いことはしないし、トトとも一緒にいられるなら、いいのかもしれない。
四人で魔狼群に行くのかな、と思ったけど少しの間、二人とは別れないといけないらしい。
この近くにはまだ悪い人たち、つまりは私たちを使っていた人たちがいるかもしれないのだ。そして私たちを取り返しに来ないようにするのだと言ってくれた。
私たちを連れて行ってくれる人は他にいるらしい。
「大丈夫。信用できる子だよ。私たちが面倒見てる? 見てた? 子だから」
ユーリさんが首を傾げつつ、よくわからないことを言った。ルカさんがふっと笑いながら言う。
「今も見てると思う」
「だよね、保護者離れさせたほうがいいかな?」
あっはっは、とユーリさんは楽しそうに笑って、もう寝なと私たちの頭をゆっくりと撫でてくれた。
その慣れた仕草にこの人たちに大切にされてきた人たちもきっと優しい人なのだろうと思えた。
私とトトが今まで寝たことのないほど柔らかな布団で眠っていると、どこからか聞いたことのない声が聞こえた。
「ユーリさんたちさぁ、人使い荒くない? 僕たちさ、ハルさんたちの護衛終わったばっかりなんだけど?」
「仕方ないだろ。一番信頼できて、なおかつここまですぐに来れるのが、二人しかいなかったんだから」
男の人の声に続いてユーリさんの声が聞こえたから、私は少しほっとした。
「うーん、そう言われると満更でもない気がしてくる。ラキナ、どう思う?」
「お前がユーリとルカに弱いのはいつものことだろ、シヴェル」
「そうだった。刷り込みだった。でも、ラキナも相当だよねぇ?」
楽しそうだなぁ、と眠たい頭でぼんやり思った。もしかして、ユーリさんたちが言っていた私たちを連れて行ってくれる信用できる子、なんだろうか。
眠たい目を擦りながら起き上がると、ルカさんが真っ先に私に気づいた。
「ラキナ、シヴェル。二人とも、声が大きい」
ルカさんの叱るような口調に、大丈夫だと何度か首を振ったのだけど、喋っていた二人は申し訳なさそうな顔をして謝ってくれた。
「ごめんね、起こしちゃった?」
そう言いながらユーリさんは優しく私の頭を撫でて、私と同じように起き上がってきたトトのことも同じように撫でた。
私とトトは眠っている間もずっと繋いていた手をぎゅっぎゅと握り込んで、まだ私の声があんまり出ないから、言葉を交わす代わりに頬を寄せ合った。
「自分達のこと、思い出すでしょ」
ユーリさんの言葉の意味はよくわからなかったけど、二人はお互いの顔を見ながら笑っていたから、多分悪いことではないのだろう。
その二人は改めて私たちと視線を合わせながら優しく名乗ってくれた。ラキナさんとシヴェルさん。きっと優しい人なのだろうと見ているだけでわかる。
ユーリさんたちと離れるのは不安だったけど、でもまた会いに来てくれると言うし、仕方のないことだ。
シヴェルさんは私の身体を抱き上げてくれた。もう大丈夫だと思うのだけど、まだ歩いてはいけないらしい。
「魔力持ちの子は回復が早いらしいけど、無理はダメだし、痛いものは痛いからね」
そう言いながらシヴェルさんは優しく私の頭を撫でてくれた。
嬉しいと思うけど、トトが見えにくいのが少し不安で、我ながら随分トトのことが好きなようだった。
そんなことを考えていると、ラキナさんがひょいとトトを掬い上げるみたいに抱いた。そして当たり前のように言う。
「目線、合った方がいいんだろ」
「ほんと、昔の僕らみたいだねぇ」
「それはお前だろ」
ぽんぽんと言い合う二人の穏やかな声を心地よく聴きながらトトと目を合わせては小さく笑い合った。
「大変だったでしょ。僕も捕まってたことがあるから、少しは大変さがわかるよ」
シヴェルさんが私の背を撫でながらあやすように言った。
「もう、大丈夫だからね」
その声の優しさに、もう本当に大丈夫なのだと実感できた気がする。
私たちのような目にあった人がこんなに優しくなれるのだから、私たちもきっと大丈夫だ。
私たちは、じどうしゃ、というものに乗った。ラキナさんが運転ということをしてくれるらしい。馬もいないのに動くなんて、どういう仕組みなのだろう。
私たちの隣に腰掛けたシヴェルさんは途中でごそごそと何かを取り出し始めた。
「あ、食べたらお腹痛くなったり、気分悪くなったり、身体が痒くなったりするようなものってある? 大丈夫?」
その質問の意味はよくわからなかったけど、大丈夫だろうと頷いた。トトならなおさらだ。
「はい、どうぞ。車の中ばっかりだと、退屈だよね」
そう言いながらシヴェルさんは手のひらに乗るほど小さくて、花の形に似た柔らかいものを渡してきた。
「お菓子だよ。そのまま食べれるからね」
飾りか何かかと思ったら、なんと食べられるらしい。驚く私をよそにトトは既にもうかじり始めていた。躊躇いというものがない。
私たちの様子を見てにこにこしていたシヴェルさんは運転するラキナさんに誇らしげに言った。
「ほら、いっぱい買っておいてよかったでしょ?」
「お前のは買いすぎ」
「でも、今回はそれがよかったってことで」
楽しそうに話す二人の音を聞きながら、私はそれを一口食べた。
味わったこともないその甘さは私の身体全部に伝わっていくようで、うっとりと緩まった口から久しぶりに「おいしい」という声がこぼれ落ちた。
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