第8章【2】

 魔法学研究所。フランクランの話を聞いたセヴィリアンは、少し難しい顔になる。

「聖女への謁見申請ね。確かに、聖女なら何か打開策を教えてくれるかもしれないわ」

 何も手掛かりを掴めていない現状、六花にはもう聖女に頼るほかに道はない。しかし、それは随分と難しい話であるようだ。

「わかったわ。上手くいくかはわからないけど、申請してみるわ」

「よろしく」エセルが言う。「上手くいかなかったとしても責めるつもりはないよ」

「そう難しく考える必要はないんじゃないかしら。申請は何千通とあるらしいけど、お付きの者がすべてに目を通しているみたいだし」

 明るく言うセヴィリアンに、六花は首を傾げた。

「封も開けずに捨てられると聞きました」

「謁見を許される事例があまりに少ないからそういう噂になるのね。聖女は困っている人を見捨てたりしないわ。けれど、ひとりしかいないから限られてしまうのよ」

 聖女への謁見申請は、様々な理由があるだろう。藁にも縋る思いで申請している者もいるはずだ。六花としても頼れる残りの綱としては聖女だけで、謁見が許されないとすれば、迷宮で手掛かりを探すことしかできない。

「リッカちゃんの渡航は異例だし、力を貸してくれるかもしれないわ。なんとか上手くやってみるわ」

「はい……よろしくお願いします」

 六花にはどうすることもできない。セヴィリアンに任せておくしかないだろう。

「次の迷宮は『月影の魔宮』だったわね」

「そうだよ」

「リッカちゃんのために、マールム晶石製の護符を用意しておいたわ」

 セヴィリアンが差し出した箱には、赤い石を嵌め込んだ護符が入っている。

「マールム晶石製ということは」六花は言った。「精神的負荷が溜まるのが早いということですか?」

「ええ。月が隠れているあいだは隠れ場所で待機することになるわ。そのときに精神的負荷が溜まりやすいの。『雪の結晶』を発動させないためにね」

 六花のスキルである「雪の結晶」は、精神的負荷を回復してくれるが、それと同時に迷宮内を転移してしまう。発動すれば、仲間から離れてしまうことになるのだ。六花の正気度が底を尽きた際に自動的に発動してしまうスキルで、発動させないためには精神的負荷を振り切らないようにしなければならない。

「今回は『隠れ身』を使う頻度がいままでより多くなるでしょうし、スキルの充填速度を上げる効果も付けておいたわ」

「ありがとうございます」

 六花が護符を首にかけると、エセルが口を開いた。

「今回はロザナと行動をともにするといいよ。隠れ場所を感知するスキルを持っている」

「魔宮限定だけどね」

 ロザナが肩をすくめるので、六花は首を傾げる。

「“魔宮”の名がつく迷宮でしか使えないスキルなんだよ」

「へえ……そんなスキルもあるんですね」

 六花のスキルはいままで攻略したすべての迷宮で発動した。「雪の結晶」は「精神的負荷が溜まりきったとき」という限定ではあるが、迷宮内であれば必ず発動するのだろう。

「今回は妖霊殺しの出現を狙うのでしょう?」厳しい表情でセヴィリアンが言う。「調査隊を同行させたいところだけど」

「月影の魔宮は一般の冒険者とっては危険度が高いよ」と、エセル。「リッカの『チーター』が発動するかも怪しい。今回の同行は危険だ」

「ええ」

「データは取れるだけ取るわ」ルーラが言う。「些細なことでも役に立つかもしれないしね」

「そう願うわ。とにかく、無事に全員で戻って来てちょうだい」

 彼らの表情は険しい。フランクランが危険度の高い迷宮だと認める場所で六花が彼らに付いて行けるのか。六花にはいつもその自信がないが、なんとしても「雪の結晶」の発動を防がなければならないらしい。いままでの迷宮も危険な場所であったことに変わりはないが、仲間たちを信じていくしかないだろう。



   *  *  *



 ルーラの転移魔法で降り立ったのは、陽の射し込まない鬱蒼とした森の中だった。先へ進んで行くと、大きな門が出迎える。その向こうは、崩れた建物や散乱した瓦礫、横転した馬車や破損した樽が転がる、頽廃した街だった。

「この街は元々大都市だったんだが」エセルが言う。「魔物の侵食によって壊滅したんだ」

「それで迷宮化したんですね」

「そうだね。それだけにマップも広い。リッカの『共鳴』を活用して攻略しよう」

「はい」

 それじゃあ後で、とエセルとルーラは迷宮へ繰り出して行く。月はまだ満ちている。妖霊はなりを潜めていることだろう。

「あたしたちも行こうか」

「はい」

 この迷宮は、月の満ち欠けが妖霊の出現条件となる。のんびり足を止めている暇はない。新月になる前にロザナの感知スキルで隠れ場所を探し、妖霊を躱さなければならないのだ。

「新月のときにしか妖霊が出現しないなら」六花は言う。「そのうちに柱を破壊するんですか?」

「そこがこの迷宮の厄介なところでね」と、ロザナ。「新月のときしか柱が出現しないんだ」

「じゃあ結局、妖霊を避けながら柱を破壊しないといけないんですね」

「そうだね。安全に行くために、柱を破壊したらリッカの『隠れ身』を使おう」

「はい」

 先頭をロザナが走り、それに続いて六花。しんがりはジルが務めた。空を見上げると、満月が徐々に欠けていくのが見える。月が出ているうちは妖霊が出現しない分、柱の間へ向かう速度を緩めるわけにはいかないだろう。

「妖霊殺しも新月のうちにしか出現しないんでしょうか」

「どうだろうな」ジルが言う。「実際に出現してみないとわからないな」

 妖霊が出現する新月のあいだは隠れ場所に身を潜めているのなら、今回は自分の「忍び足」は必要ないようだ、と六花は考える。妖霊殺しが出現すれば話は変わるかもしれないが、六花としてはいつもよりは気が楽だった。

「そこに隠れ場所がある」

 ロザナが先方を指差す。月はそろそろ隠れようとしている。間もなく妖霊が出現するだろう。

 一軒の建物の中にロザナは六花を促した。ジルもそれに続き、ロザナはドアの隙間から外を窺う。辺りが暗闇に包まれると、地面から影が立ち上がった。それは人型で、黒いドレスの女性に見える。

「あれは“夜会の淑女”」ロザナが声を潜めて言う。「耳と目が良くて、見つかると他の妖霊にあたしたちの居場所が共有されるんだ」

「柱はこの時間にしか出現しないんですよね」

「そうだね。でも、どこに出現するかは感知でわかるよ」

 建物の中はかなり暗い。妖霊が近くにいることもあり、六花は緊張で心拍数が上がるのを感じた。護符のおかげで多少なりとも楽に感じるが、マールム晶石を使用するに越したことはないだろう。

 そのとき、遠くない場所で破砕音が響いた。誰かが柱を破壊したのだ。その音を聞きつけ、夜会の淑女がふらふらと音のもとへ方向転換する。他に出現した妖霊はいないようだ。

「そろそろ月も出る。いまのうちに柱の間に向かおう」

 ロザナが建物を出る。月は少しずつ明るくなり始め、辺りに光が降り注いでいた。

「エセルさんとルーラは、自分の目で隠れ場所を探すしかないんですよね」

「そうだな」ジルが頷く。「だが、月が半分まで出れば妖霊は消える。そのあいだだけ逃げ切れば問題ない」

 エセルには逃走用の能力があり、ルーラには魔法がある。ふたりなら逃げ切ることはそう難しいことではないだろう。

「柱はこの道の奥だね」

「近くに隠れ場所があるといいんですが……」

 隠れ場所がなければ、六花の「隠れ身」を使用する必要がある。以前、セヴィリアンからスキルの充填速度を上げる魔道具をもらった。多少なりとも連発することはできるだろう。

 月が徐々に明るくなっていく中、シャリン、と軽やかな鈴の音が響き渡った。妖霊殺しの音だ。

「やっぱり現れたね。これで立ち止まっている暇はなくなってしまったみたいだ」

「どうするんですか?」

「次の新月まで近くを回るしかないね」

「だが、情報を得るためには妖霊殺しに接触しなければならない」

 いまの彼らには、妖霊殺しの情報が必要だ。六花がもとの世界に戻る方法や、この世界が六花にとってどんな場所であるかということを知っているとすれば妖霊殺しだ。

「難しいところだね。妖霊殺しが攻撃して来ないとも限らないし」

「ですが、僕は妖霊殺しに守られました」

 前回の攻略。魔宮石の破壊の際、謎の怪異が六花に迫っていた。妖霊殺しはそれを斬り、魔宮石を破壊した。六花は妖霊殺しに助けられていた。

「とりあえず」と、ロザナ。「“共鳴”でエセルとルーラに妖霊殺しの出現を伝えよう」

「わかりました」

 六花は頭の中でスキルの発動を意識する。エセルとルーラを示す青い点は、かなり離れた場所に表示された。妖霊殺しもまだ遠い。走っていれば追いつくことはないだろう。妖霊殺しはやはり緑色の点として表示されている。

「月が半分、出たね」ロザナが言う。「これで妖霊が消えたはずだ」

 辺りは光景が見渡せる程度に明るくなった。しかし、背後からは妖霊殺しの鈴の音が響き続けている。

「あれは妖霊ではないようだな」ジルが言う。「だが、人間でもない」

「あの……少し立ち止まってみませんか?」

 精神的負荷が溜まっていることを自覚してマールム晶石を握りつつ、六花はほんの少しの不安とともに提案した。

「月が出ているあいだは妖霊は出ないんですよね」

「そうだね。賭けではあるけど、どうせ撒くこともできないからね」

 ロザナが速度を落とすので、六花とジルもそれに続く。月は順調に満月に向かっていく。三人が足を止めると、月明かりの中に妖霊殺しのお面が照らし出された。しかしそれ以上に近付いて来ることはなく、距離を置いたところで立ち止まる。

「あんたが知っていることを、ぜんぶ話しな」と、ロザナ。「リッカの何を知っているんだい」

「あなたたちには知り得ないこと」

 冷たく言い放ち、妖霊殺しは口を閉ざす。友好的でないことは確かだった。

「だから、それを言えと言ってるんだよ」

「私の言葉に意味はない。六花のための言葉は存在しない」

 その冷ややかな声は、六花を突き放すようだった。

 情報を得るのは難しいか、と六花が肩を落としたとき、上着のポケットの中でスマートフォンが震えた。小さく声を上げる六花を、ロザナとジルは警戒した表情で振り返る。スマートフォンの画面は、仄暗い中で着信を告げていた。





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臆病者がチートスキルだけで異世界迷宮攻略~最高峰クランの魔銃士に溺愛されて困ってます~ 加賀谷 依胡 @icokagaya

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