第6章【5】

 妖霊殺しに背を向けて走っているうちに、六花は息が上がってきた。体力増強剤を取り出した六花の手を、エセルが制する。

「リッカは精神的負荷がかかっている。これ以上に体力増強剤を飲んでは負担が大きくなってしまうよ」

「この近辺に妖霊の気配はない」と、ジル。「妖霊殺しもだいぶ引き離せた。少し歩こう」

「はい」

 シャリン、と軽やかに鳴る鈴の音は微かに聞こえる程度で、ついて来ていることに間違いはないが、すぐに追いつくことはできない程度に距離が空いているだろう。ひと息つく好機である。

「隠れ場所で体力を回復できないのが辛いですね」

「そうだな。妖霊殺しが俺たちにとって無害かどうかは、まだ確認ができていないからな」

 妖霊殺しは、隠れ場所に身を潜めていてもこちらを観測する。攻撃して来ることがないとは言え、妖霊であることは確かだ。攻撃して来ないことが安全性の証明になるとは言えない。

 六花が大きく深呼吸していると、エセルのそばで光が瞬いた。報せ鳥だ。

「ルーラが柱を破壊したそうだ」

「あとひとつ……。素材回収もできていませんが……」

「妖霊殺しがついて来ているのだから仕方ない」ジルが肩をすくめる。「そんな場合ではないさ」

 妖霊殺しが追跡を続けていることは確かで、追いつこうと思えばいくらでもできるだろう。それでもこちらの様子を観察しているような気配で、六花には、こちらが攻撃を仕掛けるのを待っているようにも感じられた。そもそも彼らは妖霊を倒せない。攻撃など仕掛けようもないのだ。

「妖霊殺しについて確認できている情報はあるんですか?」

「まずは妖霊を殺すこと」エセルが言う。「隠れ場所にいてもこちらを観測して来る。追跡を切ることはできない。それくらいだね。妖霊であることに間違いはないから、近付かないようにしているよ」

「そう考えると」と、ジル。「妖霊殺しが俺たちに攻撃して来るかどうかは確認ができていないな」

「妖霊は近付かなければ攻撃して来ないですからね……」

「そうだな。だが、リッカの透視には緑色に表示されている。リッカにとっては味方なのかもしれない」

 妖霊殺しなどという存在に、六花は心当たりがない。そもそもここは異世界で、迷宮に知り合いなどいるはずがない。味方と思われるとしても、自ら近付こうという勇気はなかった。

 しばらく歩いていると、林の向こうに見えていた観覧車が目の前に現れた。眩く光り輝く観覧車に目を細めつつ、そういえば、と六花は呟く。

「遊園地跡にしては、遊園地の部分が少ないですね」

「遊園地のような内部構造をしているから遊園地跡と呼ばれているだけだ」と、ジル。「実際に遊園地だったわけではない」

「なるほど……」

 きゃはは、と楽しげな声が観覧車から響く。何重にも反響しているように聞こえ、ジルとエセルの耳にも届いているらしい。

『六花が来た』

『おかえり、六花』

『うわ、あいつがいる』

『あいつ嫌い』

 子どもの声は、三人の背後を追跡する妖霊殺しに反応しているようだった。妖霊殺しはまだ充分に距離がある。何か意図があって三人を追跡しているのだろうが、敵意を持っているわけではないことは六花にもわかった。

「そういえば……」六花は思い出して言う。「僕は妖霊殺しが出現してから“隠れ身”を使っています。それなのに、追跡が切れていないんですね」

「そういえばそうだね」エセルが言う。「でも、一本道だったし、そのまま前方に進んでいるうちにまた観測したのかもしれない」

「これだけ離れていても追跡が続くのだから、感知の範囲が広いんだろうな」

 六花は、自分に度胸があれば妖霊殺しの真意を掴むために接近していただろう、と考える。攻撃して来ることがないのなら、少しでも接近すれば何かわかることもあるかもしれない。しかし、ジルとエセルを危険に巻き込む可能性があると考えると、度胸がないことは間違いではないようだと考えていた。

「それに、妖霊殺しが現れてから、僕はマールム晶石を使っていません。精神的負荷が大きくないように感じます」

「となると」と、エセル。「妖霊殺しがリッカの精神的負荷を軽くしているのかな」

「妖霊殺しがリッカの味方である確証を得られるといいんだがな」

 そのためには多少なりとも危険を冒す必要があるのだろう。六花の“透視”に緑色に表示されるのは偶然で、高い攻撃性を隠しているのかもしれない。

 そう考えていたところで、六花はふと空気が変わったような気がして背後を振り向いた。

「妖霊殺しの音が消えたな」ジルが言う。「“透視”で見てみろ」

「はい」

 スキルを発動した六花の中に浮かんだマップからは、緑色の点が消えていた。

「追跡が切れたんでしょうか」

「妖霊殺しは出現と消滅を繰り返す」と、エセル。「消えたとしても一時的だと思うよ」

「ついでに“共鳴”でロザナさんとルーラに位置を伝えておきますか?」

「そうだね。そうしよう」

 位置情報を共有するスキル“共鳴”を発動すると、六花の耳の奥でカコンと甲高い音がする。それと同時に、頭の中のマップにそれぞれの居場所が共有されるのだ。

「ロザナさんは近くにいますね」

「ルーラは魔宮石の間からだいぶ離れているようだ」

 六花は迷宮攻略にいまだ慣れることはできていないが、彼らは迷宮専門クランの最高峰。魔宮石の間から離れているからといって怯えるようなことはないのだろう。

 そこへ報せ鳥が届く。それはロザナからのもので、三人の位置情報を掴んだことで報せを出して来たようだ。

「僕たちの近くに柱があって、ロザナが破壊しようとしているらしい。走れるかい」

「はい」

 ロザナが最後の柱を破壊しようとしているなら、ここから離れなければ破壊音で妖霊が集まってしまう。妖霊殺しが姿を消したいま、妖霊たちの恐れるものはなくなったはずだ。

 六花が体力増強剤を飲み下していると、遠くない場所から破砕音が鳴り響く。エセルが呆れたように肩をすくめた。

「ロザナは相変わらずせっかちだ」

「だが、いまなら安全に移動できる。行くぞ」

「はい」

 妖霊は柱を破壊した破砕音に反応してロザナのほうに寄って行くだろう。ロザナならひとりでも無事に逃げ切れるはずだ。彼らは迷宮専門クランの最高峰なのだから。


 ようやく魔宮石の間に辿り着き一枚目の扉の内側に入ると、六花は大きく息をついた。妖霊殺しが近くにいた効果で精神的負荷は軽く済んだが、疲労が溜まっていくことに変わりはない。妖霊殺しの追跡があってか、これまでの道が長く感じられた。

「無事に到着できてよかった」エセルが言う。「特に手掛かりになりそうなことはなかったね」

「妖霊殺しのことが気になります。あの雰囲気……僕の世界の文化に似ています」

 つくづくと見たわけではないが、妖霊殺しが和装に刀を持っていたのは見えた。狐の面も和の雰囲気を感じさせる。この洋風な世界で一段と目立つ存在で、これまでの妖霊とまったく異なる風采であることがよくわかった。

「リッカに反応していたと考えると」と、エセル。「リッカに近しい存在なのかもしれない」

「だが、妖霊殺しのおかげで仮面の外科医を躱せたのは得をしたな」

「確かに……。妖霊殺しがいなければ、ロザナさんは危なかったかもしれませんね」

 そう話していると、扉の前に足音が近付いて来た。六花は少しだけ身構えてしまったが、ジルとエセルが警戒する様子はない。扉を開けたのはルーラだった。

「みんな、無事でなによりだわ」

 その明るい笑みを見た途端、六花は心の底から安堵していた。

「ルーラも無事でよかった。何もなかった?」

「ええ。そっちは妖霊殺しが出たみたいね。リッカは大丈夫だった?」

「うん。妖霊殺しが出たおかげでロザナさんを無事に救出できたし」

「確かに、妖霊は妖霊殺しから逃げるものね」

 妖霊殺しが出現しなければ、ダウンしたロザナのそばには仮面の外科医がいただろう。そうなれば、ロザナの救出は困難なものになっていたかもしれない。妖霊殺しの出現は、彼らにとって好機だったと言える。

「妖霊殺しって、どんな妖霊?」

「詳しいことは何も」ルーラは肩をすくめる。「初めて出現が確認されたのも、この数ヶ月のことよ。ただ、目撃しているのはあたしたちだけみたいだわ」

「そうなの?」

「他の迷宮クランからそんな情報は入ってないってブラントが言ってたわ」

 ブラントはフランクランが信頼している職員で、冒険者ギルドでも相応の地位を得ているだろう。そのブラントのもとに情報がないなら、本当に何も情報がないということなのだ。六花がそう考えていると、でも、とルーラが顎に手を当てる。

「リッカは、あたしたちのもとに来ることが決まっていたかのようなスキルを持っているわ。もしかしたら、リッカが現れるから妖霊殺しが出現したのかもしれないわ」

「…………」

 もともと異世界の人間であったはずの六花が、なぜか迷宮自体に観測されている。まるで最初から六花のことを知っていたかのような。妖霊殺しもそうだとしたら、六花がこの世界に、フランクランのもとに来ることは決まっていたということだ。皮肉なことに、チートスキルがそれを証明しているようだった。

「そんなことはあり得ない」ジルが言う。「偶然、時期が重なっただけだ」

「……そうね。ごめんなさい、リッカ。変なことを言って」

「ううん……」

 六花が俯いているうちに、また扉が開いた。息を切らせたロザナが滑り込んで来る。

「はあ……疲れた」

「お疲れ様、ロザナ。大変だったみたいね」

「まあね。今回もリッカのおかげでなんとかなったよ」

「お役に立ててなによりです」

 ロザナに微笑んで見せながら、六花は先ほどのルーラの言葉が引っ掛かり続けていた。妖霊殺しが妖霊を遠ざけることを彼らが初めて知ったのなら、妖霊殺しが六花を観測していたことに間違いはないのだ。

「とにかく、魔宮石を破壊しよう」エセルが言う。「妖霊殺しのおかげで楽に済んだけど、リッカが負荷を溜めているのは確かだ」

「そうだね。あたしも早く宿のベッドで休みたいよ」

 ルーラが魔宮石の間の扉を開く。怪しく紫色に輝く魔宮石は、迷宮の終わりを告げているようだった。

「リッカ!」

 ひとつ息をついていた六花は、ジルが鋭く呼ぶので振り返る。その途端、ヒッと喉が引き攣った。あの紫色のドレスの女が間近に迫り、六花に手を伸ばしている。もう目と鼻の先で、その指先は六花に届こうとしていた。

『……六花……私の可愛い六花……』

 そのとき、シャン、と軽やかな鈴の音が鳴り響く。紫色のドレスの女の背後に、微かな光とともに妖霊殺しが姿を現した。六花が息を呑んだ一瞬のうちに、鋭い一閃が女を斬り裂く。五人が呆然とその光景を眺めているあいだに、妖霊殺しの細長い刀が魔宮石を貫いた。凛とした鈴の音とともに、魔宮石が破砕音を立てる。

『六花。あなたはここにいてはいけない』

 少女の声が言った。優しさと力強さを感じさせる声に、六花はハッと息を呑む。

『ここは、あなたが本来いるべき場所。あなたの帰還を喜んでいる。この世界に染まれば、あなたはお父様のもとに帰れなくなる』

「……本来……いるべき場所……」

 六花は力なく呟いた。その言葉が脳内に到達しても理解が及ばない。カツン、と刀が床に落下する音が虚しく響く。

『六花、あの女を許さないで。探して。雪の結晶は――』

 妖霊殺しの言葉が最後まで紡がれる前に、辺りの景色が歪んだ。それと同時に妖霊殺しも姿を消す。六花の中に影を落としたまま、彼らは日の傾く平原に放り出されていた。

「街へ帰りましょ。とにかく休まなきゃ」

 ルーラの転移魔法が彼らを街へ送る。迷宮とは正反対に存在するような喧騒が耳に届いても、六花はただ茫然と立ち尽くしていた。

「リッカ、診療所に行こう」

「はい……」

 ジルに肩を押され、六花はようやく街へ足を踏み入れる。診療所に向かうあいだ、妖霊殺しの言葉が何度も脳内で繰り返されていた。

 ――あの女を許さないで。

 脳裏にぼんやりと浮かんだ影が、六花の背筋を凍り付かせる。

(……あの人が……僕を、この世界に……?)

 考えれば考えるほど頭は混乱し、心の中を埋め尽くすような絶望感に、六花は涙が溢れて止まらなくなった。

(どうして……やっと、離れられたと思ってたのに……)

 慰めるように六花の肩を抱いたジルがハンカチを差し出す。六花はそれを受け取っても、礼を口にすることができなかった。

「妖霊殺しが妖霊であることに変わりはない。お前の精神を揺さぶるためにああ言っただけだ。真に受けるな」

「……でも……みんな、僕の名前を呼んでいました……。僕を知ってるんです」

「正しい手順で渡航して来なかったリッカの存在に迷宮が過剰反応しているだけだよ」エセルが言う。「明日、セヴィリアンのところで魔力回路を鑑定しよう。魔力回路がこの世界の魔力ではないと確かめよう」

「……でも……この世界の魔力だったら……」

「落ち着いて」と、ルーラ。「この世界がもとの世界と繋がるのは確かよ。必ず帰る方法はあるわ。諦めずに一緒に探しましょ」

「…………」

 六花は乱暴に顔を拭き、どうにか心を落ち着けようとした。それでも涙は止まらず、クォルツの診療所に到着しても俯いたままだった。そんな六花に、クォルツは優しく肩を叩く。

「随分とお疲れのようですね。さ、こちらにおいでなさい」

 クォルツは六花を診察台に促す。六花はまた乱暴に顔を拭いて、次に目を覚ますのが自室であるようにと祈りながら体を横たえた。クォルツの温かい手が頬を撫でると、誘われるように眠りに落ちていた。



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