第6章【4】

 六花が体力増強剤を飲むと、エセルは全員に「速力強化」の魔法をかけ、電話ボックスをあとにする。六花はそれに続きながら、自分の提案であるが緊張で体が強張った。本当にそれが遂行できるのか、自信はないが、ロザナのためにやるしかないのだ。

 少し走ったところでエセルが足を止め、地面に向けて魔笛を撃つ。その衝撃で伸びた美しき棘が、鈴の音を含んだ銃声で散っていく。魔笛の銃声音が鳴るまで足を止めることになるが、つるに捕まればもっと時間がかかるのだろう。美しき棘は妖霊の一種である。剣戟は効かないのだろう。

 微かにダビデの叫びが聞こえると、ジルが六花の手を取った。急速に脚力が上がり、あっという間にダビデを引き離す。ジルのスキル「疾走」だ。ダビデの叫びが少しでも六花の耳に届けば六花は動けなくなる。早急にこの場を離れる必要があった。

 そのとき、不意に六花の脳内で、シャリン、と鈴の音が鳴った。

 ――探して。

 女の子どものような声が、六花の脳内に流れ込む。ジルとエセルの様子を見ると、この声は六花にだけ聞こえたらしい。辺りを見回しても、発生源と思われるものは何もない。だが、攻撃ではないようだった。

(でも、いまの声……)

 六花が考えに耽りそうになったとき、エセルが口を開いた。

「道化師だ。リッカ、“隠れ身”を発動してくれ」

「はい」

 六花がスキルを発動するのとほとんど同時に、暗い電灯に色鮮やかな風船が映し出される。ケタケタと不気味に笑いながら、向こうから道化師が歩いて来ていた。いまなら真横を擦り抜けても観測されない。いまだに妖霊のすぐそばを通り抜けることに六花は慣れることができないが、自分のスキルの有用性はすでに証明されている。その点で自分のスキルを信用する必要があった。

 六花のスキルの効果が切れてきた頃、前方に見えた物に三人は足を止めなければならなかった。灰色の壁が道を塞いでいたのだ。

「なんでこんなところに壁が……」エセルが呟く。「ここまで一本道だったはずだ」

「離れていろ」

 ふたりに言ったジルが、銃を壁に向けて撃った。しかし、壁には銃弾がめり込むだけで、崩れる様子はない。随分と頑丈な壁のようだ。

「引き返すしかないのか……」

 エセルが顔をしかめて言うが、六花はこの状況に心当たりがあった。

「妖霊に破壊させるのかもしれません」

 六花の言葉に、エセルとジルは不思議そうに六花を見遣る。

「ここに魔笛を撃つんです。その音で寄って来た妖霊が破壊してくれるかもしれません」

「なるほど……」

「“隠れ身”はすでに切れている」ジルが言う。「身を隠す必要はあるな」

 先ほど道化師とすれ違ったばかりで、方向転換して戻って来る可能性がある。それをやり過ごすため、どこかに隠れておかなければならない。

「試してみよう」と、エセル。「その案内板の裏でやり過ごせるといいんだけど」

 ジルが六花とエセルを案内板の裏に促す。ジルは慎重に辺りを見回してから、壁に向けて魔笛を放った。ジルも案内板の裏に身を潜め、魔笛の銃声を待つ。ややあって鈴の音が鳴り響くと、三人が走って来た方向からダビデの叫びが近付いて来た。

「よりによってダビデか」ジルが舌を打つ。「リッカ、耳を塞いでいろ」

「はい」

 両手で耳を塞いでも、ダビデの不快な悲鳴は六花の鼓膜を不穏に揺らす。六花の知識が役に立つのかどうか。それはこの不気味なダビデに賭けてみるしかない。

 六花の心拍が上がり始める中、ダビデが壁の前で足を止める。それから、ドン、と壁に両手を振り下ろした。ドン、ドンドン、と力強く拳をぶつけると、派手な音を立てて壁が吹き飛んだ。六花の知識通りの行動だった。

「上手く行ったね」エセルが言う。「あとはもとの道に戻ってくれるといいんだけど」

 そのとき、シャリン、と軽快な鈴の音が鳴り響いた。ジルとエセルが、一様に顔をしかめる。

「まずいな」と、ジル。「妖霊殺しだ」

「妖霊殺し……?」

「妖霊の一種だ。感知でこちらを観測して来る」

「ここから離れないといけないね」

 シャリン、と軽やかな鈴が徐々に近付いて来る。真っ先に反応したのはダビデだった。前方に進もうとしていたダビデが、鈴の音を振り返る。それを見守る中、六花はふと顔を上げた。

「“隠れ身”の充填が終わりました」

 ブラントからもらった「星の砂時計」の効果で、スキルの充填速度が上がっている。短時間でまた“隠れ身”が使えるようになるようだ。

「“隠れ身”で一気に撒こう」と、エセル。「走れるかい」

「はい」

 六花がスキルを発動すると、エセルは即座に案内板の裏から駆け出す。六花はどうしてもダビデの行く末が気になり、エセルのあとに続きながら後方を見た。シャリン、と鈴を鳴らすのは狐の面を被った人型で、袴と羽織りを身に纏っている。遠くから見てもわかるほどの長身で、鈴の音がするのは刀だった。唸るような悲鳴を上げながらダビデが近付くと、鋭い一閃がその体を斬り裂く。耳を劈く悲鳴を上げたダビデは、塵のように消えていった。

「リッカ、前を見ろ」

 ジルの言葉で六花は視線を前方に戻す。軽やかな鈴の音は、そのまま六花たちのあとを追っているようだった。

「あれはなんですか?」

「見ての通り、妖霊を殺す妖霊だ」エセルが言う。「妖霊を殺すことのできる唯一の存在だね」

「いつ、どこに現れるかわからない」と、ジル。「なぜ妖霊を殺すのかもわかっていない」

「リッカの“隠れ身”がなければ躱せない状況だったね」

 鈴の音は徐々に遠ざかっているが、一定の距離で鳴っているように感じられる。六花は“透視”を発動した。欠けたマップにロザナとルーラが青い点で表示される。三人の後ろについて来る妖霊殺しは、緑色で示されていた。妖霊は赤色の点で表されるはずで、緑色は初めて見る。

「どうして緑色なんだろう……」

 呟いた六花を、ジルとエセルが振り向く。六花はふたりの手を取り、透視による表示を共有した。

「この世界ではどうかわかりませんが、僕の世界では、緑色は味方の色のひとつです。厳密には妖霊ではないのでしょうか」

「だとすると」と、エセル。「リッカの味方ということだろうか」

「そうだとすれば、妖霊を殺す説明がつく」ジルが言う。「リッカを守っているということだ」

 六花の存在は迷宮自体に観測されている。妖霊殺しがこの迷宮に出現したのは、六花に反応したからなのかもしれない。六花はそう考えつつ、足を動かすことに意識を戻した。

「でも、他の冒険者にとっては敵なんですよね」

「厳密には敵とは言えない」と、エセル。「こちらを観測しても攻撃して来ないんだ」

「だから妖霊殺しと呼ばれている。このまますべての妖霊を殺してくれれば楽なもんだがな」

 冒険者の最大の敵である妖霊を殺す存在。そしてこの世界に不釣り合いな和装。六花には、妖霊殺しに何かが隠されているような気がした。


 妖霊殺しが一定の間隔を空けてついて来る気配を感じながら、ロザナの待つ地点へと到達する。六花の“透視”に表示される赤い点はなく、この辺りに妖霊はいないようだ。

 ロザナは案内板にもたれ掛かって三人を待っていた。

「ロザナさん、大丈夫ですか?」

「ああ。かっこ悪いところを見せちまったね」

 六花はロザナの手を取る。スキル“救援隊”が初めて役に立つときがきた。六花の手から溢れた光がロザナに吸収される。光が収まると、ロザナは大きく伸びをした。

「助かったよ。動けなくて肩が凝った。ありがとう、リッカ」

「無事でよかったです」

 六花の頭を乱暴に撫でたロザナが、ふと真剣な表情になる。

「妖霊殺しの音が聞こえた。近くにいるんだろう?」

「ああ」エセルが頷く。「僕たちのあとについて来ているよ」

「そう。でも、妖霊殺しの音で仮面の外科医が逃げて行ったのは助かったね」

 妖霊殺しは妖霊を殺す。妖霊が警戒したとしてもおかしくはない。妖霊殺しが近付いているとなれば、狂気に満ちた仮面の外科医でも逃げ出すことだろう。

 そこへ報せ鳥が届いた。ルーラからの伝言だ。

「ルーラが柱をひとつ破壊したらしい」エセルが言う。「順調みたいだね」

「あとふたつか」と、ロザナ。「速攻で終わらせたいところだね」

「よろしく。僕はリッカを魔宮石の間に送って行くよ」

「妖霊殺しがついて来てるならそれがいいね。でも、妖霊殺しが近くにいるなら、ある意味では安全なんじゃない?」

 妖霊殺しは鈴の音を立てながら徘徊している。仮面の外科医も逃げ出すとなれば、ロザナの言う通り、妖霊殺しがついて来ている利点もあるようだ。

 ロザナが六花の手を取る。六花の脳裏に、欠けたマップが表示された。ロザナが辿って来た道が、六花の頭の中にあったマップと融合する。

「魔宮石の間までまだ遠いな」ジルが呟く。「また広くなったようだ」

 シャリン、と鈴の音が背後で大きくなった。妖霊殺しがこちらとの距離を確実に詰めていた。

「それじゃ、またあとで。幸運を祈るよ」

「ロザナさんもお気を付けて」

 別の道に駆け出すロザナを見送って、三人もまた前方に向かって足を踏み出した。妖霊殺しから距離を取るためには、まだマップの奥側に進んで行く必要がある。

「確かに、妖霊殺しが近くにいるいまならむしろ安全だな」ジルが言う。「仮面の外科医すら逃げて行ったのなら、美しき棘にだけ注意していればいい」

「でも、さっきのダビデは向かって行きましたよ」

「妖霊殺しは出現が確認されてからまだ間もない」と、エセル。「その存在を知らない妖霊もいるはずだよ」

「なるほど……」

 妖霊殺しは妖霊にとって最大の敵と言える。人間は妖霊を倒すことができない。妖霊にとって、冒険者は恐れる存在ではないだろう。妖霊殺しが妖霊であることに間違いがないのなら、冒険者も警戒する必要がある。妖霊殺しが三人について来るということは、三人は観測され、追跡が切れていないことになる。六花はそのことが気にかかっていたが、いまは妖霊殺しから距離を取ることが先決だ。妖霊殺しが冒険者にとって危険な存在であるかどうか、それはいまだ証明されていないのだ。




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