第6章【3】

 メリーゴーランドの地点から離れてしばらく、また道が左右に分かれていた。六花が方位磁石を取り出すと、赤い針は左前方を差している。方位磁石に従うなら、左の道を選ぶべきだろう。しかし、先ほどの六花の“透視”では、左方向には道化師がおり、右方向には美しき棘が埋まっていた。

「右の先にダビデの気配があるな」と、ジル。「美しき棘を魔笛で散らせばダビデが寄って来てしまう」

「それなら左に行くほうがいいですね。ダビデは僕が耐えられるかどうか……」

「そうだね」エセルが頷く。「避けられるものは避けていこう」

 エセルが先頭に立ち左の道へ進んで行く。六花はそれに続きながら、そろそろ隠れ場所があるといいのだが、と考える。立ち止まって休憩していれば、そのうち妖霊が寄って来る。隠れ場所の他に安全な場所はないのだ。

 遠くからずっと音楽が聞こえている。近付きもしないし、離れもしない。おそらく音楽がよく聞こえる地点があるだろう。それにより正気度を削られれば、六花は耐えられないかもしれない。それでも、エセルの固有スキルで精神的負荷耐性が少しだけついていることで、六花はいつもより落ち着いていられるように感じられた。

「あそこ」

 ケタケタと不気味な笑い声が聞こえてきたとき、先を走るエセルが前方を指差した。そこには、大きな電話ボックスがある。道化師が近付いて来る中、エセルは電話ボックスの中に六花を促した。ここが遊園地跡の隠れ場所らしい。三人で入ると少し狭いが、複数人で入れる隠れ場所はありがたいと六花に思わせた。

 風船を手にした道化師が、気味の悪い笑い声を立てながら電話ボックスの前を通り掛かる。六花は咄嗟にマールム晶石を手に取った。

『六花……どこにいるの……帰って来てくれて嬉しいよ……早くきみに会いたいよ……』

 譫言のようにぶつぶつと呟きながら、道化師は六花たちが走って来た方向へ進んでいく。またしても妖霊に名を呼ばれたことが六花には引っ掛かった。

「僕はもともとこの世界に居たということでしょうか……」

 自信なく言う六花に、うーん、とエセルは首を捻る。

「これだけ妖霊に名前を呼ばれているとなると、違うと断言することはできないね」

「…………」

「リッカの世界ではどうかわからないけど、この世界では異世界渡航は当たり前のことなんだ」

「異世界渡航……」

「意図的に異世界へ渡ることができる。でもその場合、魔力回路を渡航先に合わせる必要がある。そうしなければ魔力酔いを起こすんだ」

 六花は自分の世界で、異世界渡航などという仕組みを聞いたことはない。ラノベ知識により魔力回路というものはなんとなく想像がつくが、渡航先に合わせる、ということがよくわからなかった。

「渡航先に魔力回路を合わせるのは、魔力が世界ごとに異なるからなんだ。リッカは魔力値ゼロだけど、魔力回路はどの世界の誰でも持っているとされている」

 六花の世界には魔法は存在しない。自分が魔力回路を持ち合わせていることは甚だ疑問だが、魔法が存在する世界のエセルがそう言うなら、それは本当のことなのかもしれない。

「リッカが魔力回路を合わせずにこの世界に来たのだとしたら、魔力回路がこの世界に適合したことになる。そうすると、もともとこの世界に居たということは充分に考えられる。ただ、そうなれば、もとの世界で魔力酔いを起こしていたはずだ。ふたつの世界を行き来して魔力酔いを起こさないなんて、ほとんどあり得ないことだよ」

 魔力酔いというものがどんなものであるか六花にはわからないが、エセルの言うことはなんとなく理解できる。魔力酔いというものは、おそらく体調を崩したり精神に異常を来したりするのだろう。六花はもとの世界でもこちらの世界でも、特に体調を崩すことはない。特に、もとの世界では風邪をひくことすらあまりなかった。魔力酔いを起こしていないことはよくわかる。

「可能性としては、母親がこの世界の人間だったということだね」

 その言葉に、六花は何も言えずに俯いた。母親のことはよく覚えていない。忘れたかったから忘れてしまった。いまとなっては確かめる術はない。

「妖霊の言うことを真に受けるな」ジルが言う。「妖霊はリッカの何かに反応しているだけ。街に戻ったらセヴィリアンに魔力回路の鑑定をさせればいい」

「そうだね。この先、何か異常が出て来るかもしれないしね」

 そうであるといい、と六花は思った。六花がもともとこの世界に居たのなら、向こうの世界に帰ることが難しくなるのかもしれない。そうであれば、本当に父をひとりにしてしまう。

「精神的負荷がかかっているから弱気になるだけだ。とにかくいまは進むぞ」

「はい……」

 そこへ、六花の暗い気持ちを断ち切るように光が瞬いた。エセルが手を伸ばしたのは報せ鳥だった。

「ルーラがひとつ目の柱を破壊したらしい」

「それなら、妖霊はルーラのほうにおびき寄せられているはずだな。いまのうちに進むぞ」

 ジルに背中を押され、六花は電話ボックスを出るエセルに続く。ここが危険な迷宮の中で、魔宮石を破壊するまで耐えなければならない。それでも、六花の頭の中は先ほどの妖霊の言葉に支配されていた。

 しばらく進んで行った先は、色鮮やかな光が溢れている。またメリーゴーランドが彼らを出迎えた。メリーゴーランドは稼働しており、子どもの影が楽しげに遊んでいる。

「またメリーゴーランド……」六花は呟く。「同じところをループしているんでしょうか」

 ジルが六花の手を取る。いちいち心拍が跳ねることに呆れながら、ジルの手を伝って頭の中に流れ込んでくる欠けたマップを見た。

「埋まっていなかった箇所が埋まっている。進んではいるはずだ」

 マップは六花たちが通って来た道が表示されるようになっている。マップは六花たちが動いた場所が埋まっており、別のところにいることが明白だった。

 そのとき、きゃはは、と子どもの笑う声がいっそう大きくなると同時に、軽快な音楽が流れ始める。それが六花の鼓膜を不穏に揺らすと、途端に息が苦しくなった。

『おかえり、六花』

『会いたかった。ずっと待ってたんだよ』

 精神的負荷に心拍が激しくなる中、六花はなんとか魔具鞄マジックパックからマールム晶石を取り出した。六花がマールム晶石を握り締めてなんとか心を落ち着かせようとしている最中、メリーゴーランドの光がフラッシュのように点滅する。一瞬だけ光が消えた。辺りが真っ暗になると、六花はさらに精神的負荷がかかるのを感じる。再び明かりが灯されると、その中にあの女の影があった。

『私の可愛い六花。私のもとに帰って来てくれたのね』

 六花は足の力が抜けそうになるのを必死に堪えたが、エセルに促されても動くことができない。あの声が六花の心を揺さぶる。女の影から目が離せない。すると、震える六花の体をジルが軽々と肩に担ぎ上げた。エセルが先に立ちメリーゴーランドに背を向ける。あの女の影が不気味に笑うのが聞こえた。

 電話ボックスを見つけたエセルが、ジルを中に促す。エセルがドアを閉めると、ジルはゆっくりと六花を下ろした。六花は足の力を失い、その場にへたり込んでしまう。息が苦しく、また新しいマールム晶石を手に取った。

「リッカが落ち着くまでここにいよう」

 肺が痛くなるほど呼吸が荒れる。マールム晶石はあっという間に濁っていた。

「……あの人が見てる気がするんです……。やっと、離れられたと思っていたのに……」

「気をしっかり持て」ジルが言う。「妖霊の言うことに惑わされるな」

 六花が短い呼吸を繰り返す中、また報せ鳥が届いた。その一瞬の光が、六花の意識を現在に戻させる。

「ロザナが柱を破壊したらしい。これであと三つだ」

 そのとき、何かを引き摺るような音が響いてきた。電話ボックスはガラス張りになっており、外の様子もよく見える。薄暗い電灯のもとに、奇妙なお面を付けた白衣の妖霊が映し出される。手には大きな鉈を持っており、それを引き摺りながら歩いていた。

「仮面の外科医だ」

 あれが、と六花は考える。不気味な姿で、迫って来たら大きな恐怖を懐くことになるだろう。

『……六花……きみが帰って来るのを、母様と一緒にずっと待っていたんだよ……』

 ざらついたノイズ混じりの声が、六花の心の不安を助長した。再び呼吸が苦しくなり、新しいマールム晶石を取り出す余裕がなくなる。ジルが六花の手にマールム晶石を握らせても、精神的負荷が六花の肩に圧し掛かっているようだった。

『六花……会いたかった……きみに相応しい場所に行こう……母様が待ってるよ……』

 顔から血の気が引く。短い呼吸を繰り返す六花の肩に、エセルが優しく触れた。

「落ち着いて、リッカ。いま“雪の結晶”が発動したらまずい」

「……ゆき……」

 そう呟いた途端、頭の中のもやが晴れるように、精神的負荷が軽くなる。仮面の外科医が去っていくのに合わせ、呼吸も整っていった。

「行ったね」エセルが言う。「簡単に躱せてよかった」

 仮面の外科医の恐ろしさより、六花はあの言葉が頭に残り続ける。あの言葉が本当だとすれば、と考えるだけで手が震えた。

 エセルのそばに、再び報せ鳥が届いた。柱を破壊できたのかと六花が顔を上げると、エセルは険しい表情になる。

「ロザナが道化師に触れて動けなくなっているらしい」

「……それって……」

「リッカ、“透視”でロザナの位置を見てみてくれ」

 頷いた六花は、頭の中で“透視”を発動した。ジルとエセルの手を取り、頭の中に浮かぶマップに意識を向ける。マップの奥側に青い点があり、そこからしばらく離れたところにもうひとつの青い点がある。最も奥側にある青い点がロザナだった。そこに、赤い点が徐々に近付いて行くのが見える。

「仮面の外科医が反応してる。ロザナのところに向かっているみたいだ」

「……僕の“隠れ身”で助けに行きましょう」

 六花の提案にエセルはまた顔をしかめた。

「リッカはいま、精神的負荷を溜めている。スキルの使用は負担がかかってしまう」

「でも……ルーラは場所が離れています。一気に行けるとしたら、僕の“隠れ身”だけです」

「……他にやりようもないか」ジルが言う。「誰かが助けに向かわないといけないのは確かだ」

「隠れながら行かなければならないルーラより、僕たちのほうが早く行けるはずです」

 そう言いながら、六花の心には不安と恐怖が溢れていた。最も危険性の高い仮面の外科医は、妖霊に触れてダウンしたところを狙って攻撃して来る。近くを通りかかるだけでも、あの大きな鉈で斬り付けて来るだろう。命に係わる危険が、六花の心を落ち着かなくさせる。それでも、六花にはその使命を感じていた。

「……わかった。六花を信じよう」

 重々しく頷いたエセルが、二羽の報せ鳥を出す。ロザナとルーラにこれからの作戦を伝えるのだろう。

「この近辺に他の妖霊はいない」と、ジル。「仮面の外科医は充分に離れたはずだ」

「まずは僕の『速力強化』で走って行く」エセルが言う。「美しき棘は僕が魔笛で散らす」

「そのうち道化師と遭遇するはずだ。リッカはそのときに“隠れ身”を発動しろ」

「はい……!」

「ダビデと遭遇し次第、ジルの“疾走”で突破しよう」

 六花には、それだけのことが自分に可能なのか、いまだに不安でもある。それでも、ロザナを助けるためにはやるしかない。ロザナを助けに行くためには、自分のスキルが不可欠である。六花が臆病のままであることは変わらない。それでも、やるしかないのだ。




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