第6章【2】

 ルーラの転移魔法で辿り着いた場所は、いままで以上の重苦しさを感じさせるほど瘴気が満ち溢れていた。霧のように濃い瘴気の中を進んで行くと、六花は途端に緊張感を覚えていた。これから、これまでよりはるかに危険な迷宮に行く。その緊張が恐怖に変わらなければいいのだが。そんなことを考えていた。

 辿り着いた場所にはやはり扉だけが存在し、扉からは瘴気が漏れ出ている。危険な妖霊の棲み処である遊園地跡は、そのおぞましさで六花を怯ませようとしているようだった。

「それじゃあ、結界と物理攻撃無効化をかけるわね」

 ルーラが杖をひと振りする。鮮やかな白い光が五人を包み込み、六花は体が軽くなったように感じられた。

「あの……ルーラとロザナさんは単独で大丈夫なんですか?」

 六花はここから、ジルに加えてエセルとともに三人で攻略に向かう。ルーラとロザナはそれぞれひとりで攻略をするらしい。

「いつもひとりずつで攻略してるから大丈夫よ」ルーラが微笑む。「あたしたちなら問題ないわ」

「何かあればすぐ報せ鳥を出すよ」と、ロザナ。「リッカはふたりから絶対に離れないように」

「はい」

 ふたりの表情には自信が湛えられている。この重苦しい瘴気にまったく怯んでいない様子だった。

 ルーラが扉を開く。その中は広い林になっており、木々の向こうに煌びやかな観覧車が見えた。様々な色の光が輝くその観覧車は、迷宮の恐ろしさを助長させるようだった。

「それじゃ、またあとで」

 ロザナが軽く手を振って駆け出して行く。ルーラも別方向に進んで行き、危険度の高い迷宮の攻略が始まった。

「柱はあのふたりが破壊する」エセルが言う。「僕たちは魔宮石の間を目指しながら迷宮内の探索をしよう。危険な場所にこそ何か手掛かりがあるかもしれない」

「はい」

「それと、遊園地跡には『星屑』という素材が落ちている。余裕があればそれも採取しよう」

 この瘴気の濃い迷宮で素材採取のことを考えられるとは、と六花は感心していた。六花はここにこうして立っているだけで心拍が落ち着かなくなっている。慣れている彼らには、充分な余裕があるようだ。

「素材はいままでの迷宮にもあったんですか?」

「ある場所もあったね。けれど、貴重な素材というわけではないよ」

「いままでの迷宮にあった素材は、魔物の巣なんかでも発見できる」と、ジル。「わざわざ迷宮内で採取する必要はない。『星屑』はそれだけ貴重なんだ」

「僕たちは柱の破壊に向かわないから、素材採取の良い機会だよ。けど、まずは安全第一だ。余裕があるときに探してみよう」

「わかりました」

 ふたりの落ち着きが、六花に安心感を与えてくれる。危険度の高い迷宮であっても、彼らのそばにいればきっと大丈夫なのだろう。そう確信を持たせるには充分な自信だった。

 林の中を進んで行くと、テーマパークの入り口のようなゲートがある。エセルは躊躇うことなくゲートをくぐっていく。チケットを持たずに入ろうとした者を防ぐバーはないようだ。迷宮である遊園地跡にはそんな物は存在しないらしい。

 どこかで音楽が流れているのが微かに聞こえた。六花が辺りをきょろきょろと見回していると、エセルが口を開く。

「この音楽は数ヶ所で鳴っているんだ。近付くと精神的負荷がかかるから、あまり近付かないようにね」

「わかりました」

 迷宮は妖霊に都合の良いようにできている、と彼らは言っていた。侵入者を苦しめる仕掛けはあちらこちらに設置されているのだろう。

 ジルが不意に、六花の手を取った。どきりと心拍が跳ねる六花の頭の中に、入り口以外の場所が欠けたマップが映し出される。入り口からかなり離れた場所に、青色の点が表示された。

「魔宮石の間までかなり遠いな」ジルが言う。「端から端までのようだ」

「かなり広そうなマップですね」

「そうだね」と、エセル。「探索だけでも時間がかかりそうだ」

 行こう、とエセルが先を歩き出す。ジルに促されて六花もそのあとに続くと、しんがりはジルが務めた。行く先と背後を守られた六花は、遊園地跡に対する恐怖がほんの少しだけ薄れたような気がした。

 入り口から奥に進んで行くと、中心に噴水がある広まった場所に出る。噴水は鈍く汚れた水が流れており、美しいとはとても言えない。おそらく、瘴気に冒された水なのだろう。その広場には、いくつか電灯があった。ライトの魔法を使わなくても、ある程度は周りが見渡せた。

「遊園地跡は電灯があるから、身を隠すときに不利になる」エセルが言う。「でも、その代わりに遮蔽物が多いんだ。妖霊に遭遇したら、遮蔽物に身を隠そう」

「はい」

 広場に隠れ場所と思われる物はない。その代わりに、移動販売のワゴンや建物が崩れたらしいブロック塀が各所に点在している。妖霊の気配を感じたらすぐに隠れられそうな配置だ。

 辺りを見回していた六花は、移動販売のワゴンのそばで何かが光っているのが見えた。小さな光が緩やかに点滅している。

「そこで何か光っているんですが、なんでしょう」

 六花が指差した先に視線を遣ったエセルが、ああ、と呟いて光に近付いて行った。それを拾い上げ、エセルは六花に差し出す。金平糖のような見た目の、青色の石だった。

「これが星屑だよ。僕には光は見えなかったな」

「俺にも見えなかった。六花には何か探査スキルがあるのかもしれないな」

 なるほど、と六花は考える。探査スキルの効果で、重要なアイテムのある場所が光るのだ。これなら星屑を見逃すことはないのかもしれない。エセルは採取した五個の星屑を、自分の腰の魔具鞄マジックパックの中に入れた。六花の魔具鞄マジックパックは消耗品で容量がほぼ満杯だ。エセルの魔具鞄マジックパックには余裕があるらしい。

 さらに奥へ進んで行くと、林の中で道が二手に分かれていた。奥には電灯がなく、先を見渡すことができない。

「分かれ道か……」エセルが呟く。「さて、どっちに行こうか」

「魔宮石の間も毎回、変わるんですか?」

「そうだね。同じ迷宮でも、内部構造はその都度で変わってくるからね」

 ランダム生成マップはそれだけでも難易度を上げる。そのため、探査魔法に頼ることになるのだ。

「右にはダビデがいる」ジルが言う。「左には道化師の気配があるな」

「リッカは寡婦と相性が悪かったね」と、エセル。「ダビデもリッカに精神的負荷をかけてくるかもしれない」

「道化師ならやり過ごせるな。左へ行こう」

「そうだね」

 エセルが分かれ道を左に向かって行く。しばらく進んで行った先に、また鮮やかに光る様々な色が見えた。近付いてみると、それはメリーゴーランドだった。回る馬や馬車には、子どものような影が乗っている。

「あのメリーゴーランドに乗ってる子どものような影も妖霊なんですか?」

 メリーゴーランドを指差して言った六花に、エセルが怪訝に眉をひそめた。

「影? メリーゴーランドの近くには何もいないよ。子どもの妖霊は遊園地跡には存在しないはずだ」

「またリッカが迷宮自体に観測されているようだな」と、ジル。「リッカだけに見える幻惑なんじゃないか」

 メリーゴーランドからは、きゃはは、と笑う子どもの声も聞こえる。おそらくそれも、六花にだけ聞こえているのだろう。

「……子どもの頃の記憶なのかもしれません。父がよく遊園地に連れて来てくれました」

 六花は遊園地が好きだった。その中でも、特にメリーゴーランドによく乗っていた。それを懐かしむ気持ちが六花に幻惑を見せているのかもしれない。

「いまごろ、父は心配しきりだと思います。また塔理と電話が繋がるといいんですけど……」

「せめて何か手掛かりがあるといいね」

「道化師の気配がする」

 ジルの言葉に、六花とエセルは口を噤む。こっちだ、と六花の手を引いたエセルが向かって行ったのは、ぼろぼろになった地図の貼られた案内板の裏だった。地図が正常なものであればマッピングに役立っただろうと考えつつ、六花はエセルに促されて身を隠す。そうして身を潜めているうちに、ケタケタと不気味に笑う声が聞こえてきた。案内板からそっと顔を出して覗くと、鮮やかな色をしたピエロが歩いて行く。遊園地のマスコットとして成り立つような姿で、道化師という名に相応しい風采だった。

 六花は遊園地のマスコットが苦手だ。あの生気のない目が六花には怖かった。

「道化師は目が良い代わりに耳が悪いんだ」エセルが声を潜めて言う。「通り過ぎたら背後を抜けよう」

「はい」

 ケタケタと笑う不気味な甲高い声と、マスコットへの恐怖が六花の中に重く圧し掛かる。六花は咄嗟にマールム晶石を手に取った。やはり精神的負荷がかかっていたようで、仄かに明るいマールム晶石を握ると、少しだけ心が落ち着いた。

 道化師は入り口側に歩いて行く。六花たちに気付かない道化師が充分に離れると、エセルが案内板の裏から出て再び奥側へと進んで行った。六花もジルに促されてそれに続く。道化師が三人を観測することはなかった。

 道化師から充分に離れたことを確認すると、六花は安堵の息をつく。それから顔を上げると、また道端に光が見えた。

「そこにも何かあるみたいです」

 六花の指差した場所に身を屈めたエセルは、星屑を拾って見せる。それから、おや、と不思議そうに呟いた。

「サルビアがある。これは珍しい」

 エセルの手元を覗き込んだ六花が首を傾げると、エセルは小さな青い花を根から抜いて六花に見せる。

「これはサルビアの花だ。これも貴重な素材なんだよ」

「そうですか……」

 エセルは土のついた根を両手で包み込んだ。淡い光が花の根を覆っている。おそらく土から抜いた花が枯れることを防ぐ魔法なのだろう。エセルはまたそれを魔具鞄マジックパックにしまった。

 再び歩き出すエセルに続きながら、六花は方位磁石を取り出す。赤い針は前方を差している。先ほどジルの探査魔法で見たマップはかなり広く、魔宮石の間は遠い。方位磁石はまだあまり役に立たないだろう。

「待った」

 六花の背中を守るジルがふたりに声をかけた。ジルは前方を指差す。

「そこに美しき棘が埋まっている」

 六花の目には、地面には何も見えなかった。美しき棘は設置型の妖霊で、地面に埋まっている。その上を無防備に通るとつるに捕まってしまうのだ。

「横を抜けて行くのは難しそうですね」

 彼らの進む林は狭く、美しき棘を避けるほどの余裕はない。どうしたって美しき棘の上を歩かなければならないようだ。

「リッカ、“透視”で妖霊の位置を見てみてくれるかい? ついでに、ロザナとルーラの居場所も見よう」

 頷いた六花は、スキルに意識を集中させる。頭の中に浮かぶ欠けたマップは、近くに妖霊がいないことと、ロザナとルーラが順調に進んでいることが映し出された。

「近くに妖霊はいないね。美しき棘は魔笛で散らそう」

「はい」

 近くに妖霊がいる状態で魔笛を使えば、その音で妖霊がこちらに向かって来てしまう。美しき棘を躱すのは難しかったかもしれない。

 ジルが地面に向けて魔笛を撃つ。その衝撃で、地面の中からつるが現れた。何本もあり、捕まれば抜け出すのは骨が折れそうだ。少し遅れて鈴の音が響くと、キキッ、とねずみが泣くような音がして、つるは散っていった。

「いちいちこうやって散らさないといけないんですね」

「リッカの“隠れ身”があれば抜けられるだろうけどね。できれば仮面の外科医に温存しておきたい」

 遊園地跡に存在する妖霊の中で、仮面の外科医が最も厄介なものだ。観測されることはできるだけ避けたいところだろう。

 またしばらく進んで行った先に、同じような煌びやかなメリーゴーランドが姿を現した。六花の目には相変わらず、影の子どもが遊んでいるのが見えた。

「同じ場所に出てしまったんでしょうか」

「そんなことはないはずだよ」エセルが言う。「同じ遊具を置いて方向を見失うようにできているんだ」

「なるほど……」

 そのとき、クスクスと笑う声がより一層、大きくなり、六花の鼓膜を不穏に揺らした。

『ねえ、六花。こっちにおいでよ』

 子どもの声が呼びかける。エセルとジルが警戒するように辺りを見回すので、ふたりにもこの声が聞こえているようだ。

『この世界は辛いでしょう?』

『この世界は苦しいでしょう?』

『こっちに来て一緒に遊ぼうよ』

 それは楽しげな子どもの声であるが、六花に恐怖を与えるには充分な不気味さだった。六花は心拍が落ち着かなくなり、マールム晶石を手に取る。これも精神的負荷をかけるための仕掛けなのだとしたら、六花には効果的のようだった。

「迷宮がリッカを観測している要因を見つけられるといいんだが」

 ジルがつくづくと呟く。異世界であるはずのこの場所で、子どもの声ははっきりと六花に呼び掛けている。六花のことを確実に認識していた。

「早くここを離れよう。リッカに精神的負荷がかかるだけだ」

「はい」

 子どもたちはあくまで楽しそうに笑っている。六花にはそれがとてつもなく不気味で、早く離れるに越したことはなかった。




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