第6章【1】
またもやコール音すら鳴らなかったスマートフォンを乱暴に机に置き、隆則は重く溜め息を落とす。これで何度目になるか。六花がいなくなってどれくらい経っただろう。すでに数えることさえやめてしまった。
もし六花が「名無しの泣き子」に連れ去られたのだとしたら。六花の祖母のお守りだけでは対抗できなかったのだ。
もう一度だけでもいいから六花の声を聞きたい。いまごろどこかで泣いているのではないだろうか。
玄関のチャイムが軽快に鳴るので、隆則は息をつきつつ立ち上がる。重い体を引き摺るようにして応対に出ると、顔を覗かせたのは塔理だった。
「ああ、塔理か……」
「こんばんは。夕食を持って来ました」
「ああ……ありがとう」
ダイニングに引き返す隆則に続いた塔理は、持っていた袋の中身を冷蔵庫にしまう。塔理の母が作ってくれた食事だろう。
「おじさん、昨日までの分、ほとんど手付かずじゃないですか。食事だけはちゃんと取らないと」
「ああ……そうだな」
力なくダイニングテーブルで項垂れる隆則の向かいに腰を下ろし、塔理が重々しく口を開く。
「実は、六花と電話が繋がったんです」
その言葉に、隆則はパッと顔を上げた。
「そうか……! 六花はいまどこにいるんだ」
「さあ……。俺から遠いところ、としか言いませんでした」
六花の居場所がわからないとしても、電話が繋がったことだけでも隆則は僅かに希望を取り戻すことだった。しかし、それと同時にまた気が重くなる。
「そうか、やはり……」
「やはり?」
「六花は連れ戻されたんだ。あの女に」
忌々しく吐き捨てるように言う隆則に、塔理は怪訝に眉をひそめた。
「あの女、って……。六花の母親のことですか?」
「…………」
「おじさん、話してください」
塔理は真剣な表情をしている。これ以上に黙っておくのは、得策ではないかもしれない。
「あの女は……まさに『名無しの泣き子』だ」
* * *
――おかえりなさい。私の六花……
――……
六花が深いようで浅い眠りから覚めると、ジルが隣のベッドに腰を下ろして本を読んでいた。六花の目覚めに気付いたジルは、顔を上げて本を閉じる。
「起きたか」
「…………」
体を起こした六花は、頷く気力さえなかった。そんな六花に、ジルは彼のベッドに移動して優しく六花の肩を撫でる。
「悪い夢でも見たか?」
「……ジル……」
「ん?」
「僕は……もとの世界に戻れるんでしょうか」
六花は力なく呟く。ジルは励ますように六花の肩を叩いた。
「いまそのための手掛かりを探しているところだろ」
「……帰れなかったら、僕は……どうしたらいいんでしょう」
心を占める不安とともに零すと、涙が溢れてきた。それはいままで心に秘めていた感情。漏らすことで止め処なく溢れてしまうもの。だから、心の中にしまっていた。
「弱気になるな。もしそうなったとしても、俺たちがお前を見放すことはない」
「…………」
俯く六花の肩を、ジルが慰めるように強く抱く。いつもなら安心感を懐くはずの温もりが、かえって六花の涙を止まらなくするようだった。
「泣くな。俺がそばにいる」
「……あの人の声が、耳から離れないんです……」
いくら耳を塞いでも、不躾な声は指のあいだを擦り抜ける。聞きたくないと耳を手で塞いでも意味はなく、ただ心の中に暗い影を落とすだけ。肩に添えられた手の温もりが遠い。まるで、六花の涙を増長するような感覚だった。
* * *
エセルが食堂で新聞を読んでいると、ロザナとルーラが彼のもとに戻って来た。六花もそろそろ目を覚ます頃だろう。そのうち、ジルが連れて来るはずだ。
エセルの向かいに腰を下ろしたルーラが、小さなポーチをテーブルに置く。
「容量の大きい
「マールム晶石が大量に必要になるだろうからね」
ロザナの言葉に、エセルも同調して頷いた。今日、攻略に入る「遊園地跡」はこれまでの迷宮に比べて難易度が高く、六花は前回までよりさらに多くの魔道具を必要とするようになる。
「……ねえ。今回ばかりは、リッカを連れて行かないほうがいいんじゃないかしら」
重々しくルーラが言う。彼女の言いたいことはわかる。「遊園地跡」は難易度に比例するように危険度が高い。フランクランであっても苦戦する可能性のある迷宮だ。いまだ迷宮攻略に慣れない六花を連れて行くのが危険だと考えるのもエセルには理解できた。
「遊園地跡は危険すぎるわ。もしリッカが仮面の外科医に触れてしまったら……」
彼らは妖霊に触れることで身動きが取れなくなる。「仮面の外科医」はそれに加えて攻撃もして来る。いままでのどの妖霊よりもはるかに危険だ。
「……危険な場所だからこそ、何か手掛かりがあるんじゃないかな」
確かめるように言うエセルに、ルーラは首を傾げて先を促した。
「もし、リッカがなんらかの力による干渉でこの世界に呼びこまれたのだとしたら、手掛かりはわかりづらい場所に隠したくなるものじゃないかな」
難易度の高い迷宮には、それだけ価値のあるものが眠っていることが多い。六花の必要とする情報が何であるかは彼らにはわからないが、六花の世界が繋がったのが迷宮内なら、難易度の高い迷宮になんらかの情報が隠されている可能性が大きい。
「リッカがいなければ、何が手掛かりになるかわからない」
「……そうね」と、ロザナ。「危険度の高い迷宮の報酬が良いのと同じようなことだね」
ルーラが不安に思うのも理解できる。彼らの判断が六花を危険に晒す可能性は大いにある。それでも、六花がいなければ何が手掛かりになるかわからないのも確かだ。
「……わかった」ルーラは重々しく頷く。「柱はあたしとロザナで破壊しましょ。エセルはリッカと一緒に手掛かりを探して」
「ああ」
「こんなこと、あたしたちじゃなかったらできなかっただろうね」
ロザナがつくづくと呟く。フランクランは迷宮専門クランの最高峰と称されている。危険度の高い遊園地跡で本当にあるかわからない手掛かりを探すなど、さらに難易度を上げることになる。それも、六花を守りながら、である。実力の足りない迷宮専門クランでは容易なことではないだろう。
「リッカが僕たちのところに来てくれてよかったよ」
六花もそう思ってくれているといいのだが、とエセルが考えていたところで、六花とジルが食堂に入って来た。おはようの挨拶をしてテーブルに着いた六花に、あら、とルーラが首を傾げる。
「リッカ、なんだか元気がないように見えるわ」
「そう……? そんなことないよ」
六花はいつものように薄く微笑んでいるが、その微笑みにいつもと違う色が湛えられていることはエセルにもわかった。危険度の高い迷宮に、緊張してしまっているのかもしれない。六花は迷宮攻略においていまだ新人であることに違いはない。迷宮に対する感情は、彼らが持つものとははるかに違うものになるだろう。
* * *
冒険者ギルドで、ブラントとともに持ち物の最終チェックを行う。ルーラが用意した
「遊園地跡は、いままでの迷宮とは比べ物にならないくらい危険度が高い」
真剣な表情でブラントが言う。冒険者ギルドの職員として長いブラントでも緊張感を懐いているなら、きっとその言葉の通りなのだろう。
「今回ばかりは、ジルを盾にしてでもとは言えない。とにかく妖霊に見つからないようにしなくちゃならないからな」
これまでの迷宮であれば、六花がジルを盾にして逃げても、ジルはひとりで対処することができただろう。だが、彼らの話を聞く限り、フランクランであったとしても危険度は高いようだ。
「リッカの“隠れ身”を駆使することになるだろうから『星の砂時計』を用意した」
ブラントが六花に差し出した縦長の箱には、円の中心に小さな砂時計が嵌まるペンダントが納められていた。砂時計の砂は浅葱色で、とても可愛らしく見える砂時計だ。
「それはスキルの充填速度を上げるための魔道具だ。スキルの使用を感知して、勝手に引っ繰り返る。砂が下に落ちることで、スキルの充填が早く終わるようになるぞ」
「ありがとうございます」
魔法とはやはり便利なものだと感心しつつ、六花は首にチェーンを回した。いま、砂はすべて下に落ちている。スキルが使える状態ということだ。
「とにかく全員、無事に戻って来てくれ」
「もちろん」エセルが頷く。「無事に戻らなければ意味がないからね」
「そうだな。リッカも連日の攻略で疲れているだろうから、無理はしないようにな」
「はい」
昨日は診療所で治療を受けたとは言え、疲労が溜まっていないかと言えば嘘になる。迷宮攻略は、迷宮にいるだけで六花の正気度を削る。精神的負荷は六花の想像以上で、ブラントがこれだけ硬い表情をしているということは、遊園地跡ではいままで以上に精神的負荷がかかるのだろう。
「何かあったらすぐ報せ鳥を出せ。すぐに救援に向かう」
「ああ。わかった」
彼らのあいだに流れる空気が、六花の緊張感をさらに高める。これから危険度の高い迷宮に行くという事実が、六花の肩に重く
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