第5章【4】

 報せ鳥を放ったロザナを先頭に、再び雨林へと足を踏み入れる。六花には柱を破壊しに行くときとは違う緊張感があったが、ジルもロザナも表情を崩していない。それだけ自信を持っているのだ。いつか自分も彼らのようになれるのだろうか、と六花は考えてみたが、きっと到底、届かないのだろう。

 子どものような笑い声が聞こえた。水音がする方向から、クマのベリーがこちらに走って来ている。それを確認したロザナが六花の手を取ると、途端に脚力が急加速した。ロザナのスキル「俊足」が発動したのだ。スキルの速力にクマのベリーが追いつけるはずもなく、あっという間に引き離されて行く。あれに追いつかれる冒険者がいるのだろうか、と考えた六花は、いないことはないのだろう、と結論を出した。すべての冒険者が足が速いとは限らないのだ。

 ロザナは迷うことなく進んでいく。六花の透視で見たシグナルと探査魔法によるマッピングでエセルの位置を判断しているのだろう。幸い、他の妖霊はいないようだ。

「ジル!」

「ああ」

 ロザナの呼びかけに頷いたジルが六花の手を取る。ジルが先頭に立ち、ロザナは後方についた。ロザナのスキルが切れたため、ジルの「疾走」に切り替えたのだ。六花はまた走りながら体力増強剤をあおる。

 瓶を乱暴に投げ捨てたところで、六花はピリと肌が痺れる感覚があった。喉を引き攣らせるような音が聞こえる。寡黙な幽霊に観測されたのだ。

「寡黙な幽霊がいるならこの辺りのはずだ」

「リッカ、もう一度、透視でエセルの位置を見てみて」

「はい……!」

 自分では到底、出し得ない速力に食らい付きつつ、六花はスキルに意識を集中させる。エセルを示す青い点はすぐ近くにあった。

「あっちです!」

 六花の指差した方向に進路を変えながら、ジルの速力が落ちていく。スキルの効果が切れたのだ。それでも六花にとっては全力疾走であるのだが、寡黙な幽霊が少しずつ近付いて来る気配があった。六花の探索によれば、エセルのいる地点まではもう少しのはずだ。

「みんな! こっちだ!」

 前方右側から聞こえた声に振り向くと、葉の傘の下でエセルが手を振っている。無事な姿に六花が安堵する中、寡黙な幽霊を振り切るように三人は葉の傘の下に滑り込んだ。すぐそばまで迫っていた寡黙な幽霊が、少しだけ立ち止まったあと、方向転換して彼らに背を向ける。追跡を切ることができたようだ。

「来てくれて助かったよ」エセルが微笑む。「あいつがなかなか離れなかったんだ」

「無事でよかったです」

「ありがとう。リッカが来てくれたならもう大丈夫だ」

 エセルの言葉に、六花は少しだけ面食らっていた。自分に対してそんなふうに言う者は、いままでにひとりだっていなかった。六花はいつも守られてばかりだった。それだけ弱い存在だからだ。チートスキルを授けてくれたのが誰かはわからないが、この世界に来てから、六花の世界は変わった。頼りにされることがこんなにも誇らしいことなのだと、六花は初めて思い知っていた。

「氷の魔女はいなかった」ジルが言う。「魔宮石の間に近いところにクマのベリーがいたが、寡黙な幽霊を“隠れ身”で躱せれば充分だろ」

「そうだね」と、エセル。「ジルとロザナのスキルを使って来たんだろう?」

「ああ」

「まだ充填は終わっていないよ」

「じゃあ、僕の魔法を使うしかないね」

 エセルは残念そうに言いつつ、六花の手に触れる。とん、と人差し指が手のひらに当てられると、体に温かいものが広がった。

「ただの“速力強化”の魔法だからふたりのスキルほどの効力はないけど、少しだけ足が速くなるよ」

「少しでも充分です。僕は足が遅いので……」

「それならよかった。じゃあ、寡黙な幽霊に観測され次第、リッカは“隠れ身”を発動してくれ」

「わかりました」

 ジルが手を差し出すので、六花は自然と左手を重ねていた。エセルの魔法で速力が上がっているなら、ジルに引っ張ってもらえば速く走れるはずだ。

「行くぞ」

「はい」

 辺りを警戒しつつ、ジルが足を踏み出す。手を引かれる六花のあとにエセルとロザナも続いた。ルーラの結界は保持されている。彼らがそばにいることで安心しているのか、六花は自分が精神的負荷を溜めていないことを把握していた。現時点では護符の効果で賄えているようで、マールム晶石は必要なさそうだ。

 甲高い不快音が鼓膜を揺らす。視界に寡黙な幽霊の影が入るのと同時に、六花は“隠れ身”を発動した。これで寡黙な幽霊の視線は切れるはずで、距離を置けば観測から外れるだろう。

(……僕は、弱い自分を変えたかった)

 もとの世界でずっと心に秘めていた願いを思い出し、六花は顔を上げた。

 いつも守られてばかりだった。守ってもらわなければ何もできなかった。守ってもらっても、何もできないときが多かった。そんな自分を変えたかった。少しでも、誰かの役に立ちたかった。自分でも誰かの役に立てると、そう思いたかった。その願いが、ほんの少しでも叶うのだろうか。そう考えると、胸の奥で何かが疼いた。

 喉を引き攣らせるような音が離れて行くと、代わりに重い足音が聞こえる。クマのベリーが再び彼らを観測していた。

「“隠れ身”が切れてる」エセルが言う。「このまま一気に撒こう」

「あたしに任せな」

 ロザナが六花の手を取るのと同時に、速度が格段に上がる。ロザナのスキル「俊足」の充填が終わったのだ。

 クマのベリーはあっという間に引き離され、行く先に魔宮石の間の扉が見える。ロザナは扉の中に六花を押し込み、ジルとエセルも続いた。ロザナが扉を閉めると、六花は大きく息をつく。張り詰めていた緊張感から解放された気分だった。

「おかえりなさい」ルーラが微笑む。「みんな、無事でなによりだわ」

「助かったよ。みんな、ありがとう」

「最初に提案したのはリッカだよ」

 ロザナの言葉に、エセルは笑みを深める。

「ありがとう、リッカ」

「いえ……。僕は、お役に立てたでしょうか」

「充分だよ。きみは勇敢だ」

 それは、人生で初めてかけられた言葉だった。臆病の自分がそんなふうに言われることはあり得ないと思っていた。その確信にも似た想いが覆される。たったそれだけのことなのに、涙が溢れてしまいそうだった。

 六花が熱くなった目頭を誤魔化すために俯いていると、エセルのそばで光が瞬く。報せ鳥だった。

「ブラントからだ。やはり魔物の巣が発見されたようだよ」

「それじゃ、さっさと魔宮石を破壊して街に戻りましょ」

 ルーラが奥の扉を開く。魔宮石から溢れる瘴気の圧にいまだ慣れることのできない六花は、その禍々しい空気に顔をしかめた。それと同時に足を止める。魔宮石のそばに、あの紫色のドレスの影があった。その気配は、六花の中に生まれたばかりの達成感を打ち消すようだった。

『……六花……あなたはこの世界から逃れられない……ここは……あなたの帰る場所なのだから……』

 ギリギリのところで判別できた言葉に、六花は息を呑む。まるで呪いのような暗いものが心に影を作った。

 身を強張らせる六花の肩に手を添えたジルが、躊躇うことなく引き金を引く。ドレスを貫通した弾丸が鋭く魔宮石を突き刺した。激しく破砕音を響かせて魔宮石が砕け散ったとき、鼓膜を突き破るのではないかと思うほどの悲鳴が辺りに轟く。それも迷宮の景色とともに消え、彼らは穏やかな平原に着地していた。

「びっくりした」ルーラが呟く。「耳がおかしくなるかと思ったわ」

「やはり迷宮自体が六花を観測しているようだな」

 確かめるように言うジルに、エセルが小さく頷く。

「他の迷宮でも同じことが起こっているか、他のクランに確認する必要があるね」

「まあ、とにかく攻略完了だね」と、ロザナ。「さっさと街に戻ろう」

 ルーラが転移魔法を発動させる。瞬きのあいだに、五人は冒険者ギルドの前に降り立っていた。迷宮を攻略したばかりのフランクランには、次の任務が待ち受けている。

 五人の姿を認めると、カウンターの奥でブラントが顔を綻ばせた。

「よう、無事なようでなによりだ」

「状況は?」

 エセルが問いかける。フランクランの四人はすでに頭が切り替わっていた。それに合わせて、ブラントも真剣な表情になる。

「東の平原にブラッドベアの巣が発見された。いま、他の冒険者が討伐に向かったところだ」

「そうか。ブラント、リッカを頼めるか?」

「ああ。任せろよ」

 そこで六花は、魔物の討伐には自分は同行できないのだと気付いた。四人に付いて行くことを当然だと思っていたが、彼らが向かうのは迷宮ではない。

「……魔物の討伐となると、僕のスキルは役に立たないんですよね」

「リッカのスキルは迷宮向きで、実戦向きではないわ」と、ルーラ。「あたしたちなら大丈夫。ブラッドベアくらいすぐに殲滅して来るわ」

「うん……待ってるね」

「ええ」

 四人は再びルーラの転移魔法で依頼へと旅立っていく。この世界で彼らのそばから離れるのは初めてだ。それでも不安はない。彼らなら無事に戻って来ると確信している。ただそれを待っているだけでいいのだ。

「診療所に行くぞ」ブラントが言う。「雨に触れたんじゃないか?」

「はい、少し。また眠って治療を受けるんですか?」

「雨林の場合は身体的な回復を受ければ充分だ。寝たいならそれでも構わないが」

「いえ……時間があるならセヴィリアンさんのところに行きたいんです」

「魔法学研究所か。治療が終わったら行こう」

「はい」

 カウンターの中から出て来て、行くぞ、とブラントが先に歩き出す。ブラントにも仕事があるのではないかと六花は思ったが、知らない者に任されるのも不安だ。馴染みのできたブラントが付き添ってくれるならそれに越したことはない。

 街へ出ると、賑やかな喧騒がうるさく感じられた。雨音と妖霊の声だけが響く迷宮にいたからだろう。薄暗い雨林とは対照的に明るく、多くの人々が行き交っている。あまりに顕著な落差に、六花は少しだけ疲労を感じた。

「ブラントさんは、エセルさんたちとは付き合いが長いんですか?」

「そうだな。あいつらが駆け出しの頃から知っているよ」

 ブラントは見たところ、エセルたちよりいくつか年上に思える。二十代後半か三十代前半か、と六花は考えていた。

「よく考えてみれば、僕はエセルさんたちのことをよく知りません」

「まあ、まだ会って数日だからな」

「話せる範囲で構いませんので、教えてもらえませんか?」

「ああ、いいぞ。エセルとルーラは幼馴染みだ。ルーラが魔法学研究員一家でな。魔法学研究員は、調査に騎士か剣士を同行させることが義務付けられている。ルーラの親がエセルの親を連れていた。その繋がりだな」

 クランリーダーであるエセルとまだ若いルーラが同じクランで活動をしていることが六花には不思議だったが、ようやく合点がいった。子どもの頃からの付き合いであれば、互いの能力をよく知っているだろう。

「ロザナはエセルの王立魔道学院での友人で、エセルがクランに誘ったそうだ。あとひとり足りなかったから、俺がジルと三人を引き合わせたんだ」

「じゃあ、ジルは昔からの繋がりがあるわけではないんですね」

「そうだな。ジルは単独だったんだ。単独のままでいさせるには勿体無いと思ってな。あいつを受け入れるならあの三人しかいないと思ったんだ」

 ブラントの読みは当たっていたと言える。もとから知り合いだった三人に、単独だったジルもよく馴染んでいる。四人のあいだにある信頼関係は揺るぎないものだ。

「リッカの話を聞いたとき、ジルをフランクランに入れたのは正解だと思ったよ」

「そうなんですか?」

「ああ。お前はジルの弟に似ている。ジルの弟が亡くなったのは二年前、十六歳のときだ」

 六花は思わず言葉に詰まる。ジルは出会った頃から六花に親切だった。その根底が家族にあったのだ。

「弟は、母親とともにレジスタンスに殺されてな」

 軽い紹介のような口調に対して重い言葉に、六花はまた口を噤む。そんな過去にまで触れていいのかと考えたが、フランクランの信用するブラントが話しても構わないと考えるなら、六花に異論はない。

「レジスタンス……ですか……」

「この国が永世中立を貫いていることが気に入らない連中はどこにだっているってことだな。父親はこの街の郊外で暮らしている。あいつの功績は親父さんも鼻が高いだろうな」

 若くして母親と弟を失ったジルは、六花にはどうしたって届かない強さを持っているのだろう。そう考えながら、六花は自分の父のことを思い出していた。いまはどうしているだろうか。六花の帰りをひとり待つ父を想うと、どうしようもなく悲しい気持ちになる。それを誤魔化すように、六花はまた口を開いた。

「ジルと弟さんは仲が良かったんですね……」

「それはどうだろうな」

 眉をひそめるブラントの言葉に、六花は首を傾げる。ジルが自分に優しくするのは、弟に対してもそうだったのだと考えていた。

「あの兄弟は互いに嫌っているように見えた。だからジルも家を出てこの街で冒険者をやっていたんじゃないか。だが、ジルには何か後悔があったのかもしれないな」

「後悔……」

「弟にしてやれなかったことがあったんじゃないか。いや、ジルがリッカを弟の代わりにしているわけじゃない」

「大丈夫です。わかってますから」

 いくらジルでも弟にあんなことはしないだろう、と考えていると、六花は顔が熱くなる。きっと頬が赤くなっているだろうと、咄嗟に俯いた。ジルの行動の理由はわからない。だが、それをブラントに訊くのはさすがに気が引けた。

「ジルだけでなく、他の三人にとってもリッカは特別な存在みたいだな」

「そうですか……?」

「あいつらだって、誰でも歓迎ってわけじゃない。フランクランに入りたいと思う迷宮冒険者はいくらでもいる」

 その志願者のことを考えると、フランクランに受け入れられている六花は妬みを集めそうな状況だ。志願者たちは能力値の研磨を続けているはずで、六花はたまたま迷宮で拾われたに過ぎない。

「あいつらは迷宮専門クランの最高峰であると自覚している。誰でも受け入れるわけじゃない。リッカがフランクランに拾われたのは、何か運命の悪戯のようなものなのかもしれないな」

 そう言いながら、ブラントは悪戯っぽく笑う。六花は、たまたま迷宮で拾われただけの自分が受け入れられていることが不思議だった。確かにチートスキルは有用だ。それでも、六花が足を引っ張っていることも確かだ。誰でも受け入れるわけではないフランクランが、なぜ自分に協力してくれるのか。六花は彼らが親切なのだと考えていたが、そういうわけでもないらしい。その理由を知るには、きっと彼らに訊いてみるしかないのだろう。




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