第4章【5】

 宿へ戻り食堂へ行くと、三人はすでにテーブルに着いていた。食堂が賑わっているところを見る限り、三人のことも待たせてしまっていたようだ。

「装備が新しくなったのね」ルーラが微笑む。「よく似合ってるわ」

「ありがとう」

「フード付きになったんだね」と、エセル。「ちょうどいい。次の迷宮は『雨林』だよ」

 ジルが以前、この数年は特に迷宮の出現が多いと言っていたことを六花は思い出す。攻略したばかりだと言うのに、また次の出現情報が出ていた。迷宮専門クランがフランクランだけではないと考えると、小さい迷宮も合わせれば山のように現れているのだろう。

「また厄介な迷宮が出てきたね」ロザナが顔をしかめる。「まあ、迷宮はどこだって厄介だけど」

「どんな迷宮ですか?」

 六花の問いに、エセルが口を開く。

「雨林は迷宮内が森になっていて、その名の通り、常に雨が降っているんだ。その雨が瘴気を含んでいてね。長く浴びていると身体が瘴気に冒されてしまうんだよ」

「じゃあ、傘を差して行くんですか?」

「結界魔法を使うの」と、ルーラ。「傘を使うと、傘に雨が当たる音で観測されるわ」

「なるほど……」

「瘴気の身体的影響はマールム晶石では防げない。リッカとジルはルーラと行動をともにしてくれ。ルーラの結界が最も効力が高いんだ」

「わかりました」

 雨を防ぐ結界とは身体を覆うようなものだろうか、と六花は考える。結界魔法と言えば、攻撃を防ぐ壁のような印象がある。身体を覆い雨の侵入を防ぎ、尚且つ雨音が立たない。なるほど迷宮向きの魔法であることがよくわかる。おそらく、雨が身体に触れることで、精神的負荷を溜めることにもなるのだろう。精神的負荷だけならマールム晶石で対処できるが、マールム晶石は身体への効果はないようだ。

「隠れ場所となるのが『葉の傘』だ。結界が切れることはないと思うけど、覚えておいてくれ」

「はい」

 六花は傘となる大きな葉をイメージする。どういった形状の物かはわからないが、瘴気の雨を防げるということは相当に大きな物なのだろう。

「雨林に出現する妖霊は四種類」エセルは続ける。「まずは『逆さ雨の傘』。目は悪いが、瘴気の水を撒き散らしながら徘徊している」

「感知は鈍いけど」と、ロザナ。「ある程度まで近付くと水に触れてしまうんだ」

「近付きさえしなければ、特に脅威ではないわね」

 ルーラの表情には自信が湛えられている。脅威度としては低いのだろう。

「次に『クマのベリー』。見た目はクマのぬいぐるみだ。目は良いが、足が遅い」

「じゃあ、観測されても逃げ切れるんですね」

「そうだね」

 六花はふと、向こうの世界の友人を思い出していた。子どもの頃、揶揄からかわれてクマのぬいぐるみを贈られていることがあった。いまはそんな思い出すら遠く感じる。

「それから『寡黙な幽霊』だ。観測されると、視線を切ってもついて来るんだ。葉の傘の下に入れば追跡を切ることができる。リッカの“隠れ身”でも充分に対処できるだろうね」

 感知系の妖霊か、と六花は考える。目視ではなく感知でこちらを観測し、追跡して来るのだ。六花の「隠れ身」で十数秒でも身を潜めることができれば、充分に回避することができるだろう。

「それと設置型の『眠れる氷の魔女』。その名の通り、近付かなければ眠っている。足音を立てると目を覚まして、他の妖霊にこちらの居場所を伝えるんだ」

「じゃあ、足音さえ立てなければ眠ったままなんですか?」

「そうだね。目を覚まさなければ特に脅威ではないね」

 六花は初めてこの世界で邂逅した「泣く女の肖像画」を思い出す。あれも近付かなければ実体化しない妖霊だった。六花はもちろんそれを知らなかったため、不用意に近付いて実体化させてしまった。いまとなっては遠い昔のような感覚だ。

「眠れる氷の魔女はリッカの“忍び足”でも充分に躱せるはずよ」ルーラが言う。「足音を立てなければいいんだから」

「でも、足元には水が溜まってるんだよね。水で音が立たないかな」

「そこはあたしたちにもわからないわ。そもそも足音を小さくする長靴を履いて行くけど、足音を消すスキルなんて誰も持ってなかったもの」

「そっか……。実際に攻略に行ってみないとわからないんだ」

「そうね。でもそんなのはどの迷宮だって同じよ。迷宮はいつも同じとは限らないんだから」

 迷宮はいわゆる「ランダム生成マップ」だ。その都度、妖霊の出現位置も変わる。それに合わせて攻略法を変えていく必要がある。六花のスキルを試すのは、おそらく彼らにとってはさほど労力のかかることではないのだろう。

「とにかく雨に触れないように」と、エセル。「ちょうどフード付きになったし、迷宮内では被っておくといいよ」

「はい」

 セヴィリアンはこれを見越してフード付きにしたのかもしれない、と六花は考える。迷宮内では肌に触れる瘴気を極限まで減らす必要がある。そのためにフードは必要不可欠なのだ。四人の中でフード付きの服を着用しているのはルーラだけだが、他の三人はおそらく耐性が高いのだろう。

「それから、ルーラと離れないように。離れすぎると結界が切れるからね」

「わかりました」

 攻略法がわかっているなら、難易度が高くても多少なりとも楽になることもあるかもしれない。情報を持たなければ、雨の瘴気にやられるところだ。おそらく、彼らはそうして身を呈して情報を集めていったのだろう。それが彼らの強さを引き出したのかもしれない。

「あれから、電話はかかってきてないの?」

 案ずる表情でルーラが言った。六花のスマートフォンが本来の電話機の役目を思い出したのは一回きりで、その後は沈黙を貫いている。

「うん……。相変わらずライトとカメラしか反応しないみたい」

「このままじゃ、リッカが疲労を溜めるだけだ」と、ロザナ。「何か手はないのかな」

「……でも僕は、この経験に意義を感じています」

 手元に視線を落としたまま言う六花に、四人は先を促すように六花を見た。

「僕は昔から臆病で、守られてばかりでした。いまもそれは変わってないですけど……。迷宮攻略で、弱い自分を変えられるような……そんな気がします」

「前向きで素晴らしいよ」エセルが言う。「でも、守られることを悪いことだとは思わないでくれ」

「あたしたちがリッカを守るのは当たり前なんだから」

「はい」

 そういえば、と六花は心の中で独り言つ。向こうの世界では、いつも塔理が守ってくれた。いつだって塔理は六花のそばにいてくれた。自分がそばにいるのは塔理のためにならないと、距離を置こうとしたこともあった。それでも、塔理は六花を守り続けた。あの日も、塔理に言っていれば、また守ってくれたのかもしれない。

「リッカ? どうしたの?」

 ルーラに問いかけられ、六花は意識を現在に戻す。

「ううん、なんでもない」

「そう? 気になることがあればなんでも言ってね」

「うん。ありがとう」

 この異世界での経験で、せめて、塔理の隣に並ぶことが許される人間になりたい。それが叶うなら、きっととても良いことだろう。




   *  *  *




 教室の窓際にある六花の席は、いまだ空白のまま。既読がつかないままのメッセージには苛立ちが募るばかりだ。相変わらず電話はコール音すら鳴らない。まるで、この世界から六花の存在が消えてしまったような感覚だった。

「熊野くん。鈴谷くんと連絡ついた?」

 声をかけて来たのは、クラスメートの三隈みくま奈々ななだった。六花のことを気にかけているが、その整った容姿からクラスでも目立つ存在であるため、塔理はあまり六花に近付いてほしくないと思っていた。それでも、六花を対等に扱う数少ないうちのひとりではあった。

「いや、まだだ」

「あれからもう二週間か……」

「そうだな。どこかで泣いていないといいんだが……」

 六花が夜の校舎から姿を眩ませてから、塔理は毎日、気が気でなかった。何かの事件に巻き込まれたのか、本当に都市伝説に出会ってしまったのか。手掛かりは何ひとつとして掴めていなかった。

「前から思ってたけど、熊野くんって過保護よね。心配しすぎなんじゃない?」

「三隈にはわからないよ。三隈に話すことが六花のためになるとも思えない」

「そんな言い方しなくてもいいじゃない。私だって、これでも鈴谷くんの心配をしてるのよ?」

 六花は塔理を煙たがっているような時期があった。あまり構われたくなかったのかもしれない。それでも、塔理は六花を守らなければならなかった。それが過保護だと言われようと、塔理が六花を守るのは使命のようなものだ。

 臆病な六花が夜の校舎にひとりで入って行方を眩ませたなど、心配しすぎるくらいがちょうどいいのではないかと塔理は思っている。六花とは電話も繋がらないし、メッセージにも既読がつかない。これはあまりに異常だ。まるで鈴谷六花という人間の存在が、もともとこの世界になかったような感覚にすらなる。しかし、彼は当然に存在している。だから六花の父も苦しい思いをしているのだ。

 がはは、と大きな笑い声が聞こえた。田代のグループが、教室の真ん中でたむろしている。

「鈴谷くんがいなくなったこと、どうも思っていないんだわ」

 奈々は顔をしかめた。あの夜、六花をこの校舎に連れて来たのは田代たちだ。その結果、六花は行方不明になってしまった。しかし、それを自分たちの責任ではないと思っているのだ。すでに気にも留めていないだろう。彼らは、六花がひとりで校舎に入って行ったと証言している。塔理には、臆病な六花がそんなことをするはずがないと、その考えだけは変わらなかった。

「せめてメッセージに既読がつくといいんだけど……」

 塔理は日に何度もメッセージを送っている。通知に気付いていないだけということはないだろうか。そんな淡い期待を胸に。唯一、電話のコール音が鳴ったときも、ただ気付かなかっただけなのではないだろうか。いつか六花に繋がるときが来る。そう信じていなければ、きっと何かに負けてしまうだろう。




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