第4章【3】
共鳴の使用後、再び透視で仲間の位置を探ると、エセルは前回の場所から動いていなかった。おそらく、共鳴で六花とジルが向かっていることを察しているのだろう。勘の良さに感心しつつ、エセルが身を潜める部屋へ向かう。妖霊に見つかっては元も子もないため、獣の絵画の前を慎重に突破する。ジルの感知に触れる妖霊はおらず、無事にエセルのいる部屋へと到達した。
六花の顔を見ると、エセルは心底から安堵したように微笑んだ。
「無事でよかった。寡婦は平気だったかい?」
「なんとか……。エセルさんも無事でよかったです」
「なんとかね。ルーラも柱を破壊したそうだ。ふたりは魔宮石の間に向かっているはずだよ」
「ここから魔宮石の間も近いな。リッカの“隠れ身”で充分に間に合う距離だ」
ジルが六花の手を取る。頭の中に流れ込んできた欠けたマップによれば、魔宮石の間は確かに近くにあるようだった。魔宮石の間までのあいだは欠けているが、これまで走って来た距離に比べれば短い。
「けど、すぐ近くに獣の絵画があるし、首無し剣士の気配が近付いてる。リッカは柱を破壊する前に体力増強剤を飲んでおいてくれ」
「はい」
ジルが慎重にドアの隙間から廊下を覗く。手で合図すると、先にエセルが部屋を出た。次に六花が促され、ジルが続く。エセルがいたのは柱の間のすぐ隣の部屋で、周囲に妖霊の気配はなく、障害なく柱のもとへ到達した。
「準備はいいかい?」
「はい」
六花が顔をしかめつつ体力増強剤を飲んだことを確認し、エセルが瘴気の滲み出る柱に剣を突き立てる。その瞬間、あの
「あれが女の影か」エセルが声を潜めて言う。「確かに、以前までの攻略では見たことがない」
「この世界にとって、リッカは異質の存在だ」と、ジル。「迷宮に影響を及ぼしているのかもしれない」
どうやら良い影響ではないようだ、と考えながら、六花は新しいマールム晶石を握り締める。セヴィリアンの護符があるため、前回の攻略よりは楽な気がしたが、正気度は確実に削られていた。
魔宮石の間の最初のドアを開くと、ロザナとルーラが三人を振り向く。
「よかった。なんとか無事のようだね」ロザナが言う。「あの女の叫び声が聞こえたけど、リッカは平気かい?」
「マールム晶石がなくなりそうです」
六花の
「魔宮石を破壊しよう」と、エセル。「これ以上の滞在は危険だ」
重い
『リッカ……ソコニイタノネ……』
ざらついたノイズのような声に、六花は顔をしかめた。それと同時に、ルーラが魔宮石に向けて杖を振り上げる。杖から放たれた氷の矢が、激しい破砕音とともに魔宮石を破壊した。辺りの景色が揺れ、魔宮石の欠片とともに消えていく。六花は荒くなる呼吸を整えようと、膝に手をついた。六花の背中を、ルーラが優しく撫でる。温かいものが背中を伝って全身に行き渡るような感覚になった。
「いまのは……」ロザナが怪訝に呟く。「リッカの名前を呼んでいたけど……」
「街へ帰ろう」と、エセル。「リッカの回復が先だ」
六花の心拍は相変わらず激しいが、ルーラの転移魔法で街に戻る。街の喧騒が、六花を少しだけ安心されてくれた。
「診療所へ行こう。今回はリッカが精神的負荷を溜めすぎた」
そう言って、エセルは街の中へ入って行く。診療所と言うからには、おそらく精神的負荷を治療するための場所なのだろう、と六花は考えていた。自分が精神的負荷を溜め込んでいることは自覚していたため、治療を受けられるならそれはありがたいことだった。
エセルが六花を案内したのは、街の外れにある小さな家だった。趣のあるレンガ造りの建物で、木の看板が立てられている。六花は看板の文字を読むことはできないが、確かに「診療所」という言葉がよく似合う建物だった。
エセルが建物内に入って行くと、ひげを生やした老医師が出迎える。
「やあ、フランクランのみんな。最近の活躍は目覚ましいものだね」
「ありがとう。ここは迷宮冒険者専門の診療所だよ」エセルが六花を振り向く。「マールム晶石で回復しきれない精神的疲労を回復するための場所だ」
「マールム晶石によって回復しても」と、ロザナ。「精神的疲労が溜まっているからね」
「なるほど……」
精神的負荷をマールム晶石で回復しても、精神的な疲労を癒すことはできない。六花は何度もマールム晶石を使ったが、精神的に疲れているのも確かだった。
「私はクォルツ」と、老医師。「どうぞよろしく」
「鈴谷六花です。お世話になります」
クォルツ老医師は、六花を診療所の奥に案内する。診察室のような一室には、診察台と思われる質素で小さなベッドが置かれていた。六花のイメージする診療所とは違い、医療に関する道具が少ないように見える。
老医師に促され、六花はベッドに横になる。どんな治療を受けるのかと少し怯えていた六花のひたいに、クォルツ老医師は優しく手を置いた。
「ゆっくり目を閉じて」
穏やかな声に促されて瞼を下ろす。ひたいに触れる指先から、何か温かいものが体に流れ込んできた。
「そう。呼吸を静かに」
優しい声は遠ざかる。誘われるように、六花は静かな眠りに身を委ねた。
* * *
六花が診察を受けているあいだ、ロザナとルーラは消耗品の買い出しに向かって行った。今回はマールム晶石が足りなくなりそうだった。他の物を減らしてマールム晶石を増やすべきだろう。
六花はよく眠っている。よほど疲れていたのだろう。もとの世界に戻るための情報はいまだ集まっておらず、六花が帰還できるのはまだ先のことになるだろう。
「迷宮内でのリッカの様子はどう?」
エセルの問いかけにジルは顔を上げた。その表情は六花を案じている。
「相変わらず怯えてはいるが、自分のスキルの有用性をよく理解している」
六花は、もとの世界と大きくかけ離れた異世界でよくやっている。迷宮の解析のためについて来た研究者たちに比べると、あの能力値で自分たちに懸命について来るのだから、ただの臆病者というわけではないのだろう。
「魔道具も使いこなせば、いずれ単独行動もできるんじゃないか」
「それはどうだろう。ジルがそばにいるからできてる、なんてこともあるかもしれないよ」
微笑むエセルの言葉には、何か含みがある。彼がこういった表情をするときは、何か考えていることがあるが、それを話すつもりはないときだ。
「それは関係ないだろ。六花は自分を臆病だと言うが、強さも持っているはずだ」
「そう」
エセルは意味深に微笑む。今度ばかりはジルも目を細めざるを得なかった。
「いや、ジルがここまで面倒を見るのが珍しいと思ってね」
それは確かにそうだ、とジルは考える。いままで、研究者が同行したことも何度かあった。しかし、ジルはそういったものに無関心であったため、いつも他の三人に任せていた。ジルは正直なところ、彼らを足手纏いだと思っている。研究者という特性上、たいてい迷宮攻略には向かない能力値だった。迷宮の解析を進めてもらわなければならないことは確かだが、ジルは迷宮攻略に集中するようにしていた。
「リッカの状況は特殊だ。迷宮の存在しない世界から来て、本来なら関係のない迷宮の攻略をさせられている。面倒を見てやらなければ、ひとりでは生きていけない」
「そうだね」エセルは真剣な表情になる。「慣れない世界で迷宮攻略に巻き込まれて、よくやっているよ」
本当なら、迷宮攻略に巻き込むことなく六花をもとの世界に戻せるなら理想的だ。だが、それが理想でしかないことはすでに証明されている。スキルを利用するだけ利用しようなどと考えることのないフランクランが拾ったことがせめてもの救いだろう。
「僕はブラントのところに行って来る。リッカが目を覚ましたら、先に宿で休んでいてくれ」
「わかった」
エセルが診療所を出て行くと、ジルは六花の様子を見るため診察室に戻った。六花はよく眠っている。攻略の際とは違い、穏やかに呼吸をしていた。
「随分と精神的疲労を溜めていたようですな」クォルツ老医師が言う。「まだしばらくは目を覚まさないでしょう」
診察台に腰を下ろし、六花の前髪を撫でる。それから、少し自嘲気味に笑った。
(柄にもないことを)
思えば、六花に出会ってから柄にもないことをしてばかりだ。エセルの言う通り、研究者が攻略について来ても面倒だから積極的に関わろうとしなかった。他の三人が面倒を見れば充分だと思っていた。だが、六花は何か違う。一切の打算なく、偽りもなく、
(……そうか。リッカは、あいつに似ているんだ)
在りし日の面影は遠く、しかし、忘却に落ちることはない。あの日の後悔が、六花を守ろうとする。だから、柄にもないことをしてしまう。おそらく、そういうことなのだろう。
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