第3章【2】

 朝食後、四人は六花を街の外れに案内した。エセルを先頭に、アテマの中で最も背の高い建物に入って行く。宿からも見える建物で、なんの施設かと六花は気になっていた。ステータスの鑑定のために訪れたため、おそらく魔法に関する施設なのだろう。

 建物内を歩きながらきょろきょろと見回す六花に、くすりと笑ったルーラが口を開く。

「ここは魔法学研究所よ」

「魔法学……?」

「魔法を科学として捉える学問だよ」と、エセル。「魔法学を習得することで、魔法に対する解像度を上げるんだ」

 六花は感心していた。魔法が盛んで科学の発展が遅れていると彼らは言っていたが、その魔法と科学が組み合わさった学問というのは初めて聞いた。物理的な科学の発展は遅れているが、魔法的な科学は魔法の発展とともに広がっているということだろう。

「計測はどこでもできるんだけど」ルーラが言う。「リッカが魔力値ゼロだとしたら、普通の計測では数値にズレが生じるかもしれないの」

「だから正確に計測するために専門家を訪ねる」と、エセル。「変わり者だが、悪い研究者ではないよ」

 研究所は洋風の屋敷で、六花のイメージするような物質的な研究所ではない。青い絨毯の敷かれた爽やかな廊下で、エセルは迷いなく一室のドアをノックする。プレートがかけられているが、六花には読めない文字だった。どうぞ~、と男性の軽快な声が聞こえた。五人を待っていたのは、長い赤毛を首元で結んで肩にかける、背の高い白衣の男性だった。男性は六花を見るなり、手をパンと合わせる。

「あなたがリッカちゃんね! お会いできて光栄だわ~!」

 外見と内面の差に六花が面食らっていると、苦笑いを浮かべるエセルが男性を手のひらで差した。

「彼はセヴィリアン・マートル。魔法学研究員だよ」

「よろしくね。で、魔力値ゼロかもしれないって聞いたけど?」

 セヴィリアンが金色の瞳を輝かせる。魔力値ゼロがよほどのことでなければ生まれない世界となると、研究者には心の躍ることなのかもしれない。そう考えつつ、六花は小さく頷いた。

「魔力値ゼロの能力値を見られるなんて、きっと二度とない経験だわ! ああ、楽しみね……」

 エセルの「変わり者だが悪い研究者ではない」という言葉を思い出しながら、六花は苦笑いを浮かべる。きっと根っからの研究者で、知識欲と好奇心に満ち溢れているのだろう。

 苦笑する六花に気付くと、セヴィリアンは朗らかに微笑んだ。

「他の研究者に開示するようなことはないから安心してちょうだい。アタシは自分の知的好奇心が満たされればそれで充分よ」

「本来の目的を忘れてないか」

 目を細めるジルに、んもう、とセヴィリアンは眉を吊り上げる。

「忘れてるんじゃないわ! アタシの研究心はついでのようなものよ!」

「どうだかな」

「相変わらず疑り深いんだから~。さ、リッカちゃん。こっちに来てみて」

 セヴィリアンの手招きに促されながら、六花はなんとなく緊張していた。研究者に能力値の鑑定をされるのは、学校の校医による身体測定とは話が変わる。つい肩に力が入っていた。

 六花が椅子に腰を下ろすと、セヴィリアンは青い水晶を机に置く。六花のイメージでは、占い師が手をかざすような水晶玉だ。

「これで能力値を鑑定するわ。あと、血液検査をするけど構わないかしら?」

「血液検査ですか?」

「ええ。魔法使いって、血液の中に魔力が含まれているの。ステータスボードに出ないほど微弱な魔力だとしても、血中に含まれているとしたら魔力値ゼロとは言えないわ」

「なるほど……」

「注射は苦手かしら?」

「いえ、平気です」

「よかった。じゃあ、まずはステータスボードに出力しましょ。ここに右手を置いて、こっちに左手を置いてみて」

 セヴィリアンは水晶玉の横に木の板を置く。セヴィリアンに促され、六花は青い水晶玉に右手、板に左手をついた。水晶玉から白い光が溢れ、六花を通して木の板へと伝わっていく。光が収まると、もういいわよ、とセヴィリアンが肩を叩いた。セヴィリアンは木の板を裏返して覗き込み、あら、と顔を綻ばせる。

「ステータス上では魔力値ゼロだわ! でも、スキルを持ってるのね。素晴らしいわ」

 セヴィリアンはうっとりしながらステータスボードをエセルに差し出す。四人がそれを覗き込むと、セヴィリアンは次に注射器とシリンジを手に取った。

「お次は血液検査をしましょ。利き手はどっち?」

「左です」

「じゃあ、袖を捲って、右腕をここに置いて」

 セヴィリアンは肩から腕が平行になる高さの台を差す。六花は右腕の袖を捲り、台の上に置いた。血液検査は何度も受けたことがあるが、やはり緊張してしまう。緊張をどうにか和らげられないかと、六花はセヴィリアンに問いかけた。

「利き手と反対の腕から血を採るんですか?」

「ええ。一般的に、魔法の出力は利き手でするから、左利きの場合、右手から左手に向けて魔力が流れる仕組みになっているわ。だから、利き手と反対の手のほうが正確に測れるということね~」

「なるほど……」

 聞いたところで結局よくわからない、と六花が考えているうちに血液の採取は終わる。もとの世界でする採血より量が少ないように見えた。セヴィリアンは針跡に丁寧にガーゼを貼り、シリンジを何かの機械に設置する。六花が袖を直していると、エセルがステータスボードを六花に提示した。

「これがリッカの能力値だよ」

 ステータスボードを覗き込んだ六花はハッとして、一瞬だけ逡巡したあと顔を上げる。

「あの……文字が読めないです……」

「あ、そうだったわ!」セヴィリアンが声を上げる。「ちょっと待ってて」

 六花はこの世界の文字の読み書きをできない。世界が違うのだから、六花の知っている文字はないはずだ。そう考えていると、セヴィリアンがつるの細い丸眼鏡を六花に差し出した。

「これを着けて見てみて」

「これはなんですか?」

魔鏡まかがみと言う魔道具よ。掛けた人間の知能に合わせて文字を変換できるの」

「そんな便利な物が……」

 魔法の偉大さに感服しつつ、六花は眼鏡のつるを耳に掛ける。改めてステータスボードを覗き込むと、六花の慣れ親しんだ文字に変換されて見えた。確かに魔力値はゼロで、他には体力値や耐性、スキルなどが表示されている。自分の能力を具体的な数値で見るというのは貴重な経験だった。

「体力値は低めだけど」エセルが言う。「他は概ね平均的だね」

「残念ながら迷宮攻略向きではないね」と、ロザナ。「精神的負荷耐性はやっぱりないみたいだ」

「どうして『毒耐性』があるのかしら」ルーラが首を傾げる。「何に付随しているのかしら」

「この『病原耐性』じゃないか」と、ジル。「いわゆる抵抗力や免疫力の類いだな」

「そういえば、風邪とかあんまりひかないかも……」

 向こうの世界での生活を思い出しながら言った六花に、へえ、とルーラが感心する。

「これだけ体力値が低いのに風邪をひかないなんて。羨ましい体質だわ」

「父が体の丈夫な人だからかな……」

 六花は、父が病床に臥せている姿を見た記憶がない。風邪をひくことも滅多になく、病院へかかるのは検査のときだけだった。そう考えていると、向こうの世界で六花の帰りを待っているはずの父を思い出し、寂しく悲しい気持ちになった。

「でも、毒耐性を持っているなら瘴気への抵抗力も期待できるよ」

 エセルが明るく言うので、六花は表情に出ていたらしいと悟る。六花はできるだけ早く父のもとに帰りたいと思っているが、エセルたちもそれは同じことだろう。

「あらっ! ほんとに魔力値ゼロだわ!」

 セヴィリアンが興奮した声を上げた。血液検査の結果が出たらしい。セヴィリアンは数値の書かれた紙を五人に見せる。確かに魔力値はゼロと表示されていた。

「報せ鳥すら使えない人が目の前にいるだなんて……」

 セヴィリアンはうっとりと頬に手を当てているが、六花は肩を落とす。

「報せ鳥も使えないんですね……」

「うーん、報せ鳥は魔力消費がほぼゼロと言っても、魔法であることに変わりはないわ。魔力値ゼロでは残念ながら使えないわね」

「でも、リッカにはスキルがあるから」ロザナが励ますように言う。「スキルだって魔法みたいなものさ」

「そおねえ」と、セヴィリアン。「魔力値ゼロにしてはスキルが多いみたいだわ。それも面白いスキルね」

 ステータスボードにはスキルの効果も表示されている。ふむ、とセヴィリアンは顎に手を当てた。

「“チーター”は自分のスキルの効果を仲間に分配する固有スキルね。固有スキルだから、何もしなくても発動していると考えてもいいわ」

「僕がスキルを使ったらすぐにみんなにも反映されますか?」

「ええ。発動時の誤差はほぼゼロと言ってもいいわ。リッカちゃんが仲間だと認めれば分配されるみたいだわ」

 面白いスキルね、とセヴィリアンがつくづくと呟くと、ルーラが顔を綻ばせて六花を振り向く。

「リッカ、あたしたちを仲間だと認めてくれているのね」

「それはこれだけ助けてもらってるし……。僕がみんなの仲間だなんて烏滸おこがましいかもしれないけど……」

「そんなことはない」ジルが言う。「これだけスキルが使えるんだ」

「そうだね」と、ロザナ。「心強い仲間だよ」

 六花はなんとなく気恥ずかしい気分になって俯いた。こうして自分の存在を認めてくれるのは、いまでは父と熊野家だけだった。こんな真っ直ぐに自分を受け入れてもらったのは久々で、少しだけ顔が熱くなる。

「こっちも便利そうね」セヴィリアンが言う。「“忍び足”と“隠れ身”なんて初めて見たけど、迷宮攻略を生業とすることが決まっていたようなスキルだわ」

「効果は実証済みだよ」と、エセル。「ドレスの子どもの背後を走っても観測されなかった」

「う~ん、素晴らしいわ! 迷宮専門クラン垂涎すいぜんものね」

「そういう魔法やスキルを使える人はあまりいないんですか?」

 六花が首を傾げると、セヴィリアンは肩をすくめた。

「足音や存在を消す魔法はあるけど、迷宮内では魔法は効果を発揮しないわ。スキルだけでひとりで仲間もカバーできるなんてそうそうないわよ」

「そっか……スキルじゃないと意味がないんですね」

「ええ。魔力値ゼロでこんなことができるなんて驚きだわ。このスキルを公開すれば、クラン入りはどこでも苦労しないでしょうね」

 セヴィリアンの瞳は煌々と輝いている。知的好奇心が随分と満たされてきているようだが、他の四人は複雑な表情をしていた。六花のスキルを公開すれば、他にも六花を求めるクランが出て来るだろう。六花が自分にとってより良いクランを選ぶこともできる。四人が考えているのはそのことだろう、と考えると、六花は小さく笑ってしまった。六花は、フランクラン以上に良いクランはないと思っている。

「それから“救援隊”と“透視”ね……」セヴィリアンが続ける。「透視は感知系のスキルね」

「でも、それは発動スキルだよね」と、ロザナ。「連発はできないとなると、使いどころを考えさせられるスキルだ」

「いざというとき用ね」ルーラが頷く。「万が一にジルとはぐれてしまったときのために温存しておきたいわ」

「でも、この“共鳴”と組み合わせたらとっても便利そうじゃない?」

 輝く瞳で言うセヴィリアンに、えっ、とエセルとロザナ、ルーラの声が重なった。

「何それ!」と、ルーラ。「前回の鑑定ではそんなのなかったわ!」

「あら、そうなの? じゃあ、迷宮攻略の実績で身に付いたのね」

「それはどんなスキルなんだ?」

 ひとり冷静なジルが問いかけると、そうねえ、とセヴィリアンは頬に手を当てる。

「簡単に言うとそれぞれの位置を特定するスキルね。リッカちゃんが発動すれば、五人の位置を全員が共有することができるわ」

「そんなスキルがあるなんて……」と、ロザナ。「でも、発動スキルならやっぱり連発はできないのか……」

「スキルはそんな簡単に身に付くものなんですか?」

 六花は自分に新しいスキルが身に付いた自覚がなかった。ゲームであればステータスウインドウで表示されただろうが、今回の鑑定がなければ気付かなかったスキルだ。

「迷宮攻略の実績を積めばいくらでも身に付くわ。迷宮専門クランの最高峰であるフランクランの専属サポーターという立ち位置にあるから、サポート系のスキルがよく身に付くでしょうね」

 最高峰、という言葉に六花は思わず四人を見遣る。ルーラは六花と同じ十六歳で、他の三人は六花の世界では“新卒”だ。そんな若さで、彼らは「迷宮専門クランの最高峰」と呼ばれている。よく考えていなかったが、すごい人たちと出会えたらしいということはよくわかった。そんな彼らが、六花がスキルを公開して他のクランに行ってしまうのではないかと案じているのは、あまりに自信が不足している。まだ六花の信用を得ることはできていないと思っているのかもしれない。そう考えた六花は、涼しい顔をしている彼らがなんだか可愛らしく思えてきて小さく笑った。ルーラがきょとんと目を丸くする。

「なに笑ってるの?」

「ううん、なんでもない」

 スキルの効果の高さを利用して他のクランに行こうなど、六花が考えるはずもない。六花はすでに彼らを信用している。きっと、フランクランの他に六花にとって最良なクランはないだろう。





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