第2章【1】

 六花が目を覚ましたのは、すっかり陽の昇りきった頃だった。そしてすべて夢ではなかった。六花の自室にベッドはひとつしかない。それに加えて積読がいくつも山を作っている。こんなに片付いた寝室ではない。

 ひとつ伸びをして、六花はスマートフォンを覗く。相変わらず電話もメッセージアプリも反応しない。フラッシュライトの他に稼働するアプリケーションはないかといろいろタップしていると、不意にカメラが起動した。

(カメラだけ反応する……。撮れるのかな)

 適当にチェストに向けてシャッターボタンを押す。カシャッ、と軽い音がした。しかし、撮れた物は薄暗くぼやけており、映し出される画面とはまったく異なる仕上がりとなった。

(動きはするけど、写真にはならないってことか……)

 せめて何か攻略の役に立たないかと考えたところで、六花はハッとする。

(そうだ、ストロボ……。目眩ませに使えないかな)

 スマートフォンのカメラに目眩ませになるほどの光量があるかはわからないが、フラッシュライト以外に唯一反応するアプリケーションだ。何か有効活用することができるといいのだが。

 タスク切りはできないようだと考えていると、部屋のドアが開いた。顔を覗かせたのはジルだった。

「よく眠れたか」

「はい。お陰様で」

 眠気はさほど残っておらず、しっかりと睡眠を取ることができた。ひとりではないという点が大きかっただろう。そうでなければ、不安でよく眠ることができなかったはずだ。六花は自分が神経質であることは自覚している。それでも睡眠の質は悪くなかったようだ。

「他の三人は食堂で待ってるぞ」

「はい」

 宿で用意された寝間着から高校の制服に着替えを済ませると、六花はジルとともに食堂へ向かった。異世界から来た六花でも、服装という点では特に浮いていない。さすがファンタジーの世界だけあって、様々な服装の人がいる。おそらく学生服も存在していることだろう。

 ジルたちが拠点としている宿はさほど大きくない。六花の印象では、個人経営の旅館ほどの規模だ。それに対し、食堂は広かった。窓側のテーブルで、ルーラが手を振っている。

「おはよう、リッカ。よく眠れた?」

「おはよう。お陰様でしっかり休めたよ」

「それはよかった」と、ロザナ。「寝食は大事だからね」

「はい」

 西洋風の世界というだけあって、宿の食事も洋食風だった。シンプルな朝食で、胃の弱い六花にはありがたい質素さだ。

「今日はまだ迷宮の出現情報もないし」エセルが言う。「リッカの装備を揃えに行こう」

「装備……。でも、僕はお金を持っていません」

 ブレザーのポケットに財布は入っているが、もとの世界の通貨がこの世界で使えるとは思えない。少なくとも「円」ではないだろう。

「もちろん僕たちが出すよ」

「え、でも……」

 それはさすがに申し訳ない、と眉尻を下げる六花に、ロザナが明るく笑いかけた。

「遠慮なんてしなくていいよ。これからスキルで助けてもらうことになるんだから」

「……わかりました」

 これ以上に遠慮すれば、かえって失礼かもしれない。そう考え、六花は小さく頷いた。

「リッカのスキルを見ると」ルーラが言う。「完全にサポート役の能力値みたいね」

「スキルの範囲がどれくらいなのかも確かめたいところだ」

 六花は自分にスキルがあることを知らなかったため、どれほどの効果を持っているのかは自分でもわからない。実戦で試すしかないのだろうと考えると、少々気が重かった。

「低級の迷宮が出現してくれたらいいんだけど」と、ロザナ。「その点では昨日の『止まり木の館』が最適だったのかもね」

「また機会はあるよ」エセルが微笑む。「リッカに合わせて僕たちも装備を見直そう」

 装備というのはおそらく服や装飾品だろう、と六花は考える。六花のスキルは補助系ばかりで、戦闘向きではないことはよくわかる。そもそも戦闘というものがあるなら参加できる自信はない。ジルたちが守ってくれるなら、おそらく武器の類いを持つことはないだろう。ひとりで迷宮攻略をこなせるはずがない。相手がなんであろうと戦う機会はないだろう。それでも「装備」という言葉に少しだけわくわくしたのは確かだった。



   *  *  *



 四人の案内を受け、六花はファンタジーな街へ繰り出す。この街は「アテマ」と言うらしい。都市というわけではないようだが、冒険者に必要な物はたいてい揃う、とエセルが言っていた。王都ほどではないけど、というのはルーラの補足だ。六花はあまり賑やかな場所が得意ではないため、拠点が王都でなくてよかった、とひっそり思っていた。

 まず六花は武具を取り扱う店に案内された。フランクランの馴染みの店のようで、恰幅の良い店主も物腰を柔らかくして接してくれた。

「とにかく、スキルを強化する装備を揃えましょ」

 そう言ってルーラが覗いたラックには、様々な服が並べられている。冒険者といった言葉がよく合う服が多く、武具屋というだけあって、どれも何かしらの効果が付与されているのだろう。

 エセルとロザナが見上げた棚には装飾品が並んでいる。アクセサリーのような物で、どれもシンプルなデザインの装飾品だ。着飾るための物ではないことは六花にもわかった。

「そういえば」ロザナが六花の右手を取る。「薬指に何か着けてるね」

「これは、おばあちゃんが作ってくれたお守りです。僕は取り憑かれ体質だってよく言ってたので……」

 亡くなった祖母は、六花に悪いモノが憑かないように、と祈りながらまじないを結んでくれた。自覚はないが、よくないものを引き付ける体質なのだとか。

「取り憑かれ体質で迷宮攻略か……」エセルの表情が渋くなる。「より強力な武具が必要みたいだね」

「取り憑かれ体質だから」と、ロザナ。「自分の身を守るためにスキルが身に付いたのかもしれないね」

 六花の世界には、もちろん迷宮やダンジョンの類いは存在しなかった。せいぜい幽霊屋敷くらいのものだ。六花は度々肝試しに連れて行かれそうになったが、いつも守ってくれる友人がいた。取り憑かれ体質の六花が肝試しになど行けばどうなるかわからない。田代たちの誘いを打ち明けていれば、いまとは違う未来があったことだろう。

「まずは服ね」と、ルーラ。「瘴気の耐性を上げなくちゃ」

「気になったら試着してごらん」店主が微笑む。「合わない部分は直してあげるよ」

 六花は男子学生にしては体が小さい。男性向けの既製服が合わないことは多々ある。女性物のMサイズが最も合うなんてこともあった。それが六花の気弱さを引き立てていたようなものだ。

「これはどう? リッカに似合いそうだわ」

 ルーラが選び出したのは、グレーと浅葱色を基調とした上下セットの服だった。六花はパキッとした色合いより、曖昧な色味のほうがよく似合う。学生服はどちらかと言うと似合っていないほうだ。

 試着室を借りて身に着けると、肩幅や袖がいまいち合っていない。しかし、その姿を見た途端、ここで異世界であるとまた実感させられた。こんな服装をした人を見掛けるのは、コスプレ会場くらいのものだ。

「どうかな」

 試着室を出た六花に、ルーラが明るく笑いかける。

「よく似合ってるわ。でもサイズがちょっと大きいわね」

「それに決めるなら手直しするよ」

 そう言って微笑む店主は、エセルとロザナに何かの表を見せていた。おそらくこの服の効果が書かれているのだろう。ふたりとも真剣な表情だ。

「効果もリッカに合いそうだ」と、エセル。「リッカはどう?」

「いいと思います」

「じゃあそれにしよう」

 店主が裁縫道具を取り出して、襟と袖を手直しする。慣れた手付きだ。

「やっぱりサイズは合っていたほうがいいんですか?」

「隙間があると、瘴気が入って来るからね」と、店主。「肌に触れる瘴気は少ないほうがいい」

 確かに、と六花は四人を見遣る。四人とも首から手首、足首までぴったり覆った服装をしており、首元も高めの襟やフードで隠している。エセルとロザナは軽装の鎧も身に着けている。隙間のほとんどない装備だった。

 六花が店主の手直しを受けているあいだ、エセルとロザナ、ルーラは小道具の棚を真剣な表情で見ていた。

「まずは魔具鞄マジックパックね」ルーラが言う。「容量が大きいほうがいいわ」

 六花は店主が脇の部分を手直しするのに合わせて腕を上げつつ、ジルを振り向く。

魔具鞄マジックパックってなんですか?」

「空間魔法がかけられたポーチだな」ジルは自分の腰に携えたポーチを指差す。「この中に魔道具を入れて迷宮に持って行く」

 そういえばジルはこのポーチからマールム晶石や魔笛を取り出していた、と六花は考える。空間魔法がかけられているということは、マールム晶石のような小さい物から、回復薬のような大きな物まで様々な物が大量に収納できるのだろう。

「マールム晶石を多めにいれよう」と、ロザナ。「魔笛も多いほうがいいわ」

「そうだね」エセルが頷く。「いざというときはジルを盾にして逃げられるように」

 六花は苦笑いを浮かべるが、ジルは平然としている。そうすることが当然というような表情だ。

「魔笛は単発なんですか?」

「一発から三発まで使えるが、不確定だな。一発でも二発でも、壊れるときは壊れる」

「なるほど……」

 消耗品がランダムで壊れるのはよくあることだ。五個を持って行って五個すべてが一発で壊れる可能性があると考えると、多めにポーチに入れておくのは間違いではないだろう。

「あとは体力増強剤も」と、ルーラ。「ジルを盾にしても、逃げる途中で体力が尽きたら意味がないわ」

「方位磁石は一個でいいとして」と、ロザナ。「蛍石も多めに入れておきましょ」

 それだけの物を入れても腰に携えられるポーチで済むのか、と六花は考えていた。魔法というものはどこまでも便利なものなのだ。だとすれば、ホラゲの主人公たちはどこにあれだけのアイテムを所持していたのか。六花はそんなことが気になりつつ、またジルを振り向く。

「蛍石ってなんですか?」

「昨日の攻略で俺が使った紫色の虫があっただろ。あれが妖霊に観測されない照明の蛍石だ」

「照明が虫か……」

 果たして虫の苦手な自分が蛍石を正常に扱うことができるのか、六花には甚だ疑問だった。

「スキルがあるし、回復薬は要らないかしら」

 回復薬は丸い瓶に詰められた金平糖のような石で、あれは食べることで使用するのか、食べなくても使用できるのか、六花はそれが気になっていた。そもそも金平糖に見えるだけで、食品ではないのかもしれない。

「待って」ロザナが言う。「もしリッカが攻撃をもらったら、ジルがリッカを回復しないといけないわ」

「確かに」と、エセル。「ジルの鞄にいくつか入れておこう」

 攻撃をもらう可能性があることは六花にとって恐怖でしかないが、そうなれば確かにジルが六花を回復するしかない。そうならずに済むことを願うばかりだ。

「妖霊の攻撃をもらっても怪我をすることはないんですか?」

「妖霊の攻撃を受けると、瘴気に直に触れることになる。そのせいで動けなくなるだけで、身体的に損傷を受けるわけではない。回復薬は瘴気を浄化するための魔道具だ」

「なるほど……」

 どう使うのかはそのときになってみないとわからない、と考えると、六花は背筋がゾッと寒くなった。

「あとは探照灯があるといいんだけど……」

 棚を見回すエセルに、店主が顔を上げる。

「悪いが、探照灯はいまふたつしか在庫がないんだ。さっき発注をかけたところでね」

「そうですか。じゃあ、とりあえずふたつ買っておきます」

「毎度。入荷したらすぐ報せを出すよ」

 探照灯、と六花は頭の中でイメージを広げた。探照灯とはサーチライトのことで、手に持って使うような道具ではない。

「探照灯は何に使うんですか?」

「目眩ませだな。妖霊の動きを止めるための魔道具だ」

「目眩ませ……。そうだ、試したいことがあるんです」

 あることを思い出して言った六花に、ジルは首を傾げた。



   *  *  *



 六花の魔具鞄マジックパックがほぼ満杯になった頃、五人は一度、宿に戻って来た。六花の「試したいこと」を確かめるためだ。

 寝室のカーテンを引き、六花はスマートフォンのカメラを起動する。幸い、フラッシュライトのオンオフは利くようだ。カシャッ、と軽いシャッター音とともにスマートフォンが光を放つと、四人は驚いて目を丸くする。

「眩しい!」ルーラは目を細めた。「いまのは何?」

「カメラのシャッター音に似ていたね」と、ロザナ。「それはなんの機械なの?」

「うーん……いまはライトとカメラしか使えないみたいです」

 スマートフォンどころか、おそらく携帯電話と説明しても通じないだろう。電話はあるだろうが、魔法が存在する世界は科学の発展が遅れているというのが通説だ。そもそも、六花に正しく説明できるかと言えば怪しいところだ。

「これを目眩ませに使えないでしょうか」

「どうだろう……」エセルが首を捻る。「光量としては充分に見えたけど……。今度、迷宮内で試してみよう」

「はい」

 失敗したら怖いから探照灯が充分に揃ってからにしよう、と六花はそんなことを考えていた。

 そのとき、エセルのそばで光が瞬いた。報せ鳥だ。

「ちょうどいい。攻略依頼が来たみたいだよ」

「依頼が直接、届くんですね」

「冒険者ギルドに馴染みの職員がいてね。何かと報せを出して来るんだ」

 ギルドから直接に依頼が来るということは、フランクランは迷宮専門クランの中でそれなりの地位を築いているらしい。そんな信用あるクランに出会えたことは、六花にとって幸運であると言わざるを得なかった。




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