第1章【4】
橙色の髪の少女の転移魔法により、彼らは一瞬にして大きな門の前に移動していた。初めて目の当たりにした魔法と想像通りのファンタジーな街並みに、六花は抱えていた恐怖が吹き飛んだような気がした。気がしただけである。それは異世界であることを実感させられる光景であった。
五人は街の大衆食堂に入る。フランクランの馴染みの店のようだった。
「まずは自己紹介をしようか」金髪の青年が言う。「僕はエセル・ディラン。騎士だよ」
「あたしはルーラ・レヴィン」と、橙色の髪の少女。「魔法使いよ。よろしくね」
「あたしはロザナ・オーストレーム」と、茶髪の女性。「魔剣士だよ。よろしく」
「僕は六花です。鈴谷六花」
三人は優しく微笑んでいる。突っ撥ねられるようなことがなくて、六花は心底から安堵していた。どこかもわからない異世界で最初に出会った彼らに受け入れられなければ、何をどうすればいいかわからなかった。運の良さに感謝するばかりだ。
「ルーラ」ジルが言う。「リッカを“鑑定”してみてくれ。スキルを持っているようだ」
「ふうん? 構わないかしら」
ルーラは不思議そうにしながらも、六花に穏やかに問いかける。「鑑定」がステータスを見るための魔法であることを六花は知っている。自分がスキルを持っていることは知らず、正確に把握する必要があるだろう。そう考えて頷いた六花の手にルーラが優しく触れる。じんわりと温めるような感覚があった。
「確かにスキルを持ってるわ」ルーラが話し始める。「まずは『チーター』ね。自分のスキルを周囲の人に分配する固有スキルみたいだわ」
「ということは」と、エセル「ふたつ以上のスキルを持っているということか」
六花にはわけがわからないことだった。もとの世界では「スキル」という概念がそもそも違う。そんな世界から来た自分がファンタジー世界での「スキル」を持ち合わせていることが不思議でならなかった。
「それと『忍び足』かしら。走っても足音が立たなくなるスキルのようね。これも固有スキルみたいだわ」
「なるほどな」と、ジル。「だから迷宮内を走っても足音が立たなかったのか」
六花は確かに、迷宮内を走っていいのかと考えていた。それは六花のスキルにより足音が消えていたためで、ジルはそれを把握していたのだ。
「走るだけでそんなに足音が立つんですか?」
六花は首を傾げる。足音を潜めて走ることもできるのではないだろうか。
「迷宮は妖霊に都合の良いようにできていてね」エセルが困ったように言う。「妖霊が侵入者を感知しやすいように、足音がよく響くようになっているんだ」
「なるほど……」
ホラーゲームでは足音を殺すために「しゃがみ歩き」をする必要がある。この世界の迷宮でも同じようなことがあるのだろう。
「それから『隠れ身』ね」ルーラは続ける。「発動スキルで、発動すると一定時間、妖霊に感知されないようになるわ」
「そんなスキルがあるのかい⁉」ロザナが目を丸くした。「そんなスキルがあれば、どれだけ攻略が楽になるか……」
確かに迷宮攻略において有用なスキルだ、と六花は考える。数秒だとしても、妖霊に感知されないようになれば充分に動くことができる。敵から逃げる際などに重要なスキルになるのだろう。ジルたちがそのスキルや魔法を持っていないのであれば、六花が迷宮に同行することで攻略が楽になることもあるはずだ。
「それと『救援隊』ね。回復薬がなくても回復することができる発動スキルみたい」
「回復魔法のようなものかな」と、エセル。「リッカから魔力は感じないけど……」
「そうね」ルーラは頷く。「魔法はほとんど使えなさそうだわ」
六花は魔法の存在しない世界の人間だ。それで魔法が使えれば、あまりに不可思議というものである。
「あとは『透視』かしら。仲間の位置が見えるようになるようだわ」
「それは助かる」と、ロザナ。「すべてのスキルを使えばリッカは回復役に徹して……」
そこでロザナはハッとして、申し訳なさそうに六花を見遣った。
「ごめん、リッカ。きみがあたしたちに協力してくれることが当然のような言い方をしてしまったね。リッカはもとの世界に戻る方法を探すべきなのに……」
「いえ……」
「繋がったのが迷宮なら」エセルが言う。「もしかしたら、帰る方法も迷宮に手掛かりがあるのかもしれない」
一理ある、と六花は考えた。六花が「名無しの怪談」を試したことで繋がったのが迷宮内だった。もとの世界に帰るとすれば、また繋がるのが迷宮内である可能性もある。
「僕たちも、リッカがもとの世界に戻る方法を探すよ。そのあいだ、僕たちと迷宮攻略をしてみないか?」
六花は答えに詰まってしまった。迷宮内を駆け回った恐怖を思い出すと、再びあの場所に行けるかと言うと甚だ疑問だ。六花の世界にダンジョンは存在しない。そんな六花に迷宮攻略ができるかと考えると、自信を持って頷くことはできない。しかし、六花に備わっているスキルはチートであると考えられる。迷宮攻略に有用なスキルであることに間違いはないのだ。
「心配はいらない」ジルが穏やかに言う。「俺たちなら、お前には傷ひとつ付けない」
「他に協力者を探すと言っても」と、ロザナ。「冒険者がみんな親切とは限らないしね」
四人は自信を湛えた表情をしている。迷宮専門クランと言うだけあって、迷宮攻略には充分に慣れているのだろう。六花としても、もとの世界に戻る手掛かりが掴めるのであれば、エセルの言う通り、迷宮に懸けるしかないのかもしれない。
「……わかりました。足手纏いかもしれませんが……」
「それだけのスキルを持っていて足手纏いだなんてとんでもないよ!」ロザナが笑う。「とても心強いよ」
「でも、僕は迷宮のことをよく知りません」
今日はジルがいたことで突破することができたが、迷宮自体をよく知らない。どういった仕組みであるか、理解しておく必要があるだろう。
「迷宮は『魔窟』と呼ばれることもある」エセルが話す。「人間の害となる妖霊の棲み処だ。迷宮が出現すると、妖霊の気配が魔物を呼んで、街に危害が及ぶ可能性があるんだ」
「迷宮内には、人間の毒になる瘴気が満ちているわ」と、ルーラ。「そのためにマールム晶石が必要なの。けれど、マールム晶石も瘴気の影響を受けるから、攻略は時間をかけられるものではないわ」
ただポケットに入れておくだけでも、マールム晶石の効力が落ちていくということだ。瘴気という言葉の印象としては、冒された人間が身体に損傷を来すと考えられる。その瘴気の中を戦い抜くには、相当の胆力が必要なことだろう。
「妖霊と魔物は違うんですか?」
「簡単に言うと」ロザナが言う。「魔物は倒せるけど、妖霊は迷宮ごとでないと倒せない、という感じかな。だから、ジルも迷宮の妖霊とは戦わなかっただろう?」
「なるほど……」
「妖霊に人間の攻撃は通用しない」と、エセル。「だから逃げるしかないんだ」
「それで、あたしたちのような迷宮専門の冒険者がいるのよ」
ルーラは明るく微笑んでいるが、迷宮専門の冒険者がいるということは、それだけ攻略が困難なものということだ。果たして自分に、彼らについて行くことができるのだろうか、と六花は考えていた。
「迷宮は突如として現れるんだ」エセルが硬い表情で言う。「その出現条件はいまだ謎のままなんだよ」
「でも」と、ルーラ。「五本の柱と最奥の
「迷宮ごとに妖霊が変わるのが難点ね」ロザナが肩をすくめる。「同じ攻略法は通じないんだ」
随分と厄介なダンジョンのようだ、と六花は考える。迷宮ごとに内部構造も変わってくるはずだ。そうなれば、迷宮攻略は難易度の高いことなのだろう。
六花が不安に思っているのが表情に出ていたのか、エセルが優しく微笑んだ。
「しばらくはジルと行動するといいよ。最初に出会ったのも何かの縁だ」
「わからないことはなんでも訊いて」と、ルーラ。「不自由な思いをさせるつもりはないわ」
彼らに、六花を利用するだけ利用しようなどと考えている様子は見られない。六花の力になりたいと心から思ってくれていることは、六花にもよくわかる。先ほどの言葉通り、六花に傷ひとつ付けることはないのだろう。それだけの自信があるのだ。
「ありがとうございます。足を引っ張らないように頑張ります」
「頑張るのはあたしたちさ」ロザナが笑う。「六花がもとの世界に戻れるまで、責任を持ってきみを守るよ」
「はい。よろしくお願いします」
異世界というだけでも、六花がひとりで生きていけるかと言えば怪しいところだ。さらに手掛かりを掴むために迷宮攻略をするなど、ひとりでは到底、無理である。となれば、彼らを頼ることが六花にとって最善だろう。
「さっそく宿を取って今日は休もう」エセルが微笑む。「ジルと同室なら安心できるんじゃないかな」
「はい」
六花が来たばかりの異世界でひとりきりになることを不安に思っていたことは、エセルたちもよくわかっているらしい。誰かが付き添ってくれるなら、それだけで安心感のあることだった。
* * *
エセルたちが拠点とする宿で、六花とジルのふたり部屋が用意された。ベッドに腰を下ろしてひとつ息をつくと、一気に疲れが肩に圧し掛かる。ようやく気が抜け、落ち着くことができた。
「疲れただろう」ジルが言う。「今日はよく眠れるんじゃないか」
「そうですね。でも……目が覚めたらすべて夢だった、なんてことはないでしょうか……」
俯く六花に、ジルは励ますように肩に手を置く。
「そうであることを俺も祈っているよ」
六花はあの二年C組で、恐怖のあまり倒れたのかもしれない。都市伝説の影響でおかしな夢を見ている。朝になって目が覚めれば、明るくなった校舎にいるのではないだろうか。そうしていつもの生活に戻れるのなら、それ以上に良いことはないだろう。
六花は右手を見た。薬指に巻いた紐は、六花を思って祖母が編んでくれたおまじない。祖母の想いが、六花をもとの世界へ帰らせてくれるのではないだろうか。そんな淡い希望を懐いて、最初の夜は更けていった。
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