二日目 嘘まみれの涙たち

 昨日あんな日記を書いたことが天に通じたのか、両親は僕に病名を伝えてきた。

 弟が習い事に出かけた、日曜日の朝。

 険しい顔の両親と、食卓で向かい合った。

 まさに苦渋の決断そのもの、といった表情で、父は病名を口にした。

 僕には心当たりがありすぎる病名だった。

「知ってたよ」

 答え合わせでしかなかった。聞いたからと言って、何も変化はなかった。

 僕が両親を信頼できないのがましになることもなかったし、希望が芽生えることも、絶望のどん底に落ちることもなかった。

 知っていたものに名前がついただけだから。

 名前がつこうが、つくまいが、現象はそこにただある。

 それくらいのことは、僕でもわかる。

 不治の病であることも、父は重々しく話したけれど、知っている僕にとっては興ざめだった。

 それよりも、一刻も早くこの茶番を終わらせたかった。

 僕は話を聞いても、微塵も表情を変えず、ただ無表情だった。

 浮かべるべき感情が思いつかなかったのだ。

 今僕は病名を知らされ、それでも両親は今まで言わずにいたことを賢明な判断と信じている。

 疲れた。

 そんなものをわざわざ正してやろうとも思わない。

 どうせ、僕は両親より先に死ぬのだから、両親と頑張って話すのは無駄に疲れるだけ。

 僕は病名を聞いても、大して思うことはないどころか、それをここまで隠したことの無意味さに呆れるくらいだ。


 僕が席を立つタイミングを探り始めた頃、母が泣き出した。

 自分の病でもないのに、自分の死でもないのに、よく泣けるなあと僕はぼんやりそれを眺めていた。

 泣き崩れる母を、父がなだめながら、奥の部屋に連れて行く。

 僕のことを、「ショックを受けていて、何かを思う余裕もないんだよ」と言っているのが聞こえてきた。

 見事なまでの的外れな言い草に、僕は慌てて口元を隠した。万一笑っているのを見られたら面倒だ。

 あの人たちには、反応の正解というものがあり、そこから外れることを嫌うのだから。

 不治の病を知らされて、母が泣いているのに笑うというのは、間違いなく不正解だろう。

 自分たちの不正解をかえりみることはないのに、子どもの不正解は追及する。

 そういうところが、尊敬できないんだけど。

 僕は静かに席を立って、自室に戻った。

 やっと妙な緊張感から解放されたっていうのに、母の涙、それも僕のためでない涙に振り回されるのは嫌だ。


 母が泣くのは、子どもを亡くす自分があわれだからに過ぎない。

 馬鹿げている。

 治療を頑張るのも、生きるのも、死ぬのも、僕なのに。

 嘘まみれで何の意味もない涙。

 そのことに僕以外気づいていない。

 くだらないなあ。

 そんな現実がくだらなすぎて、吐き気がする。


 現実のひどさを見続けたくはなくて、僕はヘッドホンをつけて、パソコンで映画を再生する。

 火星でサバイバルするSF映画。

 映画のなかでなら、僕は火星にだって行ける。サバイバルも、冒険も、できる。

 でも、現実の体は、窮屈な箱のなか。


 父が僕を非難するような目を向けてきたけど、気づいていないふりをした。

 僕自身の苦しみで、僕だけの病だ。

 勝手に感極まっている人間の処理なんかしてられない。

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