9話 人知れずの記憶



―魔族の宴




魔生暦 7428年(※現行から155年前)




総勢7万弱の軍勢の前にして男は万を期しての如く叫んだ。


「諸君!私は北方ランス王国、国王コルベルク3世である!!近年の魔族における侵略によって今や干渉地帯であったポルークやリーガさえも奪われた!」


「北方最後の要であるこの場で奴らを食い止める事が出来ぬなら、貴殿らが守りし大切な者達は魔族共の血肉となって屠られるであろう!」



「諸君!!!これは最後の聖戦である!!生きて帰れぬ名誉をここに誓うと共に、必ずや魔族を退けると約束する!!魔族を討ち取れた者には例えこの戦いに殉じたとしても、その者の一族末代まで名誉戦士としての称号を与え、このコルベクルの命に応じてその者の一族を未来永劫厚遇する事を約束する!!!勿論、褒美は思うがままであーる!!!」



熱気立つ戦前の口上に7万の兵士達の怒号が地響きと鳴って大地を揺るがした魔生暦7428年。魔族の侵攻を食い止めるべく、北王ランス王国が最後の防衛戦を繰り広げようとしていた。7万の軍勢の内訳。延べ、王国武装重歩兵団2万、王国魔法兵団5千、王国神聖師団3千、そして残る4万2千は世界各地集まった援軍及び冒険者、傭兵団の混成部隊であり、その士気は計り知れない。



この戦いにおける人類の意気込みは間違いなく史上最強とまで謳われていた。



対して魔族側の戦力は非武装の成人した魔族と下級魔族、合わせてたったの100名程。



人類最強の7万の軍勢に対し、末端の魔族100名。



この構図こそが人類と魔族の間に阻む圧倒的な壁であった。




「あーあ・・・なんか暑苦しい。それにしても人間って馬鹿だよね。あれだけ雑魚ばっかり集めたって意味ないのに」


「あれが人間の精鋭なら徹底的に殺せってモズナル様言ってた」


「全く、作業染みていけねぇや。前に戦った人間はたったの5人で俺達と対等に渡り合えていたってのになぁ」


「今、思えばあの者達が人類最後の希望だったのかもしれませんね」


進軍してくる軍勢に対し、やる気の無い魔族達はそれぞれに愚痴、雑談を交えて冷ややかな目で敵を見下している。


そして、戦は開戦した。



「いたぞー!!・・・なんだあの恰好は、それに武器も持たずとはな!!おのれ魔族めが!なめやがって!」


「見くびるな!!!魔族は確実に仕留めよ!!さすれば名誉も地位も、金も思いのままぞ!!」


「うおおおおお!!!女子供だろうがやってやるー!!!」


全身武装した屈強な男達がまるで街にいる平民を多数でなぶり殺しにするかの如く一斉に襲いかかる。だが、想像に反してその凄惨な光景は彼らの首が空高く舞い上がり、その後、後を追うように血の噴水がその場を演出していく・・・。


「ひっ・・・怯むな!!!かかれ!!」


それでも勇敢、いや蛮勇な戦士たちが襲い掛かり、そしてまた一斉に血のワインを空に描く。


「ひぃいいい!!!化け物だ!止まれー!止まれぇぇぇ!!!」


先頭が恐怖に慄き一斉に戦線離脱を計るも、状況を知らない後続との衝突で隊列は一気に崩れ、止まる者は下敷きになり人の山を作り上げる。



「馬鹿野郎!!止まれ!!どけ!!動けないぃぃ!!」



「ねぇ、知ってる?髪の毛ってよく燃えるんだよ?」



少女は身動きが取れなくなった人圧の山の前に座り込み、一番下で苦しむ

兵士にそう声をかけた。



「お前、何を・・・や、やめろ!!やめてくれ!!!」



少女が何かを唱えるとまるでマッチの火のように兵士の髪に火が着いた。



「ぎゃあああ!!!熱い!!熱い!!!動けない!!誰かぁ!!誰かぁ!!!」


狂気と恐怖に満ちた兵士の顔はすぐに焼けただれ、肉の焦げた匂いが辺りを充満すれば煙と炎が瞬く間に人の山を火の海に変えていく・・・何百となる人の断末魔が耳を切り裂くように木霊する。だが、それも万を超える軍勢を前にしてかき消され、未だ後方には届かない。



その一方で・・・


その魔族は目を見開き、驚愕の表情で多数の兵士から暴行を受けていた。


「ヒヒヒ!!!死ね!!死ね!!」


「なんだ魔族とは言えまるで大した事無かったな!!!」


「おい!!抜け駆けするな!コイツを殺すのは俺だ!!」


勝どきを上げ、一斉に一人の魔族を皆でよって集り斬りつけていく。だが、何度と斬れど、殴れど、魔法で焼き尽くせど、その魔族は死なない。その違和感に気づいたその時だった。



「クック・・・ククク・・・」



笑いをこらえられずに思わず口から出た声。それは紛れも無いボロボロになり果てた魔族から聞こえてくる。


「どうした?もっと僕をいたぶれよ。君たちが憎しみ抱いてきた魔族だぞ?さっきみたいに狂気に満ちた顔でもっと・・・もっと激しく・・・ああ」


横たわる首が180度回転し、戦慄した兵士たちの顔を見てニタニタと笑っていた。



「ひっ。ひぃぃぃぃば、化けものー!!!」


状況が理解出来ず、その場にいる全員が後退し始める。



「ああ、これだから人を欺くのは止められない、僕はさっきまで楽勝だと信じて疑わなかったあの自身に満ちた顔が絶望に塗り替えられる瞬間がたまらなく・・・愛おしい、ほら・・・遠慮はいらない、もっと僕をいたぶって笑えよ!!」



「い、いかれてる!!!コイツ頭がいかれてやがる!!!」



この時点で総勢7万の軍勢のおよそ半数は既に崩壊していた。たった100名の魔族に成す術無く絶望を産み付けられ、王を守るように全軍が退却を開始し始める。



「たっ、退却ー!全軍退却ーー!!!一旦退いて体制をたてな・・・なっ!!!なんだこれは・・・!!!」


目視で確認できない程の巨大な結界が、平行線に立ちはだかる。


「一度魔族に剣を向けた者は全員生かして返すなってモズナル様が言っていた」


「だからみんな殺す、さようなら」


魔族の少女はポツリとそう呟く。途端に無数に切り刻まれた何百という肉塊が馬ごとボトリと転がっていた。



「い、いやだ!いやだいやだ!!!私はまだ死にたくないー!!」


馬から転げ落ち、甲冑の下から糞尿をまき散らし逃げるコルベクル3世。


嗚咽

慈悲

人格破壊

幼児退行


誰一人残る事無く7万という軍勢は名も無き魔族100名によって崩壊した。これにより、北方ランス王国は滅亡、残る南ランス公国もその領土の10分の1を失ったとされる・・・人類の歴史を大きく後退させたこの惨事を人々は『魔族の宴』と呼び、今も密かやに語り継がれている。




ーーーーーーーーーーーーーーーー




―知見を深めて―



任務の再確認をする前に、二人の魔族は人間の魔法都市トレンスを訪れていた。白銀の『必中』による絶対攻撃を受けた中で記憶改ざんされていたが、おぼろげながらも記憶を取り戻す。その中で魔法人形の存在を思い出し、その魔法技術をこの目で確かめるべく観光気分がてら潜伏操作している最中であった。


「よう、姉ちゃん一つどうだい?」


青果売りの親父は何時ものように通りすがりの女性客に声をかける。


「まぁ、おいしそう。でも、遠慮させてもらうわ」


「そうかい、まぁ明日も新鮮な野菜仕入れるからよ、寄って行ってくれよな」


そんな何気ない会話に何気ない笑顔。だが、女は今にも吐き気を催せずには居られない気分になっていた。


(人の街並みって初めてだけど、なんて汚いのかしら・・・)


女の若い魔族、シャーデの魔眼は通常目には見えない微生物、細菌や見えない汚れなどを見通す『可視化』の効力がある。何気無く野菜を手に持つ店の親父の手は雑菌と汚れに塗れ、野菜も一見奇麗だが微弱な病原菌が付着していた。シャーデの目から見れば、見てくれだけは奇麗に取り繕っていても、その細部は皆汚物にまみれ、汚染されているのは明確だった。


若く活発に売り子をしているあの可愛げな女性、彼女の下着はその女の体液と、雄の精液で汚れている。香水で誤魔化しているが異臭も酷いものだろう。歯も心なしか濁り黄ばんでいるようにも見え、空気中にも悪いものが漂う。彼女からすればここはまるで豚小屋のように不潔な場所だった。




この街では一番高級な宿へ戻る。


それでも外に比べれば多少マシと言える程度で、ベッドは乾いた体液が滲み、微生物の巣窟となってとてもじゃ無いが横になる気にもなれない。


「ただいま」


「おかえり、どうだった視察の方は」


「・・・吐き気がしそうよ。人間ってどうしてこんなに汚いのかしら」


「姉さんは何でも見えるからね。見なくていいものも」


「こんなブタの肉を食べなきゃ生きていけないなんて、どうして食事を取らなきゃならないのかしら」


「魔族は人の肉を食べないと魔力を維持できないなんて、随分とよく出来た話だ。でも、大丈夫。僕たちが普段口にしている肉はこんな汚染された所で育った肉じゃない。それに奇麗に洗浄だってしているはずだしね」


もう一人の若い魔族、弟のアリストアは書物に目を通したまま姉のシャーデに淡々と答える。


「そう・・・」


シャーデはベッドに浄化の魔法を施すとゆっくりとベッドに座った。


「食事、睡眠、それに・・・性行為セックス


「どれもこれも非効率で野蛮・・・でも」


「ねぇ・・・アリストア・・・ここで、してみない?」


少し艶のある声でシャーデは弟を誘惑する。


「姉さんはそういうの一番嫌いだと思っていたけど」


「そうよ、でも、なんでそんな事しているのか、経験してみるのも悪くないかと思ったの」


「はぁ・・・止めておくよ。子孫を残したいのならいくらでも方法はある」


「アリストア、貴方は真面目ね、目合いで力を付ける女はさぞお嫌いかしら?」


「別に、それは戦略の一種だ。否定はしないな」


「さて、さっき潜入した魔法研究所にあった人形の解析、及びその報告については区切りがついた。僕はもう帰るけど姉さんはまだ残る?」


「ふざけないで、帰るに決まってるわ」



そして二人の気配が部屋から忽然と消え、静寂だけが取り残された。

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