第4話

「は? それどういうこと?」

 そんな話を玻璃に聞かせると、思ったよりもドスの聞いた返事が返って来た。仕事も終わり、ベッドの上で湯上りリラックスタイムを満喫していたはずの彼女だったけど、鋭い視線がほろ酔い気分の私を射貫く。思わぬ圧に、足元がふらついた。

「いや、あくまで可能性の話ね。ここには住めなくなるかもって話だったし。そしたら私、行くとこないし。私も気は引けるから、そうならないように就職頑張るけど!」

 矢継ぎ早の言い訳をしてみたけれど、玻璃の表情はどんどん険しくなるばかりだった。そのまま絞殺されそうな勢いだったので、とりあえず私は、残った飲み代をそっとテーブルの上に置いた。

「じゃあ、その就活の成果は? 今日、職安行ってきたんでしょ?」

「それはその……あんまり魅かれなくって、応募は保留にしたけど」

「ダメじゃん」

 無職の精一杯の努力を、それはもう気持ちよく、バッサリと切り捨てられる。仕事を探す意思を示しただけでも、褒めてくれたっていいじゃないか。怖いのでそんな文句は言わないけれど。

「ほんとに出てくの?」

「だからそれは、状況次第というか……」

 私だって、今後どうなるかなんてわからない。仕事だって、頑張って探したところで実際に決まるかどうかは分からないし。結局はモチベーションの問題。今の私は、新卒一年目の高寺さんと一緒なのだ。

 玻璃はため息をひとつつくと、壁のほうに向かって寝返りをうつ。それからぽつりと、付け加えるように言った。

「その高寺さんって人に会わせて」

「え、なんで?」

「なんでも! あと、酒臭いからシャワー浴びてから寝てよね」

 ピシャリと言い放って、玻璃はそのまま布団をかぶってしまった。元同僚と妹を引き合わせるなんて、これ以上なく気が進まないのだけど。でも毎度のことながら、私に拒否権というものは存在しないのだ。


「そういうことで、これが妹の玻璃です」

 玻璃と高寺さんの顔合わせは、週末の喫茶店で行われることになった。喫茶店と言っても、私がよく使うカフェチェーンではなく、シックでオーセンティックな純喫茶。そのボックス席の一角に私と玻璃が並んで座り、向かい側に高寺さんが座っていた。何かの面接みたいだ。

「で、こっちが元同僚の高寺さん」

「はじめまして。高寺です」

「玻璃です」

 両者にらみ合ったまま、小さく会釈をする。私はその間に挟まれながら、とりあえず三人分のコーヒーを注文した。

「えっと、斎藤さん。これはこの間のことをちゃんと話し合うための場ってことで良いんでしょうか?」

「あの、私も斎藤なので、紛らわしいんですけど」

 私に呼び掛けた高寺さんの言葉に、玻璃が横からわてて入る。なになに。なんか空気悪くない?

 高寺さんは、むっとして玻璃のことを見てから、もう一度私に視線を向けた。

「じゃあ、瑠璃さん?」

「はい、瑠璃です」

 また、反射的に返事をしてしまった。ええと、なんだっけ。この間の話の続きかってことだっけ。

「この間の話については検討中で――」

「いえ、それで合ってます」

 私が返事を言い切るより先に、玻璃がそう言い添えた。どうした。話の内容もそうだけど、なんだか今日は食い気味だね?

「今日は、ちゃんとお会いして、そして申し出をお断りしに来たんです」

「そうなの?」

「瑠璃姉はちょっと黙ってて」

 黙っててってことはないじゃない。他でもない私自身の話だってのに。ただそれを言ったところで話がこじれるばかりの気がしたので、とりあえずお口にチャックを決め込むことにする。

「それは、妹さんが決めることじゃないんじゃないですか?」

「私、あなたの妹じゃないんですけど」

「じゃあ、玻璃さん」

「はい、玻璃です」

 ついさっき自分もやったようなやり取りを経て、高寺さんは改めて玻璃に向き直る。

「私は、瑠璃さんが必要ならいつでも手を貸しますよと申し出ただけです。その必要かどうかを判断するのは瑠璃さん自身であって、玻璃さんは関係ないんじゃありませんか?」

「関係なくないですよ。今、姉は私が養ってるんですから。姉の生活の決定権は私にあるんです」

「それは驚きの暴論だね?」

 思わず変な笑いが漏れてしまった。すると途端に、ふたりの視線が私に向く。どうやら、感想を口にすることもダメらしい。私は肩身の狭い思いをしながら、店員さんが持ってきてくれたコーヒーを、わざとらしく啜った。

「でも、今の住居じゃふたりで住むことはできないんですよね?」

「それは……そうですけど」

 高寺さんの切り替えしに、玻璃はバツが悪そうに言いよどむ。そんな姿を見て、高寺さんは得意げに鼻を鳴らした。

「私が住んでいるのはファミリーマンションですし、環境の問題はありません。玻璃さんと違って十分な経済能力もあります。それに瑠璃さんが望む業界にだって明るいので、就職先を探す協力だってできるかもしれません」

「まじで? それはめちゃくちゃありがたいかも」

 思わず声をあげてしまってから、はっとして口を噤んだ。だけど今度は咎められるようなことはなく、代わりに高寺さんはもっと鼻高々に笑って、玻璃は悔しそうに顔をゆがめる。そんな様子がうかがえた。

「でも、やっぱり赤の他人が姉を養うっていうのはおかしいと思います。血が繋がってるからこそ、私が姉を養わなきゃいけないんです」

「私には、瑠璃さんに貰った恩を返す義務があります。そこに玻璃さんが割って入るのは、筋違いというものじゃありませんか?」

 両者、一歩も引かず。というか、なんでどっちが私を養うかでこんなに熱くなってるんだろう。自分のことではあるけれど、傍から見てる分には滑稽だよ。というか、私が就職先を見つけて自立するという選択肢は考慮されていないのかな。ぶっちゃけ、私も考慮してはいないけど。

「瑠璃姉は、血の繋がった妹と一緒のほうが、安心して生活できるよね?」

「これからの人生を考えたら、私と一緒のほうがメリットが沢山ありますよね?」

 ふたりの縋るような視線が、一斉に私を見た。さっきまで黙ってろって言ったのに、今度は意見を求められて、私にどうしろって言うんだ。玻璃の言い分も、高寺さんの言い分も、私のことを考えてくれているのは嬉しいけど。そう力強く迫られてしまうと、なんというか――

「いや、普通に怖いわ」

 それが素直な感想だった。

「ちょと、瑠璃姉! 真面目に考えてよ!」

「そうですよ! 人生がかかってるんですよ!」

 ふたりにいっぺんに責められて、私は視線を泳がせた。君たち、ついさっきまでいがみ合ってなかったかい。それに、そうやって責められれば責められるだけ、人間ってのは引きたくなるもので。そもそもこの、自分の自立心の無さを浮き彫りにされるような話し合い自体が、こう胃にキリキリとダメージを与えてくるわけで。

 すっかり針のむしろになった私は、すくりと立ち上がっていた。

「どっちの世話になるとか、もうふたりで決めて貰っていいから。じゃ!」

 それだけ言い残して、足早にその場を退散する。約二年間の無職生活に学んだことがあるとしたら、ここぞという時の逃げ切りスキルだ。すぐさま背中にふたりの声が響いたけれど、それを完全に無視して、私は店を後にした。

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