第3話 存在価値
楓の家族は父と母と妹の四人家族。
父は医者、母は専業主婦、妹は進学校の私立中学に通っている。
父は家族に関心がないようだった。
楓が物心つく頃から可愛がられた記憶はなく、いつも冷たい目で見下ろされたことしか思い出さない。
父には愛人がいるようで家にいないことが多かった。
母も愛人の存在を知っているようだったが、父に捨てられることを恐れ何も言わず耐えていた。いつもイライラしていることが多いのはそのせいもあるのかもしれない。
楓から見て、父は決して家族を愛しているようには到底思えなかった。
朝早くに出て行って夜遅くに帰ってくる。家族とは滅多に顔を合わせないし、合わせたとしても話もろくにしない。
休みの日があっても家族をどこかへ連れていくことは絶対ないし、自分のためにしか時間を使わない。
助けが欲しいときも助けてくれたことはないし、そんなものに気づきもしなかった。
妹の
頭が良く、容姿端麗、要領もよく、友達も多い。大人たちからも信頼されていた。そんな美奈が父と母から
「お姉ちゃんも、もっと賢く生きた方がいいよ」
昔、楓は美奈にそう言われたことがある。楓には無いものを沢山もっている、それが楓の妹、美奈だった。
母の
父に愛されるため、妹に気に入られるため、いつも二人に尽くしていた。
まるでそのことで自分の存在を確かめているかのように。
ただ、楓にだけは違っていた。
亜澄は楓を見ているとイライラした。
美奈のことは可愛いのに楓のことは可愛くない、どうしても愛せなかった。ストレスが溜まるたびそれを楓にぶつけた。
亜澄は楓に嫌悪感しか感じられなかった。
楓は家路を歩いていた。
だんだん家が近づくにつれ楓の胃がシクシクと傷み出す。
玄関の前に立つと深呼吸をして気を落ち着かせた。
恐る恐る扉に手をかける、いつもこの瞬間が大嫌いだ。
どうか、どうか、無事に家に入れますように……。
怖くて手が震え、心拍数が上がった。
扉を開けるとそこには仁王立ちしている亜澄の姿が目に飛び込んだ。
心臓が跳ね上がり、血の気が引く。
「しまったっ」と心が叫ぶがもう手遅れだ。
地獄が始まる……扉が閉まった。
「った、ただ……いま」
楓は逃げ出したい思いを必死に抑えこみ、震えながら蚊の鳴くような声を絞りだす。
「いつも早く帰れって、言ってるよね」
イライラしている時の声だと楓はすぐに察知した。
「っ、ごめんなさい」
謝ろうと亜澄に目を向けた途端、パンッと大きな音が鳴った。
楓の頬に痛みを感じ、ほんのり赤くなる。無機質な亜澄の冷たい目が楓を見下ろす。
「ごめんごめんって! あんたはそれしか言えないの!」
亜澄が大きく手を振りかぶり、楓は衝撃に備えた。
「母さん? どうしたの?」
妹の美奈が二階から降りてきたようだ。亜澄は慌てて美奈の元へと駆け寄っていく。
「ごめんね、うるさかった?」
先ほどとは打って変わって猫なで声を出している。
「ううん、別に……お姉ちゃん、大丈夫?」
玄関で座り込み俯いている楓の様子が気になり美奈が視線を向ける。その視線を遮るように亜澄が美奈の前に立った。
「大丈夫よ、お姉ちゃんちょっと具合悪いみたいね。さ、美奈ちゃん、美味しいお菓子があるから食べましょう」
亜澄は美奈を促し、リビングの方へと連れて行こうとする。
そのとき亜澄は楓の方へと顔を向け、口をパクパクさせると不適な笑みを残し、その場を後にした。
楓にはそれが何を言っているのかわかった。
「……はい」
誰にも聞こえない小さな声で答え、楓は力なく立ち上がった。
学校から帰ってくると、料理、洗濯、掃除、すべての家事を楓がこなす。
それを終えたら亜澄と美奈の残り物のご飯を食べ、残り湯でお風呂に入り、あとは眠りにつくだけ。
父は夜中に帰ってくるか、朝帰り。
楓たちのことなど興味もない、家事を誰がしているかなど気づいてさえいないだろう。
亜澄はいつもそんな父を待って、帰りが遅いといつまでも家の中を徘徊していた。楓はそんな母の姿を見るのが苦しかった。
楓は誰にも期待することをやめていた、すべて諦めて生きることを選んだのだ。
誰も助けてくれない、誰も必要としてくれない。だったらどうすればいい?
こうするしかない。
だって、期待しても裏切られる、傷つくのはもう嫌だ、もう疲れた。
存在価値はもう、誰かが自分を必要としてくれることだけ。
必要とされなくなったら生きている価値がなくなる……本気でそう思っていた。
読んでいただき、ありがとうございます!
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