無題.5

 真理とマッチングアプリの件で話しあってから、まるで何事もなかったかのように、ただただ時間が過ぎ去っていった。


 相も変わらず、僕は真理と平日の夜に映画を見に行ったし、週に何回も何回も彼女とホテルで、アパートで情熱的に交わったりした。


 そこには、今までの真理との、何も変わらない生活があった。安心感が次第に僕を満たしていった。そう思い込もうとしていた。


 真理との初めての出会いは、趣味繋がりで意気投合して、そのまま流れるように体の関係を持つに至ったという、正直に言ってしまえば、いい加減とも思えるようなものであったけれど。


 僕は結果的にとても幸せに彼女との生活を送っている。出会いがどのようなものであれ、最終的に今の生活が満たされていると感じることができるのであれば、出会いなんてものは何でもいいじゃないか。


 真理は僕にとっての特別になり、僕が真理にとっての特別であってほしいと願ってやまない。


 真理が実際、僕のことをどう思っているのか、そんなことなんて表面的にしかわからないけれど。その表面的な関わり合いを積み重ねていければ、僕もなんだかんだいって、人並に幸せだと感じることができるんだと思う。


 だから……


 だから……


 もう、何も何も……


 僕のこころをかき乱さないでくれ。


 なにも……


 なにも……


 真理のことを変えないでくれ。


 変わらないで、いてくれ。


 ……


 ……


 ……


 幸せのなかに、いつもこうして訪れる一抹の不安。変化に対する恐れ。僕が変わってしまうことよりも、他人が変わっていってしまうことばかりに目が留まる。


 幸せとはなんだ。おそらく、それはとても個人的な感覚でしかないのだろう。だから、こうして自分自身に対してではなく、他人に何かを求めてしまうんだ。


 そしてその幸せのなかに、ぽつりと唐突に生じる不安という概念が、より他人に何かを求めるという傾向を増長させていく。幸せになるために他者に依存してしまう。


 そんな、幸せの在り方ではいけないと、こころのなかで思いながら……


 たしかにそう、感じながらも……


 次第に、他力本願になって幸せを追い求めていく。


 ……


 ……


 ……


 僕たちはもしかすると、与えられることが当たり前の世の中に慣れすぎてしまったのかもしれない。需要と供給はかつて、それぞれにある程度の独立を保っていたはずだ。


 しかし、今はどうだ。今の世の中において供給ありきの需要になっていないか。本当は何も自ら欲していないということを自覚しないままに、供給されているコンテンツをただ消費していないか。それをあたかも、消費者ありきの資本主義経済などと妄信していないか。


 僕たちはもう、餌を与えられてただ従順に育つ家畜同然の存在になり果ててしまっているのかもしれない。与えられるものがなければ、もう何も欲しなくなる存在になり果てているのかもしれない。無気力の世代になっているのかもしれない。今までのコンテンツはそのような影響を僕たち動物に、もたらしてきたのではないか。


 ……


 ……


 ……


 僕はその幸せという、ぼんやりとした感覚のなかで、真理のなかに溺れていったんだ。真理を求めて溺れていったんだ。




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




 ぽつり。ぽつり。


 雨が降っている。


 夜の時間帯にしっとりと優しく降るような雨。


 都会のネオンが乱反射した幻想的な空間。


 そのなかを真理はラフなファッションで颯爽と歩いていく。


 彼女は、ベージュのTシャツと、ライトブルーのスウェットパンツを着こなしており、そこに真っ白なスニーカーを履いている。裾に向かって少し細くなるスウェットのテーパードデザインが、無駄のないスタイリッシュな印象を醸していた。


 ラフでリラックスした服装で、ボーイッシュな雰囲気は今夜の彼女の足取りを軽くしているようにも見える。


 しかし……


 今夜は天気予報にはない雨が降っていた。


「雨嫌だな……。スニーカー新調したばかりだったのに。しかも、白。ついてないなー」



 心なしか言葉遣いも、荒々しくなっているようにも感じる。そんな真理の自由気ままな独り言が、都会の喧騒と雨の心地よい響きに吸収されていく。



「あぁ~。わたし何してんだろう。こんなことだらだらと続けちゃってさ。そろそろやめようと思ってるんだけど、なかなかやめられないんだよね」



 彼女は少しだけずれたショルダーバックを面倒くさそうにかけ直す。目的地まではもう目と鼻の先といったところだ。



「あの人との関係性だけにしたいのに。以前の私のままじゃぁ、いけないのに。って、毎度この繰り返しじゃん。ははっ。クズ女だなぁ……」



 真理はそんなことを言っている。


 そして……



「あ、もしかして、虎の穴る、さんですか~」



 真理は駅改札口の前で待ち合わせをしている風の、チャラチャラした雰囲気の金髪の男性に声をかけた。彼は、そばかすが鼻のあたりを中心にして頬へと広がっていた。


 彼は、見た目に似合わず、照れたような表情を浮かべていた。金髪という派手さが見事に似合っていない、その優しそうな顔つきということもあって、言い方は悪いが、少しの気持ち悪さが彼にはあった。


 そしてどうやら、真理はこの男と待ち合わせをしていたようだった。



「もう~。そんなニックネーム、私以外だったら誰も見向きしないですよ~」

「ははっ。ニックネームで人を判断するようなやつを振るいにかけたまでだよ」

「なにそれ~。早口オタクじゃん。いろいろと似合ってないですね~」

「しょ、初対面から冗談きついね……」

「冗談じゃないよぉ~」



 真理はそんな調子で、その男と少しの距離を開けながら、その場所を後にした。



 そしてまた、その空間は何らかの目的によって人々で入れ代わり立ち代わり、埋められていった。その繰り返し……



 改札前のたくさんの柱が並んだその地下空間で……


 今日もたくさんの男女がマッチングし(出会い)……


 夜の街に溶けていった。その関係性に溺れていった。



【To be continued】

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