無題.4

 僕はまた、映画を見終わった。怪獣が街中を踏み鳴らしていく映画を、再び見た。


 コンテンツを何回も繰り返して味わうという行為には、一体どのような意味があるのだろうか。どのような効果があるのだろうか。


 僕はよく、そんなことを考えてしまう。もちろん、真理の言うように繰り返し見ることで、そのコンテンツへの理解が深まることは間違いないと思う。しかし、理解が深まるという結果が果たして僕たちに何のメリットをもたらしてくれるのだろうかと、そんな面白みの何もないことを考えてしまう。


 かの有名な作家、三島由●夫は当時すでに蔓延っていた低質で下劣な文章というものに嘆いていたらしい。(現在はそれよりもはるかに事態が混迷しており、合成データの氾濫が与える影響などということが指摘されている。SNSのインプレゾンビなどもそれに乗じて出現したひとつの現象のようだ。)僕はもちろん、その当時の文章にリアルタイムで触れたことがないし、これからもその当時の雰囲気に触れることはできないだろう。しかし、そこから唯一わかることがあって、それは正統派とされてきたモノに対して時代ごとに必ず新しい潮流に従ったモノが様々な形で対抗して現れうるということだ。


 それは文章という局所的な話だけではなく、このコンテンツという総体においても十分に当てはまる。このように僕が考えていることは、コンテンツを広範囲に摂取してきた人ならば感覚的にわかることだろう。


 今のコンテンツにはどのような種類があって、どのような性質を持っているものが時代を席巻しているのか。そしてその潮流は僕たち、現代人に対してどのような影響をリアルタイムで及ぼしているのか。


 ……


 ……


 僕は正直いって、悩んでいる。真理のこと以外でもたくさん悩みながら、生きている。


 一つには、このコンテンツとの向き合い方にある。真理が悪影響を受けてしまっているのではないかと勝手に邪推している、そのコンテンツへの解釈がある。


 しかし、僕の悩みはもっと複雑で不明瞭なものだ。悪影響も含めて、コンテンツが与えうるあらゆる影響というものに対して、個人的な感覚がちっともわかないのだ。


 要するに、僕は本当にコンテンツをみて効果的な影響を受けているのか? という感覚だ。そしてそれは、気が付けばあるサイクルのなかに閉じ込められていることへの焦燥感につながっていくんだ。


『僕はコンテンツを消費しているだけじゃないか』


 この現代における消費のサイクルに、僕にとってのコンテンツという存在はまんまと、ハマってしまった。これは同じ映画を繰り返し見ることへの躊躇いからも、強く自覚している。


 コンテンツから何かを学びたいと思いつつも、気が付けば、その学ばなければという思いに駆られて(あるいはそれ以外)、焦燥感のなかで何も自分を変えられないまま、コンテンツだけが通り過ぎていく。


 そんなある種の無力感を僕はコンテンツに対して、感じている。


 コンテンツから影響を受ける存在以前に、僕は消費のサイクルから抜け出せないままにコンテンツという情報を、ある意味で恒等関数(Identity function)的な存在として、ただ垂れ流しているだけではないか……と。


 だから、僕は真理に対して不信感と同時に、強い羨望を抱いてしまうのだ。


 ……


 ……


 どうしてお前はコンテンツでそこまで自分を変えることができるんだ、と。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



 映画館から帰ったさきは、僕のアパートだった。真理が僕の欲求不満をしつこく主張していたので、それに流されたという感覚だ。もちろん、少しの劣情はあったのだが、複雑な気持ちだ。おまけに映画をみてふわふわと、非現実的な世界を歩いている感覚にもなっている。


 そして、そんなときにする真理との情事は、往々にしてとてつもない快感を僕と真理にもたらすんだ。


 しかし、今日は訳がちがう。僕はやっとのことで、落ち着いて話をできる場所で、腰を落ち着けて真理と話をすることにした。



「真理……話があるんだ」

「なによ、深刻な表情をして」



 真理はまだ、さっきの劇場での非現実感をかなり引きずっているようで、声が浮ついている。こころなしか、僕のことを見る目がいつもと異なる気もする。



「ちょっと、重たい話になると思うんだけど」

「あなた、いつも重たいから変わらないわ。いいよ、なんでもいって」



 真理はそんないつもの冗談を言うのだが、こちらとしては状況が状況だ。少しだけムッとしてしまう。



「……今日、大学の講義中に見知らぬ男、とでもいっておこうかな」

「お、なんだなんだ~」



 真理は冷蔵庫からビールのロング缶を取り出して、雑なコップに注いでいる。7:3などお構いなしといった感じだ。



「そいつから、変な噂を聞いてね」

「なんすかなんすか~」



 まったくもって、真理は状況を感じとっていない風だった。いつもの映画鑑賞後のハイテンションな真理の姿があった。




「……これ、見覚えあるかな」



 僕はそう言って、遠まわしに真理に事実確認を迫ったのだった。


 真理は僕のスマホの画面をのぞき込む。


 そこには、マッチングアプリのスクショ画面があり、加工が施されてはいるものの、はっきりとそれが真理の顔であることがわかる。


 そんな、僕なりの証拠が映し出されていた。



「なにこれ。なんであんたがこんなもの持ってるの?」



 真理はそれをみた瞬間、険しい表情になった。少しだけ戸惑った表情が顔をよぎったような気もする。



「だから、その見知らぬ男だよ。僕はそいつから、真理がマッチングアプリで男とやりまくっている。そういわれたんだ」

「……なにそれ。意味わかんない」

「僕には本当のことを知る権利がある。真理の彼氏として、これは当然のことだと思う。だから、こうやって確認しているんだ。どうなんだ?」



 僕は声が震えている。それは真実が明らかになることへの恐怖だろうか。それとも真理との関係になんらかの変化が生じることへの後悔だろうか。


 心臓が喉元まで飛び出てくるかのような脈拍に、あたりは沈黙を貫いている。


 そして、しばらくしたのちに。


 真理は口を開いた。


 ……


 ……



「あなたはそれを聞いて、どうしたいわけ?」

「どうしたいって……本当かどうかを知りたいだけで……」

「私がそんなことないって言ったとして、あなたはそれを信じるわけ?そんな雰囲気にも見えないんだけど」

「そ、それは真理からも証拠をみせてもらって」

「証拠ってなによ。なにが証拠になりうるのよ」

「それは……」



 僕は押し黙った。真理はずっと僕のほうを凝視している。先ほどの愉快な雰囲気はどこかへ行ってしまったかのように、真理もまた真剣な表情で僕を見つめ返している。


 それを見ると、僕はなにもかも、勘違いをしていたのではないかと思えてきてしまう。


 僕は、あの男に踊らされていただけではないのか、と。



「私の気持ちはどうなるわけ?そんな名前も知らない男の情報に踊らされてる彼氏をみて、いったい私はどんな感情を抱くかあなたは少しでも想像した?」

「真理、それはいくらなんでも……」

「あなたは、少なくとも映画館で落ち合ったときから、そんな不機嫌な態度でいるべきではなかった。私はいろいろと我慢していたけれど」

「…………」

「人を疑ったり、本当のことを知ろうとするときはね、あなた。憶測だけが先走ったりすることがあってはならないと思うの。そこには相手の立場にたって疑うという姿勢がないと駄目なのよ。そしてそういう心持のひとは、このような話し合いの場で、不機嫌になったりはしないわ」

「そ、それは……」

「あなた、サブカルを愛してきた身として、一体全体何を学んできたというのよ。建設的な話し合いをするための条件すらも理解できていないのかしら」



 彼女はひたすらに、言葉で僕を虐めた。しかし、僕はそれをただ、聞くことしかできなかった。


 彼女の言葉が強かった。ひたすらに言葉がするすると効果的に紡がれていき、僕のこころをえぐっていく。


 まさしく、僕がコンテンツに対して抱いていた悩みを的確に突いてくるかのような、言葉。言葉。言葉……




「…………」




 僕は言葉を失ってしまった。彼女の言う通りだったからだ。すべて、これは僕の憶測だったのだろう。突如として現れた男から受け取った情報に踊らされていただけなんだろう。僕は僕の都合のよい彼女の像を作り上げていただけなんだろう。


 疑念の概念に束縛されていたんだろう……



「いいわ、もう。なんだかあなたを見ていると、こっちまで泣きたくなっちゃう」

「…………」

「ふぅ……映画を見ましょう、あなた」



 真理はそう言って、立ち上がった。とても自然な流れかのように見える動作で、少しも自然じゃない行動をとった。



「え、映画……?」

「そう、映画よ。こんなときこそ、映画をみなくちゃ」



 真理はこうして僕の家にあるサブカル系の映画をチョイスしてプレーヤーにセットした。そして、僕のとなりに腰を下ろした。


 ライオンのイメージがテレビに映しだされている。子供のころからずっと見続けてきた映画の始まりの一つだ。


 僕はその子供の自分から、どう変われたんだろうか。何回も何回もこのライオンを見続けてきて、どう変われたんだろうか?



「さっきはごめん、真理」

「ん……いいよ。ちょっとムカッとしただけだから」

「反省した。僕の醜さを理解できた。だからさ……」

「ん?」

「本当はどうだったの?」



 ……


 ……


 ……



「嘘に決まってるじゃない」



 真理はきっぱりとそう言った。そうして、映画のストーリーが始まった。タクシードライバーが都会で変わり果てていく映画だった。思えば僕はこの映画を繰り返し、繰り返し小さいときに見ていたような気がしている。


 大きくなればなるほど、コンテンツをいかにして見るのかという問いだけが大事になっていくような気がする。僕はそんなことを、中学生ごろのあの純粋な興味だけで生活していた頃を思い出しながら、強く実感した。



「ははは、よかった。あれ、よくよく考えればひどい顔だったもんね。真理のほうがずっと綺麗だよ」

「…………………」



 メロウな響きをもつ、その魅力的な映画のサウンドが僕の脳汁を振動させる。


 僕のこころが、コンテンツに溶けていった。久しぶりに気持ちよく……


 溶けあうことができたような気がしていた。


 途中、彼女の、真理のぬくもりを感じながら……


 僕たちは、コンテンツと肉欲に溺れていった。



「ほんとうに私たちは馬鹿だね。こんなことで……」



 真理が途中、そんなことを言いながら僕に溺れていったが、僕は大して気に留めなかった。



「はぁはぁはぁ……」



 タクシードライバーが街中を運転しているなか、僕たちはアパートの一室で、今日もまたどこかへ彷徨うようにして……


 最後には、うとうとと眠りに就いた。


 テレビの向こうでは、ピストルが彼の頭を狙っていた。


【To be continued】

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