第15話 うちの汐亜ちは最強ね(紅葉side)

 雪と柊がメイド喫茶から出ていって、汐亜はひそひそ声で訊いた。


「ねぇ、紅葉。あの二人って付き合ってるの? 雪ちゃんから聞いてない?」


 つられて私も声の音量を下げる。


「推しは遠くから愛でるもの。ガチ恋勢じゃあるまいし、恋愛とは別次元の話でしょ。そんな単純な括りにしないでほしいわ」


 眉をひそめた汐亜は、納得していないようだった。


「でも、雰囲気的にそうじゃないかなって思わない? あの様子だと、とっくにチュートリアルは通り越してる。柊以外のルートをちら見した上で、選んでくれたんだよ。それに、あの子の目。何個か恋愛イベントをクリアしてきてるって」

「汐亜ちー! またゲーム用語で説明してるわよ! 直してって何回も言っているでしょ。気になるものを布教しないでくれるかしら? うちは、家の事情でボードゲームとトランプしか許されていないんだから」

「規制かかりまくりの生活で、よく発狂しないよね。僕だったら耐えられないよ。ゲーム配信に来てくれる人のおかげで、学校に行けてるようなものだし」


 何よ、そのウインクは。まさか、私がリスナーの中にいることがバレてしまっているの? 汐亜と違って、本名からアカウント名を取ってきていないのに。


 私はゲームをしないけど、汐亜の配信は聴いていられた。私には理解できない操作が魔法みたいに見えて、一緒にやっている感覚になれた。パソコンが使える時間のほとんどを費やしてでも、もう一人の汐亜を目に焼きつけていたかった。


「読書で推し活ができるから、そこまでストレスはないわよ。純文学も読んでいるおかげで、ライトノベルにかけるお金も支給されるのはありがたいわ。えいメイも、えびせんも、店舗特典リーフレットをコンプリートしようとしたら費用がそれなりにかかるもの」

「おまわりさーん、二次元の金髪美少女に貢いでいる子がここにいまーす」

「誰が犯罪者よ。失礼極まりないわね」


 似たやりとりを雪としたときは、距離が縮まったことへの喜びが伝わってきた。明るくツッコまれた私も、友達っぽいやりとりに感動したものだ。


 ただ、今はほかの客の席が近い。

 たまたまメイドと話していたことで、私達の会話は注意深く聞かれずに済んだ。静かすぎる環境で言われていた日には、汐亜にも聞いた人にも何をしでかすか分からない。


 二次元の紫髪美青年に貢いでいることを悪く言ったことはないんだから、彼女の推し活も大目に見なさいよ。推しの新規ビジュアルに発狂するのは、私とそこまで変わらないでしょうが。いらないことまで話すお口は、そろそろ閉じてもらうわよ。


「汐亜ったら、そんなこと言っていいの? 可愛い三次元の彼氏にも、ちゃーんと貢いでいるじゃない」


 いかにもカースト上位に見える雰囲気なのに、スターダックスコーヒーのフラペチーノを一人で買いに行くのは無理なんて言う。しょうがないから、同行という名のデートをしてあげていた。少しでも長く話せる口実を作るために、その日の飲み物に合わせたデザートを添えて。


 痛いところを突かれたのか、汐亜の頬は小さくひくついた。


「給料日前でおやつを我慢している人の目の前に、これみよがしで置くなんてどうかと思うっ! ありがたくいただくしかないじゃん!」


 だって汐亜と一緒に食べたいもの。おやつは家で食べないようにしているから、汐亜といるときくらい好きなように食べさせてほしい。


 反論の言葉は、喉元で止まった。


 怒っている顔も可愛いわ。もっと眺めていたいけど、拗ねられるとアフターケアが面倒なのよね。脳内フォルダにたくさん保存できたことだし、ここら辺で退いておきましょうか。汐亜の機嫌が直りそうな話題を投下すれば、食いついてくれるはず。


「聞きたいと思っていたんだけど、女装メイド喫茶の反対意見は多くなかったの? 着たい男子もいたかもしれないけど、嫌がる子も一定数いるわよね。どうやって乗り気にさせたのかしら? あと、普通のメイド喫茶がいいって女子から非難されなかった?」


 ふくれた頬はドヤ顔に進化した。


「僕の手腕のすごさ、教えてあげる!」



 ◆◇◆◇



 ほかのクラスは映画館とかお化け屋敷、占いの館をするんだって。だから食べ物を提供する喫茶店をやろうよ。メイド喫茶とか、どう?


 担任の授業を使った、二度目の話し合い。柊との会話からインスピレーションをもらった僕が、先手を打つ。


 先週のLHRの話し合いでは、クラス企画が決まらなかった。意見のある人はいませんかというセリフを、ホームルーム委員が繰り返すばかり。周りの人と話し合ってくださいと言われても、アイデアは浮かばなかった。発案者になったことで、率先してしきりたいと勘違いされたくない。互いに視線で牽制し合っていた。


 壁に貼りついた担任は、文化祭の主役が動いてくださいと言わんばかりに無言を徹底した。


 早くチャイムが流ればいいのに。誰か名案を持っていないのかな。

 

 あの日の沈黙は重く体にのしかかった。早く出し物を決めたいと願うことは共通していても、人前で発言できるだけの案を披露できる人はいなかった。


 僕のおかげで、腹の探り合いは幕を閉じた。すぐに拍手がもらえるはずだと思えたのは、一瞬だった。


「シフト組むのだるくない? 展示でいいじゃん」

「ねー、なんか準備大変そう」

「そんなのよりさ、遊園地にあるようなコーヒーカップを作る方が楽しくない? 作り方とか材料は、キーチューブに載ってる動画で分かるから、俺らでも問題なくいけるだろ」

「見た見た。ほんとに作れちゃうの、すごいよね。でも、お金いくらかかるのかな」

「いいじゃん。どーせ学校がお金出してくれるんだし」


 可愛くないなぁ、今のみんなの顔は。好き勝手に言ってくれちゃって。腐った性根がぜーんぶ見えちゃっているの、気づかないんだぁ? よーく見えるように、僕の鏡を貸してあげたくなるよ。


 確かに、学校から支給される費用はある。だけど、そんなの当てにならないよ。先輩から聞いた話だと、クラスから一旦徴収した資金で買い出しへ行っていた。最初にお金を出すのも、準備するのも、他人任せにしているみんながやるんだよ。


 僕が「案を出さないなら、文句を言う資格なんてなくない?」と言ったら、無駄な私語をしていた子達は黙っちゃった。ホームルーム委員じゃないモブキャラに、そんな威圧感を覚えることある?


 呆れつつも次の行動に移る。


 メイド服、柊も着る? 普段は着ない服で接客したら、文化祭に来てくれた友達が喜ぶんじゃない?


 クラス企画で身を粉にして働くことは、事前に了承を得ていた。肝心の内容は伝えていないものの、体を張ってくれる確証はあった。


 柊が返事をする前に、教室がどよめく。


「貴崎くんが着るの? クラス企画優勝できるじゃん!」

「それな! 絶対成功させよ」

「貴崎だけにいい格好はさせねーよ! 俺らも人肌脱ごうぜ!」

「いっそのこと、女装メイド喫茶にしたら?」

「賛成! どんな衣装があるか調べようよ」


 見事に手のひら返しの反応をしてくれたね。今のみんなの顔は好き。


『話が進むの早いよ。俺、ちょっと怖くなってきちゃった(*´>д<)』


 学習用タブレットでメイド服を探し始めるクラスメイトの異様な雰囲気に、承諾したことを悔やんでしまったらしい。


 僕は柊のメッセージに返信した。


 えちえちじゃない衣装にしてもらうから、安心してよね。柊が頑張ってくれたら、今週入荷のナナカデフォルメフィギュア、捕ってあげるよ?


 クレーンゲームは得意ではない柊にとって、悪い話ではないだろう。


『その約束、絶対守ってよ! 絶対( ´>ω<)人』


 即答ならぬ即レス。あまりの早さに、グッズ讓渡で詐欺に合わないか不安になった。



 ◆◇◆◇



 私はクラス企画の裏話を聞きながら、誇らしげに腕組みをしていた。


「うちの汐亜ちは最強ね。乗り気じゃなかった人達をここまで動かして。売り上げの分け前は、一番多くもらってもいいんじゃないかしら」

「ありがとっ! でも、一番の功労者は僕じゃなくて柊だよ。柊がみんなの心を動かしてくれなかったら、ここまでメルヘンな企画にできなかったもん」

「確かに、貴崎くんのメイド服は見たくなるわね。公約通り、えちえちじゃない衣装にしてえらいわ。露出するところはしっかり出てたけど、腰周りと背中は布地が多かったもの。十分健全だわ」


 汐亜の目の中に、私が映っているようには見えなかった。試しに鼻がくっつく距離まで接近すると、触れた瞬間に驚かれた。不意打ちでキスしておけばよかったかしら。


「どうしたの? 何か心配なことでもあった?」

「最近、柊の周りの態度がいい意味で変わってきてて。すごく嬉しいんだよ? でも、何だかよくない方に引っ張られそうな気がするんだよね。紅葉も身に覚えない?」

「特別扱いされてると思っていたら、ヒロインが誰にでも優しくしてて自信喪失しちゃう系ね」

「そうそう」


 私と話しているのに、汐亜の元気が戻らないのは初めてだ。こういう顔を、SSRを引いたって表現するのかしら。ゲーオタではない私でも、ちゃんと使いこなせてえらいわ。この勢いに乗って、彼氏の笑顔を奪還してみせる。


「落ち込んだときにメンタルケアをしたらいいのよ。それまでは見守りなさいな」

「またお母さんポジションになってるよ。嫌いなんじゃなかったの? 誰々ちゃんのお世話役とか、何組のお母さんってあだ名」

「嫌いよ。お節介を焼きたくなる性格も、茶化してくる奴らも」


 からかわれる自分を汐亜が守ってくれたから、今も世界を憎まずに生きている。お母さんと呼ばれるのは嫌だけど、汐亜が話しかけたきっかけを作ったことだけは、感謝してもいい。汐亜が知っている中村紅葉から、少しくらいは成長しているのよ。


 私はここ数ヵ月で気づいたことを話す。


「でもね。闇雲に世話したがるのと、しばらく見守ってから手を貸してあげるのは違うじゃない?」

「一理あるかも」

「だから、入学式のときの雪が可愛くて可愛くて仕方がなかったの。ちらちら見ながら、隣の私の歩幅を確認して。先頭に選んでくれた堀先生は女神だわ」


 先生のおかげで、常に手を貸さなくても子どもは成長できるということを見出せた。


「それだったら、柊の方が可愛いよ。きゅうナイのコラボクレープのために小さいお弁当で我慢していたくせに、体育館終わりのアイスを羨ましそうに見つめて来たんだぁ。育ち盛りの男子が溶けちゃうアイスに目がないの、可愛くない?」

「雪だって負けてないわ。私達に『あーん』を見られていることを忘れている、天然なところとか」


 まだプレゼンが終わっていないのに、乱入者が現れた。


「ロップイヤーちゃん、いますか?」

「ビジュよすぎて、声かけられなくて!」


 クラスTシャツとプリーツスカートの女子が二人、息を切らして来店した。柊の呼び込みを見かけて、追いかけてきたらしい。


 汐亜は首を振り、私から遠ざかる。


「お嬢様、ごめんなさい。あの子はおつかいに行っていてすぐに戻れないの。僕じゃ、代わりになれないよね」

「そんなことないですよ!」

「えへへ。よかったぁ~」


 鼻の下を伸ばしてむかつく。自信なくしちゃう系なのは、雪じゃなくて私の方ね。汐亜の隣にいるのが可愛い女の子だったら、ここまで胸が苦しくならないのに。自分の駄目さ加減が分かっている分、余計につらく思える。


 私は静かに椅子から立った。


「そろそろ行くわ。今日の分の勉強、まだ終わっていないのよ。帰ってからやらなくちゃ」


 ショルダーバッグを掴み、夢の世界から逃げようとした。廊下へ駆け出して間もなく、私の足は動きを止める。汐亜の返事を待たずに勝手にいなくなった罪悪感からではない。左手を汐亜に捕縛されたからだ。


 振り返ることなく左手を引っ張る。


「何よ、この手は」

「そんな顔のままじゃ、勉強に集中できないよ。僕にできることはない?」


 手首を包む汐亜の温もりに、帰る意思が揺らいでしまう。


「汐亜ちのそういうとこ。中学のときと変わってないのね。これから校内を一緒に回ってほしいって言っても、ちゃんと叶えてくれるのかしら」


 無理よね。部活の展示やステージ発表でシフトに入れない人のために、たくさん入ってあげているもの。可愛いメイド姿でご奉仕してくれたことを糧に、頑張ってやるわよ。


「僕の明日、紅葉にあげる。それではいけませんか? お嬢様」


 さすが汐亜ち。選んだら駄目な選択肢を避けて来たわね。


 夕方に家へ行ってもいいかと言われたら「短すぎるわよ!」とぺちぺち叩くつもりだった。


「しょうがないわね。数学と物理、教えてよ」

「紅葉はほんと理系科目苦手だよね。それなのに無理して楠関なんかんを受けてさ。担任と僕の忠告を無視するくらい、この学校に入りたかったの?」

「汐亜ちと同じ高校に行ける可能性があるなら、チャレンジしときたいじゃない」

「えー? 僕が休み時間に来る度にうざそうだった、紅葉の言葉とは思えないんだけど!」

「実際にうざかったわよ。教科書とか資料集を読みたいのに、ずっと目の前でしゃべるんだから」

「私は一人で生きていけますって顔をしている子の、余裕を消したくならない?」

「そんな理由で平穏な時間を奪ったの?」


 中学時代の汐亜の声が、勝手に再生されていく。今思えば、確かに新しい玩具を手に取る子どもみたいな声だったわね。


「ばっ……か、じゃないのっ!」


 わかりみは深いけれども! おかしいわよ。私の何倍も可愛い子が、クラスにうじゃうじゃといたじゃない。蓼食う虫も好き好きと言うけれど、そんな変わり者だったなんて知らなかった。


「頭のねじが多少ぶっ飛んでないと、三年も付き合えてないよ。三回目の記念日、今年も僕と一緒に過ごしてくれてありがとう」

「覚えて、いたの?」


 汐亜が言わなければ黙っていようと思っていた。文化祭で忙しいのは分かっていたし、自分だけが浮かれているのは照れくさい。半日も経たないうちに言ってくれるのは嬉しい誤算だった。


「当然でしょ。プレゼントは明日紅葉の家に持っていくから。時間は追って連絡するね。約束を破っちゃ、め! だからっ!」

「えぇ。メイド喫茶、午後も頑張って」


 汐亜の姿が視界から消えてから、私の好みに合うように修正してくれたセリフを脳内で反芻する。


「すこすこのすこ。早く私の嫁になってくれないかしら」

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