第14話 実質優勝だろ
俺は一口だけかじった。恵方巻きのように、一気に丸かじりするつもりはない。食べ終わらない限り、柊にずっとクッキーを持たせることができるからだ。
「しっとりじゃなくて、ほろほろ食感なんだな。美味い」
時間をかけて味わいながら、柊の反応をうかがった。表情を崩さない美少女に見つめられて食べるクッキーは、格別の味わいだ。自然と鼻の下が伸びる。
自分から言い出したことを、ご主人様の許可なしに放棄できないよな。どうしてもって頼むんだったら、考えを改めてもいいんだぜぇ~。
餌づけされているお嬢様の図になっていることだけが不愉快だ。だが、困惑するメイドを見ているのは気分がいい。
俺には見えるぞ。柊の背から飛んでいる、汗のエフェクトが。
ずっと「あーん」するのは苦しいよな。姉も妹もいないと聞いている。看病イベントの経験値は、一度も獲得してないはずだ。いくら二次元で履修済みだとしても、三次元でするのは訳が違う。いい加減、てめーの澄ました顔を赤くさせたらどうだ。そうしたら、こんな恥ずかしい茶番を速攻で終わらせてやらぁ。
でも、もし柊に、隣に住む美少女の幼馴染がいたら? 俺のしていることは、柊に何のダメージも与えられていないんじゃないのか? ただ俺が自滅するだけの虚しい時間では?
いやいや。あんなもん、フィクションだけのポジションに決まってるって。実在していたら、どんな手段を使ってでも取り替えてもらいたい。
優位に立っている俺に、柊が口を開いた。
「かーわいい。小鳥みたいに、ついばんでおられて。籠の中で大切に愛でてあげたいですね」
執着系攻め様が降臨している、だと……。
「こと、り? 愛で……りゅ?」
ぼんっと爆発音が聞こえた。発生源は間違いなく俺の顔だ。勢いよく煙が吹き上がった気がする。綺麗にセットした髪をぐしゃぐしゃにしたい衝動は、どうにか抑え込んだ。柊の声で優しく止められたら、呼吸も止まりかねない。舌足らずな聞き返し方になったのも恥ずかしいのによ。
はあぁー。こればっかりは仕方がねーか。ヒロインに囁く乙女ゲームのイケボに慣れていても、俺にだけに囁く甘いボイスは耐性のつけようがないんだから。冷静さを取り戻すために、別のことを考えるとするか! 切り替え大事! メリハリつける! いつも先生から、口酸っぱく言われているしな。
長いセリフを噛まずに言える柊は、帰宅部より放送部の方が向いている気がする。いや、すぐに声優として売れるクオリティだ。円盤ならいくらでも買う。だから、今の低音ボイスも収録してくれないか。
人間は本当に驚いたときに、叫び声を上がられない生き物みたいだな。硬直した体の中で、心臓だけがものすごいペースで動いていた。
ひょっとして柊は乙女ゲームのキャラで、画面から三次元に飛び出しているんじゃねーのか? 三次元で言われると鳥肌が立ちそうなセリフなのに、柊が言うと違和感ないんだが。ここまで似合いすぎることってあるか? 前世でいくら功徳を積んだんだよ。
俺はこくりと喉を鳴らした。柊の綺麗な手に触れられたい。優しく髪をすくように撫でてくれたら、簡単に堕ちてしまいそうだ。
身の危険を感じつつも、どんな風に俺を閉じ込めてくれるのか気になってしまう。
改めて、いい買い物をしたと思った。何の変哲もないプレーンのクッキーに、これでもかと価値が加えられて。柊の胸元の穴に、札を挟みたくなる。実によいものを見せてもらった。
だが、このまま柊のペースに乗せられるのも癪だ。咳払いをして呼吸を整える。俺だって、その気になれば堕とせるんだからな。少しくらい低い声は出せる。
「狭い檻に俺を閉じ込めておけるかよ」
大人しく過ごすと思ったら大間違いだ。観賞した作品に影響されて、日帰りの聖地巡礼へ出発したときもある。快適なネット環境さえ与えておけば、オタクが満足するとは限らない。
観賞自体は、人目のつかない場所でしたいけどな。四肢を捕らえた触手がうごめく、健全だけどちょっとエッなシーンとか、一糸まとわぬ姿で手や脚を絡ませるところは気まずい。「いいぞ、もっとやれ」と言えなくなる。
リアタイで感想を呟くことはできても、横で反応を見られながら観賞するのは御免こうむる。四六時中、見られてたまるかっての。
「機嫌が悪いときは、親にだって容赦ねーぞ。見たくなかったものまで知る覚悟は、あるんだろうなぁ?」
柊の性格なら、悪ふざけがすぎたと謝るだろう。俺はそう高をくくっていた。
「噛みついてくるなんて、いけない子ですね。もう一度、しつけ直しましょうか」
もー、やだ。このイケボ。
俺様キャラで挑んでも、効果なしかよ。どんだけ防壁を張りめぐらせているんだ。
残りのクッキーを咀嚼した俺は、両手を挙げた。
「降参だよ。俺の負けだ」
うっっしゃ。
そんな歓喜の声を、かすかに捉えた。
心なしか、柊の目にキラキラのエフェクトがかかっている気がする。
俺が敗北宣言をしたおかげで、この絶景が見られた。実質優勝だろ。頑張って柊の口説き文句に抵抗してみるもんだな。イケボを浴びすぎて、墓に入っては蘇生を繰り返したけど。供給過多で理性が死ぬなんて通常運転、つまりは微々たる犠牲だ。等価交換に痛みはつきものだからな。
『そーだ。ゆーき。最後に写真撮ろうよ((〃ÒωÓ))』
「しゃ、しん……? 柊のスマホで撮るのか?」
そわそわしている顔文字を使われると、無下に断れねーな。
本音を言えば、自分が撮られるのは好きじゃない。雪の隣は嫌だと、歴代のクラスメイトの女子から拒否られてきた。出席番号でも前列の端っこ、それ以外でも端っこに追いやられた。
紅葉だけだ。校外学習や遠足の集合写真で俺の隣をキープし続けているのは。誰にも渡さないと冗談っぽく言われていたが、あの目は本気だと思っていた。
『スマホじゃないよ。メイド喫茶と言えばあれしかないでしょ(๑•̀ㅁ•́ฅ✧』
「カメラマン、僕がしよっか?」
汐亜の手の中にはインスタントカメラがある。さっきのやりとりでもう裏から取りに行っていたのかよ。ここまでお膳立てされちゃあ、腰が引いているなんて言ってられねーな。
「それじゃあ、紅葉も一緒に撮ろうぜ!」
「何か言ったかしら? 写真を撮る汐亜ちの輪郭をカメラに収めたいから、すっごく忙しいの。ツーショットを撮るまで話しかけないでくれる?」
いつの間に、椅子から下りて床に膝をついているんだよ。友達のためにカメラマンを買って出る彼氏を、そんなに撮りたいのか? 可愛いとこあんじゃねーか。甘々な恋バナは期待しないで、なんて言っといてさ。
『雪ってばひどいよ。そんなに俺と二人で撮るの、嫌だったんだね:(´0ㅿ0`):』
「ごめんって。紅葉も可愛いメイドと撮りたいかもなって、気を利かせたつもりだったんだ。悪気はなかったんだよ。それで? ポーズはピースか? 変顔か?」
『変顔なんて頼まないよ。手はアルファベットのCを作るみたいに、この位置でお願い』
なーんだ。そんなんでいいのかよ。俺は指定通りのポーズをする。紅葉を巻き込む必要なんてなかったな。
「じゃあ、試しに撮るよー。おっ、いい感じ。緊張してないうちに、本番行きまーす!」
紅葉、すまん。彼氏の脚に目がいってしまうんだが。
ニーハイソックスに食い込む太ももは、一生見てられるな。ガーターベルトなどつけたるはさらなり。少したるんだニーハイソックスを直そうとする所作など、言うべきにもあらず。
かがんでもらえませんかというオーダーを、必死に飲み込む。人様の彼氏に何ちゅーオーダーをしようとしているんだ。
煩悩を振り払おうとしていると、いつの間にか撮影会は終わっていた。
「撮れたよー! 二人とも確認お願い」
「なっ! 何じゃこりゃあああああっ!」
思っていた仕上がりを軽く超えていた。メイドカフェで大金を溶かすのも頷ける。
『上手に作れたね。ハート(つ*>ω<*)っ♡』
「謀ったな。柊! 二人でしか撮れないポーズをさせやがって!」
『いいじゃん。アオハルっぽくて*.(´꒳`b).*』
「ぐっ……それは、そうだけど」
こんなの、プリクラでカップルが撮る奴じゃねーか! 柊が写っているところだけ、トリミングして保存したい。ハートを作らされているとはつゆ知らず、呑気にポーズを遂行する俺は、間抜けにしか見えなかった。
柊からもらったユイリィのカードは保管しているし、これも大切に残してやるか。クリアファイルを持ってきていないから、財布に入れておこう。
「試しに撮ったのは、きーちゃんにあげる。もう上がっていいよ。雪ちゃんと回っておいで」
「りょーかい。着替えてくるから、待ってて」
柊の手首を掴んだ汐亜は、もう笑っていなかった。
「着替えていいなんて言ってないよね」
『鬼ー! このまま宣伝しろと(/ω\*)』
「何言ってんの? 黙ってプラカードを持って回る、簡単なお仕事だったよね。楽しくデートしながら宣伝するくらい、頑張れるでしょ?」
可愛いメイドさんと文化祭を回るの、どんなご褒美だよ。『英国留学生が俺の専属メイドになりまして』のアレッタは、メイド喫茶の助っ人でミニスカートの衣装を着させられていた。いつものクラシカルメイドも捨てがたいが、普段は隠されているおみ足を露出していたのは最高だった。主人公がぶっ倒れるのも無理はない。ミニスカニーソの絶対領域は偉大なのだ。
作中のメイド服は、柊が着ているものより胸やウエストが吸いつくようにぴったりで、もふもふメルヘンなデザインではない。危険レベルは低い部類のはずなのだが。
赤い噴水が止まらなくなったらどうしよう。そう危惧するくらいには、柊がメイド服を着こなしていて困る。目のやり場もなければ、イケボに耐えられる耳も持っていない。新手の拷問ですか、ちきしょう。
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