第17話 満を持しての登場
こんなに可愛い子の私服姿、普通だったら泣いて喜ぶはずだ。ヘアアイロンでくるくるにした巻き髪は、相当時間をかけてセットしているぞ。服もその辺にあったものを適当に見繕っていないだろう。パールをいくつも縫いつけたトップスと、ラベンダー色のフレアスカートの組み合わせは、生クリームを使ったケーキのような甘さがあった。隣に立つ抵抗をぐっと減らせているのは、黒のヘアバンドとパンプスのおかげだ。さてはアニメ雑誌よりファッション雑誌にお金を出しているな? 自慢じゃないが、俺は美容院に行ったときくらいしかトレンドに触れていない。前髪を切るだけだと雑誌を差し出されないから、半年に一回の情報収集になっている。
「卒業式以来だね。ちょっと雰囲気変わった?」
先に口を開いたのは小森だった。
おーい。柊のそばにいる俺は見て見ぬふりですかー? 所詮モブキャラの俺は、風景と同化しちまっているとでも?
掴みかかりたくなる気持ちを抑え、様子を見守る。
柊はわずかに首肯した。あまりにも小さな動きで、目の錯覚かと思いかねない。
柊の省エネモードが平常運転だと言わんばかりに、小森は懐かしそうな声を出した。
「よかったぁ。人がたくさんいるときにしゃべらないキャラは、まだ続けているんだね。同じ塾の子から柊くんの動画を送ってもらったときは、解釈違いだからやめてほしいって思ったけど。あれ以来、自分からしゃべっていないよね? 柊くんが声を出したら誰でも簡単に好きになっちゃうの、自覚してくれたのかな? 本当に付き合いたい子にしか、しゃべりかけないようにした方がいいよ。中学校のときみたいに、私が守ってあげられないんだから」
話の途中から寒気が止まらなかった。
自分だけが好きぴのよさを知っていればいいと思うのは、分からんでもない。ただ、小森の発言は面倒なオタクというか、ストーカーに近くて悪寒が走る。守ってあげている正義感が、柊にとっては槍と化している可能性もなきにしもあらずだろ。盾だと思っているのは、お前のエゴじゃねーの?
柊の両手はスカートの上で震えていた。
「それ、じゃあ。わざとあんな、言い方したの? そのせいで自分の、声……きら、いに、なったのに」
たどたどしく尋ねた柊は、呼吸をすることさえもつらそうだ。ロップイヤーの耳もしなっとしているように見える。
俺も柊の声が好きだ。心臓の負担は大きいし、気を抜けば自我が保てないと分かっていても、定期的に囁いてほしい心地よさがある。だからって、こういう声が聞きたい訳じゃないんだよ。二次元のキャラなら、いい栄養補給になった。でも、柊は違う。現実離れしていても、三次元に生きる血の通った人間だ。何を言ってもポーカーフェイスが崩れない体質であろうと、心の中も傷ついていないとは限らない。俺がこれからも一緒に推し活をしたい人を、それ以上悲しませないでくれ。
ナナカの画像を見せてやれば元気になるか? それよりも小森を張り飛ばす方が先か?
小森はどこ吹く風と言った具合に、うっとりしていた。
「はぁ。絶望したその声も好き。好きな人を悲しませて、すっごく苦しいけど、柊くんを守るためなの。二次元の女の子なんか好きになっても、三次元の怖い女の子から助けてくれないよ? 空想の世界の子に、かけるお金も熱意も無駄じゃない? 私ならいくらでも、柊くんのために身を捧げてあげる。私だけを見てよ」
嫌だ。嫌だ。推しの好きなものを全否定する奴は。
鳥肌の立った腕をさする。不快感で唇がきゅっきゅしてきた。
「だからね、柊くん。早く服を脱いでくれる? こっちの執事服の方がいいでしょ」
小森はトートバッグから、ジャケットやカマ―ベストを取り出した。シャツもネクタイも揃っているようだ。
ガチの柊オタかな。用意周到すぎて引くわ。執事服くらい、妄想だけで我慢しとけよ。今だけは、同担拒否の気持ちが分かる気がする。
「柊くんには、かっこいいままでいてほしいの。せっかくのイケボなのに、可愛いものに囲まれていたら魅力が半減しちゃうでしょ。そんなの、もったいないよ。ナナカが好きな貴崎くんも、メイドさんの柊くんも、存在しちゃ駄目なんだから!」
は?
えっ? は?
なーに言ってんだこいつ。お前の独断と偏見で、柊の生き方にケチつけるんじゃねーよ。頑張ってメイド服を着て「おにー!」とか愚痴りつつも、宣伝をこなしているんだぞ。その努力を切り捨てるって言うのかよ。人の心がないんか?
「もしかして脱ぎ方が分からない? だったら私が手伝ってあげる」
柊の胸元のボタンを外そうとした手を、俺は叩き落とした。
「黙って聞いてやっていたけど、随分と自分勝手なことを言ってくれるじゃねーか」
部外者が口を挟むべき問題ではないことは、重々承知している。それでも譲れないものがあった。
「好きになったもので、その人の魅力が下がる? ふざけんな! 力の源になってくれる大事な大事なものが、枷になって堪るかよ。詐欺とか犯罪に手を染めているのならいざ知らず、人様に迷惑がかからない推し活は文句のつけようがねーだろうが。勝手に幻想を見ておいて、自分の好みに矯正しようとすんな!」
推しのグッズに購買意欲が湧かなかったビジュは、幾度となく見てきた。それでも、公式の美的センスを罵った投稿はしたことがない。俺の癖に刺さらなかっただけで、供給に拝む人はいるから。
「あなた、まだいたの? 私と柊くんが話しているんだから、邪魔しないでよ」
「てめーの方が邪魔だっつーの。俺と柊は、デートの途中だったんだからな!」
嘘は言っていない。付き合っている人同士のお出かけだけが、デートに該当するのではない。友達と遊びに行くことを、デートと称する人もいる。そもそも、恋人になる前のお試しで、デートするんじゃないのか。使い方としては、変ではない。汐亜が俺らを送り出すときも、デート楽しんできてと言われたし。
俺を指差した小森は、柊に意見を聞く。
「こんなに目つきが悪くて、乱暴な言い方で、高圧的な子のどこがいいの? 私が男に生まれていたら、絶対に選ばない。デートなんて、この子の勘違いよね?」
自分のことは棚に上げて、他人の欠点を大声で披露するんじゃねーよ。俺が男でも、モラルのないてめーは恋愛対象から外していたぞ。相思相愛にならなくてよかったな。
固まったままの友達の代わりに、怒鳴ろうかと思った。
「俺は本気だよ」
手を温めてくれているたこ焼きよりも、頬の方が熱を帯びてきた。嘘だと分かっていても、こんなセリフを言われたら喜んでしまう。
主題歌がかかり始めるタイミングにふさわしい、ヒーロー覚醒の瞬間だった。
満を持しての登場だな。柊のつよつよボイス。
「はぁ~~っ。柊くんのイケボしか勝たん! でも、嘘はよくないよ。脅されているのは分かっているんだから、私だけには正直に話して」
腰が砕けても、頑丈なメンタルにひびは入らなかったようだ。しぶとく生き残る精神力だけは褒めてやってもいい。
「俺の好きな人は、氷属性に見えて感情が豊かな炎属性の子なんだ。ほかの人に目移りして、俺のことなんて忘れているんじゃないかって思うときもあるけど。ナナカに嫉妬されているかもしれないから、お互い様だよね」
二つ名が「氷姫」とか「氷の令嬢」のクールな美少女に秘められた、正反対な裏の顔。そういうラブコメもいいよなぁ。やっぱり異次元すぎる柊には、高嶺の花が似合う。俺なんかお呼びじゃないよな。小森は当てはまる項目が多かったのか、告白の瞬間を今か今かと待っていた。
「嫌なら、遠慮しないでよけて」
「うん!」
唇を突き出す小森に、柊は見向きもしなかった。俺の顔しか興味がないと言わんばかりに。
俺の目に吸い込まれるように、柊の顔が近づく。唇の輪郭が見えなくなった途端、柊が俺にキスをしていた。
「俺のグロスがついちゃったね。雪の唇、つやつやだ」
美人に食われるのも悪くないと思った。いや、すでにファーストキスをかっさらわれているのか。
「柊の好きな人って、俺のことだったのかよ。ほかに恋人になってくれる人とか、いなかったのか?」
『年齢イコール交際したことない歴だよ(つω`*)』
「そう、なんだ……」
強火オタは生きているだろうか。どうせ生き延びているんだろうけど、生存確認してやるか。
予想に反して、目を開けたまま静止していた。衝撃に呑まれ、わめく気力すら削がれたらしい。
「石像になってやがる」
『置いていこ。デート再開したい:.゚٩(>ω<)۶:.。』
「ちょっ……手ぇ、引っ張るなよ」
いろんなことが起きすぎて、残りのスタンプをどこで集めたのか覚えていない。
景品でもらったお菓子の袋に、柊が来てくれてありがとうと油性ペンでメッセージを書いてくれたことは、ぼんやりと記憶している。
家の玄関をくぐってから、大事なことを思い出した。
「あーーー! 俺としたことが!」
柊がスカートの下にトランクスを履いていたのか、紐パンを仕込んでいたのか、確認したいと思っていたのに。一生の不覚だ。
「いい夢見させてもらったから、文句は言えねーか。柊の彼女役に選ばれるなんて、ありがたいし」
敵を欺くには味方から。騙さねば小森につきまとわれるのじゃて、仕方がなくしたことであろ。されば共犯になってやろうぞ。
『羅生門』の老婆のようなセリフをひとりごちる。
【第2章 俺得な神対応 了】
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