第12話 何なりとお申しつけください

 開かれた教室の入り口をくぐると、風船で飾りつけられた空間が広がっていた。机に敷かれたテーブルクロスのおかげで、いつもの教室よりグレードアップしているように見える。


「おかえりなさいませ、お嬢様」


 出迎えてくれたのは、膝丈でふわりと揺れるスカートだった。ショートウルフの上に載った猫耳カチューシャから、二つの鈴がちりんと鳴る。胸元に空いたハートの穴からは、鍛え抜かれた胸筋が顔を出した。褐色と黒い生地が相まってセクシーだ。名札のには丸みのある文字で「はやや」と書かれている。


 女子高生が着ていたら、過剰な露出として先生に止められていただろう。男子だけに許されたデザインと言ってもいい。


 まだ照れが残るのか、早くシフトが終わってほしいと全身で叫んでいるように見える。乗り気で着てくれる子も好きだが、しぶしぶ接客をする子も大好きだ。墓に埋まりたい。


「こちらへおかけください。お飲み物やお食事はいかがなさいますか?」


 火を使った料理は教室で提供できないため、メニューには市販品と思しきクッキーやジュースが並んでいた。生焼けの心配がないのは安心だな。


 買い食いするのを見越して、朝食は少なめにしていた。クッキーと乳酸菌飲料くらい余裕で入る。


「メイドさんのお絵描きクッキーと、初恋の溜息ソーダを頼む」

「どうして雪は、堂々としていられるの」


 俺に家族を殺されたとかと思うほど、紅葉は目に力を込めた。


「こういうのは楽しんだもの勝ちだぞ? せっかくだから紅葉も略さずに言ってみろよ」

「望むところよ」


 大きく息を吸った割には、声量がさほど出なかった。


「メッ、メイドさんの、お絵描きクッキー、ください。あ、と。いちごとミルクの、その……ランデブーを、一つ」


 ひゃあああ! 動画で残したい可愛さだぜ。普段は強気な子が、目をぐるぐるさせながら頑張って言おうとする姿は。元気になれる。

 たいへんよくできました。ご褒美スタンプをたくさん押してあげたい。


 震えながらも最後まで言い切るところがポイントだ。愛おしさが込み上げてくる。

 微笑ましく見ていると、突然牙を向けられた。


「ちゃんと最後まで言えたでしょ。おごってくれるわよね」

「はぁ? まっ、いいもの見させてもらったから、別にいいけど」


 四百円であり余るほどの充実感が得られたのだ。痛い出費ではない。缶バッチが一つ、あるいはクリアファイルが買える値段ぐらい。いつも後先考えずに買ってしまうんだから、ケチケチ言うなんてかっこわりーだろ。


 俺は財布を出そうとした紅葉を制止し、メイドさんの手にチップもとい代金を払う。


「それではごゆっくり、おくつろぎくださいませ」


 背を向けたメイドさんのファスナーは、完全に閉まっていなかった。背中もちら見せしてくれるなんて、サービス精神が高いな。そうしなければ着られなかったという理由が、大きいかもしれないが。


「ウィッグをつけなくても可愛いな」

「分かる。素材がいいのね。きっと」


 俺と紅葉が囁き合うと、バックヤードから歓声が聞こえた。


「世界が俺の可愛さに気づき始めたかも」

「よかったな、早坂はやさか

「頑張って突撃してみろよ。もうちょっとでシフト終わりだろ? 一緒に回るチャンスじゃないか?」


 まさか、戻ったら告るつもりか? やめとけ、やめとけ。彼氏持ちと三次元の男に興味がない奴しかいないんだぞ? 文化祭で燃え尽きるには早すぎるって。


「お嬢様、校内の案内はご入用ですか? よろしければお食事が済んだ後に、私が案内して差し上げますよ」


 どう断ってやったらいいんだ?

 脈ありだと期待させるのは、一周回って優しくない。別の人に案内してもらうと話して、柊に迷惑がかかるのも本意ではない。

 誰からも愛されるヒロインはすごいな。星の数ほどの告白を蹴っても、高嶺の花だったと潔くあきらめてもらえるもんな。俺が断ったら逆ギレされる未来しか見えないぞ。


 別のメイドが、紅葉の肩に触れた。小さなリボンがたくさんついたメイド服を着こなしているのに、暗殺者並みの殺気のせいで強キャラ感がある。


「この子、僕の彼女だから取っちゃ駄目だよ?」


 てへぺろと言わせたらあざと可愛い声だった。なのに、セリフがセリフだから、かっこいいな! フリルエプロンが王子様の飾緒に見えたぞ。名札に書かれている名前は「しおあ」って読むのか?


汐亜しあち、今のセリフはマイナスよ」


 彼氏に手厳しいな。十分かっこよかっただろ。

 俺がフォローする前に、紅葉はお手本のセリフを言う。


「『僕のご主人様を奪っちゃ、め!』でしょ?」


 可愛い路線で行きたいのかよ! 紅葉のこだわりはよく分からない。分からないけど、彼氏を可愛くさせようと力説している画はいいと思う。


「うぐっ。それも可愛いけどさぁ。さっきのでも、いじらしさが出てよくない?」

「ご主人様呼びは、アレッタちゃんで好きにさせられたの!」


 アレッタの名前を聞いた瞬間、俺は全てを理解した。


「アレッタって誰なの?」

「あっ……」


 誰よその泥棒猫と言いたげな汐亜と、俺の声がハモる。


「何よ。雪も引いたの?」

「喜べ、同志。俺も『英国留学生が俺の専属メイドになりまして』で、金髪翠眼メイドの沼に落とされたんだ。一人暮らしの部屋にアレッタがいてくれたら、最高の高校生活だよな。そのまま永久雇用したい」

「そう! 膝枕と耳かきは定期的にやってほしいわよね。どこからでもアレッタちゃんの可愛さを視界に収めていられるもの。八巻も続いているのに、まだ全然手を出してもらえてないのは不服だわ。早く大学生編に突入してくれたらいいと思わない?」

「わかりみが深い!」


 紅葉と拳をぶつけ合っていると、泣きそうな声が聞こえた。汐亜はなぜか面白そうにスマホで写真を撮っていたから、むしろ喜んでいるような。つーか、無断で撮るなよ。彼女だけ撮ってくれていたら、大目に見てやろう。


「男の俺が、入る隙なんてなかった」


 顔を覆っているのは、放置された早坂だった。


 存在を忘れていた訳じゃないぞ。熱が入りすぎて紅葉しか見えなかっただけなんだ。百合に挟まる男として敵視してはいないからな。好きな子にアプローチするキャラは応援したいし。


「はやや、こっちは僕が対応しとくから、裏に戻っていいよ。牧ちゃんが着替え終わってなかったら手伝ってあげて。あ。きーちゃん、おかえり~!」


 汐亜が抱きついたのは、プラカードを持った柊だった。しがみつくようにプラカードを握る姿が、髪とともに揺れるフリルとリボンが、慣れない服を不本意ながらも着た女の子だと認識させる。


 これは死ぬ。死人が出るぞ。

 俺はもう死んでいる。即死だった。当然、前みたいな変な汁も出させてくれない。汁がにじむ前に、死神のお迎えが来ちまったもんな。断髪魔の叫びすら許してもらえず、あっけなく召された。目をキラキラさせる紅葉のメンタルは、強すぎやしないか。以前の俺も、二次元しか勝たん勢だったはずなのに。柊と出会ってから、とんでもない体に作り替えられてしまっているんじゃねーだろうな。


 自分の胸元に拳を当てる。


 風紀委員は仕事をしろよ! ほかのメイドが着ているものよりも、柊のスカート丈が短すぎて困る! 汐亜に抱きつかれたとき、あと少しでめくれそうだったぞ。


 ロップイヤーの耳つきカチューシャをつけた、ポーカーフェイスのメイドさん。この格好で呼び込みをしても、照れ一つ見せなかった。胸元のけしからん穴で精神が鍛えられたのかな。


 クールビューティーなメイドさんは、裾を摘まむだけで絵になるのに。「ご興味がおありですか? もっと谷間をご覧になってもいいんですよ」と誘惑されたら、倒れる自信がある。


 目線を凶器から太ももに動かすと、ますます息が上がりそうになった。


 今日のためだけに脱毛したのかよ! お人形さんかと見間違うほどのすべすべな素肌は、鑑賞した人からお金を取っていいと思う。裏方で酷使されていたり、無理な注文をさせられていたりしたらどうしようかと思っていたのに。心配するべきなのは、俺の方だったぜ。いつ過呼吸になってもおかしくない。


 男とは思えない美脚をさらしておいて、ふくらはぎの下はうさ耳と同色のベージュのレッグウォーマーで覆われている。内股でたたずんでいるのも評価が高い。どこから見ても可愛いメイドさんになりきって最高かよ。


 おしゃれは我慢なんて言うけど、モコモコ素材は時期尚早じゃないか? まだ六月だぞ。暑いと分かっていても、撫で回して暖を取りたくなるんだが、どうしてくれよう。谷間ホールと言い、家で飼いたい小動物感と言い、お持ち帰りしたい気持ちを抑えられそうもない。深呼吸をして六秒だけ待ってみるか。クリアな思考になれるはずだ。


 機転のおかげで、新たな発見と出会えた。


 肩幅が広いし喉仏だってあるのに、柊と汐亜が並ぶとどことなく百合に見える。俺と紅葉はお邪魔にならないか?


 考え込む俺に、柊はスマホを出した。


『来てくれたんだね~(ノシ *,,ÒㅅÓ,,)ノシ』

『ちょうど、頑張って校内周回してきたところなんだ。゚+.(*`・∀・´*)゚+.゚』

『約束を守ってくれるって信じてたよ(っ´>ω<))ω<`)ギュッ』


 顔文字はアクティブでも、柊が俺に触れることはない。父以外の男に抱きつかれたことは皆無だから、文化祭テンションで距離感ゼロになった日には溶けそうだ。雪だけに。


「どんなクオリティか気になったからな。化粧はしてるのか?」

『汐亜にちょっとだけ手を加えられた( +,,ÒㅅÓ,,)☆』

「もともと綺麗だからな。柊は。反則かってくらい、可愛くなってるよ」


 普段からリップクリームで保湿していた唇は、控えめな発色ながらもグロスの水感が目を引くものになっていた。


『えっ。そんなこと思ってたのΣ(///□///)』

「まぁな。少なくとも、最初に会ったときから」


 第一声で「ビジュよっ……!」と言ってしまった日には、面食いのイメージがついてしまう。二次元の可愛い女の子には目がないから、事実無根とは言い難い。関係性が深くなるまで、堪えられた方だと思う。


『ありがたいけど照れるな(>ω<〃)』

「あらあら、聞きまして? 奥さん」

「聞かされちゃいましたね。奥さん。おたくのご友人、学校でたくさんおモテになられていませんこと?」

「それがそうでもないの。ユイリィの崇拝ぶりに、挑む覚悟は削ぎ落とされるもの。美人が美人を推している図を眺めるだけで、あいつらは幸せみたいよ」

「あー。好きな人の幸せは自分の幸せ、だもんね」


 紅葉と汐亜がこれみよがしに小芝居をしていた。そこのカップル、堂々といちゃついてんぞー。


 クラスメイトとの距離が縮まらないのは、高嶺の花扱いされていたからなのか? 紅葉以外にペアを組んでくれる人がいないから、紅葉が休んだときの体育はしんどいのに。同担拒否じゃなかったら、仲よくしてくれよ。


 知らなくてよかった真実を知り、げんなりした。


「そろそろシフト終わるよね。雪ちゃんと回ってきたら?」


 汐亜ち、雪ちゃんなんて呼ばないでくれ。くすぐったい。

 文句を言おうとすると、汐亜は口の前で人差し指を立てる。あざといメイドも大変よい。嫉妬した彼女にぽこすか叩かれろ。


「ははーん。そういうことか」


 可愛いサービスの意図をすぐに理解した。

 紅葉と二人きりで過ごしたいんだな。その策に乗ってやるよ。


「柊、案内を頼む」

「お嬢様のご要望とあらば」


 ぐっ。今日のイケボも調子がいいな。一段と磨きがかかっているじゃねーか。執事喫茶の方が殺傷能力は高いと思っていたのに、女装メイドもなかなかやるな。それでもHPは半分以上削られ、どうにか足腰を保っている状態だ。柊の声に耐えられるように、秘密の特訓をしたかいがあった。いつまでも震えてばかりでいられるかっての。


 白手袋をつけながら言われていたら、間違いなく即死だった。垂れそうなよだれを飲み込み、平生を装う。


『きーちゃんに何なりとお申しつけください(人´ω`*)』

「……おう。そうするわ」


 だっーーー!

 かっこいいボイスが耳に残っているから、何を言われてもときめいてしまう!


 イケボと顔文字の使い分け、楽しんでやってないか? やっぱり、ここが俺の墓場だったか。

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