第8話 癖に刺さる

 硬直した俺の唇を、柊の指がなぞった。

 

『クリームついてたよ(*´ω ` *)』

「あり……がとよ」


 紅葉、前言撤回するよ。色気を出せるイケメン高校生は、三次元にも存在していたわ。乙女ゲームだったらスチルが解放されていたはずだ。


 柊との距離、めっちゃ近かったああああっ!

 キスされると思ったじゃんかああああっ! 穴があったら入りたい! されてもいいやと思ってしまった自分の体を埋めてーーーーよ!


 こういうときは、甘いものを食べて忘れるに限る。柊が食べたクレープの原形をなくしてやればいいんだ。歯形がついたところから食べてやる!


 もちもち生地をたっぷり咀嚼しながら、勝ち誇った笑みを浮かべた。

 ふふん。クレープの味が分からなくなるほど動揺してねーな。ちゃんとチーズケーキの味がする。


「そういや、払うって言ったクレープ代、まだ渡してなかったよな」


 照れを微塵も感じさせない切り出し方に、我ながら賞金百万円を出したくなる。


『それなんだけど、別に要らないよ。楽しく話せた時間のお礼ってことで。お財布的には問題ないしヾノ≧▽≦)』

「あくまでも実質タダだもんな」

『そういうこと。バイトのシフト次第にはなるけどさ。またお互いの空いた時間に、会おうよ(人´ω`*)』

「あぁ。今日みたいな感じで会うのも、事前に会う日を決めておくのでも大歓迎だ」


 クレープがなくなってしまっても、俺の心は全然寂しくなかった。次も会いたいと思ってもらえることが、ありがたい。


「柊はバイトしてたんだな」

『推し活は資金があってなんぼだから(´×ω×`)』


 俺もバイトした方がいいのかな。

 悩んでいた耳にイケボがかすめる。


「弱気になるなよ。直接言おうと思ったから、あれだけ練習したんだろ」


 はーー! 今の低音イケボ、紅葉が好きそうだな! どこから聞こえた? 告白できなかっただろう、ご尊顔を拝みたい。


 姿の見えない低音イケボお兄さんがまさか柊だったとは、このときは気づけなかった。またとない出会いを逃したことに、ただただ絶望していた。



 ◆◇◆◇



 イケボお兄さんとの再会は案外早く来た。

 頼む。俺にはもう、後がないんだ。そんな必死の祈りが引き寄せたのかもしれない。


 一度精神を落ち着けてから、プラスチックのふたを慎重に開ける。折りたたまれた紙片をめくり、ブツを確認した。


「うあああぁ~! 爆死したよぉ~!」


 無情にも引いたばかりのガチャガチャには、うりきれの文字が表示される。現金ならまだ持ち合わせがある。両替機に駆け込めば、五千円を溶かせるというのに! どうして九分の一が出ないんだ! 俺の狙いは、周年記念衣装バージョンのユイリィだけ。なのにユイリィだけがすり抜ける!


 俺が柊に顔を向けると、パーカーに入れていたスマホが鳴った。


『おつおつ。骨は拾っておいてやろう( ÒㅅÓ)キリッ』


 新着メッセージを送ったのは、目の前にいる柊本人だ。

 まだ俺と直接話すのは緊張するらしい。三回目でも緊張するのは仕方ないよな。でも、文面が可愛いから許す! 毎度毎度スクショで残したい可愛さだよ。


 クレープを食べた日から一週間、柊の顔文字は浴びるほど見ても飽きは来なかった。


「しゅ~うっ! 天使かよ~! ごめんな、商店街の店を片っ端から巡らせちまって。引いたのがナナカなら、柊に譲れたのによぉ」

『気にしてないぞ。心配性を発動するの、雪の悪いとこだな ヨチ( * ´꒳`ノ(´^`° )ョチ︎』

「マジで柊の背中に羽が見える! バイト代入ったら、ぜーったい飯おごるからな!」

『すごい。この間バイトの話して、もう始めたの? 雪はえらいね( *>ω<)ヾ(´∀`ヾ*)ワシャワシャ』


 存分に褒めろ。俺は褒めて育つ子だ。


「柊もえらいぞ。俺の推し活に付き合ってくれるの、柊だけだからさ。知り合いの女の子が嫁を自引きできなくて発狂するの、地獄絵図だろ。……なんか、自分で言ってて切なくなってくるわ」


 俺はプリーツスカートを見下ろした。笑い声の気味の悪さは、女子高生だろうが許されるはずがない。


『相変わらずのお豆腐メンタル(´∀`*)ヶラヶラ』

「おうよ。俺はこう見えて繊細なんだ」


 傍目から見れば、俺が一方的に話しているように見えるだろう。柊はスマホを凝視したまま、俺と目を合わせないのだから。


 さながら、金髪ギャルに絡まれている哀れな真面目学生の図だ。柊が画面上だけ饒舌になれることを、知っている人物は数少ない。家族か俺くらいのものだ。ツブヤイターでは大人しいナナカ担に擬態している。


 柊と会って間もなく、俺はガチャガチャの缶バッチとラバーストラップで運試しをしていた。柊そっちのけでチャレンジしている訳じゃないぞ。ガチャガチャを巡る旅に出ると柊に話したら、快く同行を申し出てくれたんだ。


 ユイリィが新商品のラインナップに入ったのは三ヶ月ぶり。情報を入手してから、ずっと入荷日を待っていた。在庫がなくなれば再販の見込みは限りなく低いガチャガチャに、初日から挑まない訳がない。

 

『ユイリィ以外揃ったの、逆に奇跡じゃない? ここまで揃ったら痛バにすればどうかな:.゚٩(>ω<)۶:.。』

「ああゆうのはセンスが問われるんだよ。何時間も試行錯誤した結果、穴だらけのカバンが残るんだ。柊みたいにセンスよく飾れるの、ほんとスゲーよ。それにしても結構な在庫を抱えちまったな。引き出しに飾るとしても、これだけの量が入り切るかな。いくつか讓渡に出さねーと。希望者がいるか分からないけど」


 全部引いても嫁が出ないのは、割に合わない。お年玉を全部つぎ込んだのに。


『雪、お年玉を使い切ったの?』


 ぎく。心の声が全部漏れていたのか? さすがに使いすぎだって叱られてしまうのは嫌だ。今日は授業中にちょっと船を漕いでいたぐらいで、小言を山ほど送られていた。海のような広い心は営業終了している中、柊からも注意されたら罵詈雑言を返しかねない。


『今日買ったもの、ちょっと貸してくれないかな。讓渡のツテはあるんだ。あと、缶バッチは大変身できるよ。次に会うとき、ロゼットにして渡すから楽しみにしといて(๑•̀ㅁ•́ฅ✧』

「ロゼットって何だ?」


 首を傾げる俺に、柊は自身のスクールバッグを指差した。プリーツ状にしたリボンで飾られたバッジがある。ペリドット色のリボンは、ナナカの瞳の色に合わせていた。それだけでも華やかだが、Nのイニシャルのチャームやフリルに使っていたリボンと近い色の薔薇も目を引く。


 そいつ、ロゼットって名前だったのか。あと、柊のロゼットは手作りだったんだな。こんな綺麗なものを作れるなんて、柊は天才じゃね?


 俺は目を輝かせた。


「すげぇよ、柊! 材料費と手間賃は払うから、レシートを残しといてくれ」

「別にいらないよ。俺と雪の仲じゃん」


 まだ出会って一ヶ月ちょっとなのに、そこまで尽くしてもらえるのはありがたい。


「それもそうだな! 恩に着るぞ、柊」


 柊とハイタッチしようとした手は、直前で止まる。さっきの低音イケボの主はまさか?


『自引きしたそうだから黙っていたけど、ユイリィの新作缶バッチとラバスト持ってんだよね。雪の普段使いする用と、雪が鑑賞する用*.(´꒳`b).*』


 さっき初めて聞いた柊の声が、脳内で再生される。可愛い顔文字なのに、地の文はかっこよく聞こえる。


『雪はどうしたい?』


 声がよすぎる。いつも見る画面越しの会話なのに、破壊力がやばすぎるんだが!


「お恵みください、柊様!」


 半ばヤケクソになる俺に、柊はブイサインを送った。弄ばれている感は腹が立つけど。俺が離れちまえば、柊がぼっちになる。俺は大人だから我慢してやらぁ!


 どきどきしているのは不意をつかれただけ。

 甘やかされるのに慣れていないせいだ。

 そうじゃなきゃ、柊の声を聞いただけで鼓動が早くなる訳がない。


 頼む。俺の顔が恋する乙女になっていませんように。ちょろいヒロインにはなりたくねーんだよ! ぽっと赤面していいのはユイリィだけなんだから。


「柊、驚かせんなよ。初めて声聞いて、一瞬誰が言ったのか分かんなかったぞ」

「雪の目の前にいたの、俺しかいなかったよね。雪、もしかして照れてる?」


 卑怯だぞ。耐性がついていないのに、次から次へとイケボを繰り出すのは。クリティカルヒットの連続で、体力ゲージが大幅に減少していく。

 ちぎれそうな平常心を慌てて取り戻した。


「ち、ちげーよ! 何で俺が照れないといけないんだ! 俺を照れさせるのは三次元の可愛い女の子だぞ?」


 あとは声優が演じるキャラに限る。俺の主張に、柊はたじろぐ素振りを見せなかった。


「知ってる。だから不思議なんだよね。雪、耳まで真っ赤だよ」


 そんな訳あるか!

 柊の視線に耐えかねて、反射的に耳を隠した。


「無駄だよ。耳を見なくても分かるから。ちっちゃくほっぺたを膨らませるの、尊いって思っているときによくしてる仕草だよね。俺の声、性癖に刺さっちゃった?」


 ふざけんな! 刺さったなんてもんじゃない!

 貫通して何も言えねーよ!


「ずりーぞ! 俺だけドキドキさせられて! 柊はなんでそんなに余裕そうなんだよ!」

「余裕なんかじゃないよ。可愛い顔を見せられたオタクが、悶えずにいられるとでも?」

「それな。……って、誰がいつ、かっ、可愛い顔を見せつけたよ?」


 メイラっぽいところがあると話したばかりだ。収まったはずの照れが再発してくる。


 俺にも可愛さが残っていやがったのか?

 ちくしょう。調子が狂う。


『今日のところはこれくらいで。やっぱりしゃべるのは緊張するよ(p´>ω<`; )』


 命拾いした。引き分けに持ち込めてよかったぜ。

 俺は胸を撫で下ろす。


『たまには面と向かってしゃべる練習をしておきたいから、これからもよろしくね。雪( ÒㅅÓ)キリッ』


 いつ襲来するか分からないイケボの脅威に怯えながら、練習相手をしなきゃいけねーのかよ。上等だ。


「おう。いくらでも相手になってやるぞ」


 我ながら、バトルもので聞いたようなセリフみたいだ。負かしたライバルに向けたセリフでありそう。可愛げのかけらもないセリフに対し、柊からはありがとうと照れた顔文字を送られた。


 何だよ、この愛らしい生き物は! さっきまで牙が幻覚で見えていただろうが!


 かっこよさと可愛さのコンボを決められ、両膝を着きそうになる。

 死因、俺の男友達。ダイイングメッセージにそう記す日は、遠くないのかもしれない。




【第1章 不器用なオタク達 了】

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