第7話 恐ろしい子!

 家の最寄り駅よりだいぶ手前の場所で降り、教えてもらった場所へ行く。記憶にある学ランは、昨日の今日ということもあり、すぐに見つかった。既視感しかない後ろ姿に声をかける。


「いた、いた! 柊……って」


 両手に華ならぬクレープを持った柊がいた。

 ほっそい体なのに、意外とよく食うよな。夕食前なのに。

 くすりと笑ったとき、クレープ屋ののぼりが目に留まる。


「コラボフェア、今日からだったのか!」


 きゅうナイとクレープ店がコラボする情報は、だいぶ前から掴んでいた。のぼりを見るまで忘れていた訳じゃないぞ。一ヶ月限定での開催だということも、コラボメニューの値段も記憶している。ただ、忘却の呪文を、己にかけたいと願ってしまっただけで。


『うん! やっぱり初日から来たくて(*^◯^*)』


 満面の笑みの顔文字に、柊の表情筋は追いつけていなかった。強火オタの彼女にクレープをたかられた、一般人のように見える。一応楽しんではいるんだよな? マストアイテムと言わんばかりに、推しのメニューを手に入れているんだから。目当てのグッズが手に入ったかどうかは、一旦脇に置いておくとして。


「言ってくれたら、一緒に並んだのに」

『考えてはみたんだけど。誘いにくかったんだよね。雪は今回のコラボフェアを、スルーするんじゃないかと思って。せめてグッズのラインナップに、ユイリィがいたらよかったんだけど(߹ㅁ߹) 💦』

「それな。コラボグッズのクレープ型アクキー、めっちゃ可愛いのにさ。甘いもの好きなユイリィがいないなんて、ほんっとありえないっつーの! とりあえず、初期キャラのコラボカードは全員分作ってほしかったわ……ごめんな。柊は楽しみにしてたのに、テンションを下げるようなこと言って」

『気にしてないよ。どっちかって言ったら、嘘を言わせる方が嫌だから。素直でいていいんだよ。ヨチ( * ´꒳`ノ(´^`° )ョチ︎』


 そうか? それなら正直に言わせてもらうぞ。本音を隠さずに言えば、地団太を踏むほど悔しくて仕方がない。柊の推しのナナカは、コラボメンバー入りできていいよなぁ。

 コラボクレープ購入特典のポストカード七種にすら、ユイリィは入れていない。もしも入れていたら、物品を対価にしてでも両親を連れてきたはずだ。一人では食べきれない量のクレープの消費を、手伝ってもらうために。


「コラボクレープは、袋に入れて持ち帰るのができなかったよな。今これを食べて、夕ご飯は入るのか?」


 首を傾げた柊に、嫌な予感がした。


「まさか、柊……これがご飯代わりだって言うんじゃねーだろうなぁ。食事系クレープならいざ知らず、デザート二つだぞ?」


 駄目なの?

 そんな声が、首を傾げたときに聞こえそうだった。


「おいおい。野菜とタンパク質ぐらいは、ちゃんと摂取しようぜ。イベント期間に風邪なんか引いた日には、だるい中で周回しないといけないんだぞ」


 うつむいた柊は、いたずらが見つかって叱られた仔猫のようだ。髪をわしゃわしゃしてあげたい。


「説教はこれくらいにしておいて。ナナカのクレープは全部食べたいよな。こっちのフィオレンサの方をもらっていいか? 払った金は俺が出すから」


 手に取ったクレープは、フィオレンサの髪を彷彿とさせるカラーリングだった。アーモンドスライスは、髪飾りのデザインからイメージして選んだんだろうな。キャラにちなんだメニューを考案できる頭脳に尊敬するよ。


『ちょっと食べるの待ってくれる? 食べる前にクレープの写真を撮らせてほしい。巻紙もコラボ限定イラストだから、見えるように撮りたいんだ(∩>ω<∩)』

「分かった。こんな感じでいいか?」


 ナナカとフィオレンサが手を握っているようにくっつける。


 ナナカの師匠であるフィオレンサは、ハーフアップの綺麗なお姉さんだ。おっとりとしたフィオレンサが小柄なナナカの手を取って指南する様子に、トレンドは「フィオママ」「おギャりたい」「当たってる」等の関連ワードで埋め尽くされていた。


 綺麗な子が可愛い子を愛でれば、絶大な相乗効果がある。ユイリィとも絡んでくれれば、絵になると話題になるはずなんだけどな。


 公式さん頑張れよ! 綺麗なお姉さんがかっこいいお姉さんに甘やかされてデレる顔とか、需要ありまくりだからさ! 甘え慣れていないユイリィのとろけ顔に、フィオレンサが「あらあら」と微笑むとこも見てみたいし!


 ぐぬぬ。せめて、俺の妄想を再現できる画力があれば、物足りなさで心が締めつけられることはなかっただろうに。ユイリィの二次創作を新規で作る人は少ないから、リクエストしたいお題の絵がすぐに見れないんだよな。


 複雑な気持ちになっていると、柊がすごい勢いで文字を打っていた。


『弟子との修行の後、パフェを食べに行こうと言ってフィオレンサが手を繋ぐシーン。ストーリーだと手をアップで映していたけど、実際はこの距離感だったのかもね! スチルの再現ができててすごいよ、雪! ナナカオタの脳内、よーく分かってるねヾ( *,,ÒㅅÓ,,)ノシ』

「フィオナナで撮りたくて、奮発したんだろ? 二千円を溶かしたかいはあったか?」

『もちろん! でもね。二枚目のポストカードでナナカが来てくれたから、実質タダだよ( '∇^*)^☆』


 タダじゃねーよ。アクリルスタンドとかクリアファイルとか、ほかに買うものがない訳じゃないだろう。それを考えると、痛い出費であることは変わりない。コラボ限定商品を一通り揃えれば、それなりの値段になるんだから。


 どうして傍目では冷静な判断ができるのに、自分のときは実質タダじゃないかと思えてしまうんだろう。この矛盾はどうして起きるのか、誰か解明してくれよ。


『あと一枚だけ、写真を撮りたい。雪と撮っていいかな? ツーショット、嫌じゃなかったらだけど(。>ㅅ<。)』

「俺は構わないぞ」


 かがんだ柊が、俺のすぐ近くにいる。友達同士で自撮りするなんて、青春だな。中学の卒業式はさっさと帰ったから、もしかしたら初めての体験かもしれない。


 肩が当たりそうな距離感は、漫画でよく見たシチュエーションだ。二次元の甘酸っぱい空気感を実写で再現しようとしたら、こういう空気を保存していないと駄目だろう。手を伸ばせば恋人繋ぎができるのに、肝心の手が震えてしまって躊躇するような空気を。


 あれ、どうして急に手を伸ばしたいって思ったんだ? 俺と柊はただのオタク友達なのに。心臓だって、いつもより早い気がする。


『ありがとう。わがままに付き合ってくれて。もう食べていいよ。撮った写真はすぐに送るね(ᐢ' 'ᐢ)ᐢ, ,ᐢ)』

「おう」


 ぴょんぴょん跳ねる顔文字は、柊がよく使っている気がする。未だにおじぎなのか、うさぎなのかよく分からない。ただ、柊の外見からは選びそうにない顔文字で、ギャップ萌えを狙うにはいいと思う。じゅるり。


 うん。通常運転だな。ときめいたのは、やっぱり誤作動だったらしい。可愛いものに癒されている、いつもの俺だ。


『言いそびれてたんだけど、制服の雪も可愛いね((o(`>ω<´)o))』


 おっと。油断の隙もないな。

 残念だが、致命傷には程遠い。その手のセリフは、乙女ゲームや少女漫画で何十回ときゅんきゅんさせられている。耐性がついているおかげで、即死には至らない。のたうち回りたくなるくらい、恥ずかしくて仕方がないけどな。


「馬子にも衣装って言うしな」

『雪ったら。素直に喜びなよ。お世辞じゃなくて本心なんだからさ(*´∀`)σ』

「ほっ、本心って。柊こそお世辞はやめろよ」


 ガラじゃねーんだから。そんなこと言っても、俺は柊が期待しているような可愛い反応をしてやれないぞ? ナナカみたいに、萌え袖で顔を隠す芸当はできっこないんだ。


『ちょっと何言ってるか分かんない(*‘ㅁ‘ *)?』


 つぶらな瞳で言われたら、怒る気力が削がれる。それも計算のうちなのか? 柊、恐ろしい子!


『雪は自分が可愛いってことを自覚してよ。二次元のキャラが目の前に来たのかと思ったんだからねヽ(。>д<)ノ』

「は? それは言いすぎだろ!」

『ううん。えびせんのメイラに似てるよ(*n´ω`n*)』

「それ、友達にも言われたわ。鏡で見たら似てなくもなかったけど、自分から言うのは恥ずいな」


 照れ隠しにクレープを頬張ろうとしたとき、柊が断りを入れてきた。


『一口だけちょーだい(*´◒`*)』

「ちょーだいも何も、柊が買ったやつだろ。思いっきりガブっといけよ。ガブっと」

『分かった。雪もこっち一口食べていいよ。それじゃ、いただきまーす(≧ч≦)』

「いただきます」


 俺も遠慮せず、柊の持っているクレープにかじりつく。ピスタチオアイスを邪魔しないホイップクリームの分量だ。この配分を考えた人は天才だな。甘すぎない程度にかかっていたチョコレートソースが唇につき、反射的になめる。


 待てよ。自然に味見しちまったけど、柊が食べたら間接キスになるんじゃねーの?


 意識した途端、鼓動が早くなる。


 柊は何も感じていないのか? 意識してるのは俺だけかよ? こんなときに心の中が読める力があったら、少しは冷静でいられそうなのに! うわあああっ! 顔が熱くなってきたぁ……。


 そっと柊に視線を向けると、噛みしめるように頬張っていた。これから俺に間接キスさせるクレープが、そんなに美味しいのか? 興奮して変態かよ。ちょっと引くわ。


『美味しい! やっぱり雪のためにこっちを選んで正解だったかも。チーズケーキが美味しいよ。キャラメルとアーモンドも好きな組み合わせだって、前に話してたよね(ᐢ' 'ᐢ)ᐢ, ,ᐢ)』

「ぐっ。くもりのない目が眩しい!」


 変態なんかじゃなかった。むしろ俺が汚しかけてしまって申し訳ない。ピュアすぎる柊は天然記念物として保護されるべきだ。ここまで純真無垢でいられるなんて、周りが必死で守ってきたんだろうなぁ。


『へ? 突然どうしたの? 昨日の雪との会話を、覚えていただけなのに( *ºΔº*)』

「持病の発作みたいなものだ。そっとしておいてくれねーか?」

『そういうことなら』


 困ったように眉を下げた柊の手が、俺のあごに添えられる。


「ひゃっ……?」


 既視感はあっても、されるのは初めてだ。

 俗に言うあごクイが、なぜか繰り出されてしまった。察しの通り、俺の脳内で処理できる範疇を超えていた。愛でていたうさぎが急に皮を脱ぎ捨てて、狼にでもなったかのような豹変ぶりなんだから。


 くそう。柊の唇、俺よりも綺麗だな。化粧品の広告に起用されてもいいビジュのよさじゃねーか。微笑まれたら昇天しかねないな。肉食系男子で営業されても、三次元男子には貢ぐお金がないんだが! 震えることすらできない俺を、一体どうするつもりだ!

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