第10話 たたかう? にげる?

 いいか、有本雪。この胸の高まりは、全力疾走した後の自然現象なんだからな。自分の好きなものをわざわざ手に入れてくれたからって、柊のことを好きになるんじゃねーぞ! やすやすと攻略されて堪るかよ!


 電車の中で自分に言い聞かせ、決戦場所へ向かう。

 改札を出て横へ逸れたところに、柊はいた。見慣れない格好で。


 今日は学ランを着てない、だと……?


 胸元に校章が刺繍されていることは知っていた。だが、腕まくりしている長袖シャツと、腕の白さの眩しさは予想外だ。


「てか、ウエスト細っ。モデルさんかよ」


 俺の視線は自然と下に行く。年齢は一緒なのに、柊の方が引っ込んでいるのはさすがに気のせいだよな。いや、気のせいであってくれよおぉ!


 セーラー服だったら、ある程度ウエストのごまかしが利くのにな。柊の横に並びたくねーよ! 


 人質グッズを預かってもらっている以上、いずれは近づかなきゃいけないのが歯がゆい。


 まだ待ち合わせの十分前にもなっていないから、もう少しだけ柊を泳がせておくか。奴の視線はスマホに釘づけだし。俺が気づいていないふりをすれば。


 やましい思いは、瞬く間に届いてしまったらしい。俺と目が合った柊は、スマホを操作した後で近づいてきた。


 もしかして、逃げようとしたことにお怒りで……? これはもう、先手を打って謝るしかないんじゃないか?


 俺がスライディング土下座をする前に、柊からの着信が届く。


『ゆき~! 久しぶり! 元気にしてた~?ヽ( ≧▽≦)ノ 』


 当の本人はというと、いつもの通り顔文字の笑顔には程遠いポーカーフェイスだ。だが、少しだけ手を上げてくれた。ほんの少しだけ。こんなファンサはされたことがない。


「ぐっ」


 俺のタイプは、白い歯をにっと見せてくれるユイリィみたいな子じゃなかったのかよ。三次元にときめいてどうする。


 でも、ついつい想像しちまうんだよな。柊の脳内だと申し訳なさげに上げた手は、ぶんぶん振ってくれているつもりなのか。それとも、勇気を出してボディーランゲージにチャレンジしてくれたのかって。そう思うと、健気で愛おしく感じる。


 やべぇ、変な汁が出て来そう。汗みたいな爽やかさはゼロの何かが。


 会って数分も経たないのに、早くも健康とは答えにくい状況だ。ただ、自分から柊を誘った手前、無理して来たと誤解させたくはなかった。経験値二倍キャンペーン中に出かけさせてしまった以上、柊には楽しんでもらいたい。


「まーな。イベントストーリーにユイリィが一瞬だけ出てきたし。むくれた顔で来るとは思わなかったから、すぐに土下座したよ。そうでもしなきゃ、腹の虫が治まらねーもん」


 自然と拳に力が入る。


「霊媒師の新キャラが実験に失敗して、ユイリィが巻き添えを食らうとか、想像できる人おる? 同じ属性の後輩だったら期待するけど、今回は予測が立てにくかったわ。ユイリィのむくれた顔、今の表情差分にないからアップデートされないかな。何百円かで買えるステッカーでもいいや。早くグッズ化してくれ」


 息継ぎをしたタイミングで気づいた。

 一人で話しすぎだろ、馬鹿。柊の意識が別の世界に旅立ってしまったじゃねーか。


「すまん。聞いてもないことをべらべらと」

『全然気にしてないよ。雪の好きなものを、たくさん話してくれて嬉しい( *^^人)♬*°』


 柊の脳内変換は、乙女ゲームの影響を受けているのか? 息を吸うように、クリティカルヒットを無邪気に繰り出して。セリフだけだと、人懐っこくて優しいキャラが話しそうだよな。あまり賢いとは言えないキャラだから、自分を恋愛対象として見てもらえているのかヒロインが一人で悩んでドキドキしそう。


『ふと思い出したんだ。フィオレンサがイベント入手キャラで出たとき、雪と似たようなことを考えてたって。推しのことを公式が大事に思ってくれて、ストーリーを見せてくれるの、すっごくありがたいよね( ∩*´ω`*∩)』

「それな。これからも大事に育ててもらいてーわ」

『今は師匠の方が人気高いから複雑だけど。ナナカが一緒にいたらフィオレンサも買ってくれるって、公式にアピールするからいいんだ( ,,ÒωÓ,, )b』


 推しカプが尊いから、フィオレンサのクレープも買ったと素直に信じきっていたのに。意外と腹黒いな。小悪魔め。


『行こっか。早くロゼットを雪にお披露目したいから』

「だな! ずっと楽しみだったんだ!」


 俺らはナックでポテトとコーラを買い、席に着いた。柊に渡された紙袋の中から、茶色の箱を出す。


 現物を確認した瞬間、店内に響き渡るほどの大声を出しそうだった。かろうじて生き抜いた理性でボリュームを下げる。


「うわぁぁぁ! こんなん、公式が一セット六千円で販売するクオリティじゃん! 色々飾りつけられてるのに、缶バッチがちゃんと主役になってる。やっぱ柊はスゲーよ」


 クリスマスプレゼントにでも使われそうなキラキラリボンは「遠距離攻撃キャラおめかしバージョンガチャ」にふさわしい選択だ。衣装の裾や上着の刺繍に使われている装飾をイメージしたであろう模様のリボンも、いくつか見受けられる。その上、傷防止のカバーを装備させていてありがたい。観賞用以外の用途も残してくれるとか神かよ。


 コスプレ衣装やぬいを自作できる人もすごいが、公式のグッズのよさを殺さずにアレンジできる柊も十分すごい。真ん中に置かれたユイリィが、センターで輝くアイドルのようだ。


「ユイリィ。この笑顔に会いたかった……!」


 ロゼットを両手で包み込む。

 いつもはローブをはためかせるユイリィが着ているのは、体のラインがはっきりと分かるマーメイドドレス。レースの黒手袋をはめた手で、赤みを帯びた頬を掻く姿は、国宝級の初々しさだ。


 ひとしきり愛でた俺は、表情を引き締める。


「なぁ、柊。ちょっと確認したいんだけど。ユイリィのバッジもラバーストラップも、わざわざ俺のために回してくれたのか?」

『気づくの遅っ(ノ *,,ÒㅅÓ,,)ノ』


 かろうじて首の皮一枚繋がった。

 微笑しつつ今のセリフを囁かれていたら、俺は生きていなかった。


 柊はまた文字を打った。


『たまたま、残りわずかのガチャガチャを見つけちゃったんだよね。引いておかないと損じゃない? もしかしたらユイリィが出るかもしれないし(∩>ω<∩)』

「そういうとこ、日頃の行いのよさが出るんだろうな。なかなかないって」

『そうかなぁ(o'ч'o)』


 柊はポテトを摘む。手つかずのまま放置していたが、まだ温かそうだった。つられて俺も頬張る。


 ポテトを触っていない指の関節で入力する様子から、柊の潔癖度が測れた。


『今日はもう一つ用事があるんだ。六月一日の土曜、もう予定がある? ドキ(✱°⌂°✱)ドキ』

「特になかったはずだけど。どうかしたのか?」


 手を拭いた柊は、文化祭の入場チケットを差し出した。


「俺んとこの文化祭、来てくれるか?」


 ぐわあぁ!

 至近距離のイケボは心臓に悪い!


 完全に油断していたから、返事をする前に息が止まりそうだ。たった一言でも即死級の破壊力。柊に王子様キャラを演じさせれば、甘いボイスで倒れる人が続出するに決まっている。さすがに文化祭は、裏方に回されているだろう。模擬店でウェイターの柊が出てきた日には、生きては帰れない。制服のシャツより攻撃性が高くなるからな。


「ん」


 だー! なーに、しおらしく返事してんだよ! いつもなら、はっきり言えんだろうが! 「あぁ」とか「おうよ」とかさ。


「忘れちゃ駄目だからね。ドタキャンするの許さないから。行けなくなったら早く連絡してよ。埋め合わせに何をしてもらうか、考えとく」

「何で俺が約束を破る前提なんだよ。友達の文化祭だろ。行くから。絶対」


 頼むから、これ以上イケボを囁かないでくれ。コーラの炭酸が鼻の中で暴れているのに、違う部位も痛んでくるだろうが。

 俺の気のせいでなければ、柊はどこか満足そうに見えた。何かの仕事を終えた充実感に、浸っているかのように。


『シフトの時間は決まり次第教えるから、この教室に来てほしい(人´ω`*)』

「は?」


 パンフレットに書かれたクラス企画は予想外のものだった。


「こんなの、よく教えられたな。普通は、知り合いに来ないでくれって懇願するところだろ」


 こっそり覗きに行って照れ顔を脳内のアルバムに収めるところまでが、セットに含まれていたはずなんだ。計画が狂わされた。


『ちょっと事情がありまして( ´^`° )』


 余計にタチが悪いな。日頃の恨みを文化祭で発散するなんて。そんなにストレスを抱え込まされているのか? 柊がしゃべらないからって、接客と呼び込みを強要するんじゃねーよ。そういう事情があるなら、いくらでも協力してやる。


 だが、これだけは言わせてほしい。


「あのな、柊。たまにはしゃべる練習をしたいって言ってたけど、せめて予告ぐらいしてくれよ。心臓がいくつあっても足りねーから」

『じゃあ、今から話すね(ᐢ' 'ᐢ)ᐢ, ,ᐢ)』


 今日の練習はあれで終わりじゃなかったのかよ。まだ心の準備ができてないんだが!


 俺は口元を抑えた。飲んだのは、冷たいコーラだったはずなのに。体中が熱くなるなんてありえない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る