第2章 俺得の神対応
第9話 今はまだ
GW明けの中間試験で、連休で養った英気を使い果たした。オートモードでレベリングは捗っても、人間の成長はそう簡単にはいかない。バイトと勉学の両立なんて、要領の悪い俺にとってイージーじゃなかった。紅葉との勉強会がなければ、半分以上の教科で赤点を取っていただろう。
断っておくが、覚えることは嫌いではない。むしろ好きな部類だ。ゲーム内の単語や世界観は、インストールしてすぐに暗記できるからな。日本史や世界史の教科書は、ライトノベル感覚で読んでいた。学校で学ぶ内容より専門的すぎる知識を持っているせいで、テスト範囲の解答と微妙にズレていたところが誤算だっただけで。未来はある得意教科だ。
塵になりながら教室の掃除をしていると、帰り支度をした紅葉が寄ってきた。
「見事に燃え尽きたわね。ドーナツでも食べて帰る?」
「悪い。予定があるんだ」
せっかく誘ってくれた紅葉には悪いが、先約を優先しなければならない。
「何よ。リアタイで見たいアニメがある、なんて言うんじゃないでしょうね」
「そりゃあ、リアタイでしか味わえない熱気は何物にも代えがたいけどよ。今日は違う。紅葉とのデートは魅力的なんだがっ!」
「もったいぶらずに言いなさいよ。怒らないから」
いやいや、しょうもない理由だったら容赦なく怒るだろ。でも、話さなかったら、目的の駅までついてこられそうだな。
俺は観念して事情を話すことにした。
「ときは前日に遡る。とあるメッセージがラギさんから届いたのだった」
「唐突なナレーションね」
紅葉こそ、ナレーションに文句を言うキャラを演じなくていい。冷静に考えると、恥ずかしくなるだろうが。
中間試験二日目の朝。死んだ魚の目で起床した俺は、新着メッセージに気づく。
『例のものを準備した(つ ÒㅅÓ)つ』
そんなハードボイルド風なセリフも、柊の顔文字つきだとシリアスになれない。
それでも、柊の芝居に乗ってやることにした。
『受け渡し日時はいつだ?』
『火、木なら空いている( ¯﹀¯ )』
ドヤ顔に早くもペースを乱される。
『それは今週でもいいのか? 一応、明日は木曜だし』
しばし時間が空いて、既読がついた。
『モーマンタイ∑d(≧▽≦*)』
なぜにモーマンタイ? ほかに「大丈夫」とか「問題ないよ」とかの選択肢があっただろ。広東語を乱入させた意図は何だ? 急に中国マフィア気分にでもなったのか? それとも習いたての単語を使いたい周期に入っているのか? カオスだとかサンチマンタリスムだとか、無性に使いたい気持ちはよく分かる。イエスの返事を、アニメキャラのように「うぃ」と言ってしまいたいときもあった。
俺が言えば可愛くなる自信があるから真似するんじゃないぞ。あの可愛い言い方は、小さい子どもでなくても真似したくなるんだ。
モーマンタイを選んだ理由を検索して、親しい友達に使う言葉だと知ったときの俺は、誰にも見せられない顔をしていたと思う。五月中旬でも顔が火照るとか、聞いてねーよ。
『それじゃ、クレープを食べたときの駅でいいか? 時間は十六時半でどうだ?』
送った後で、二度目のモーマンタイが襲来しそうだと焦る。
『うん! 楽しみにしてる(人´ω`*)』
それは、約束してくれたロゼットとユイリィグッズをもらったときの俺の反応を期待しているのか? それとも俺と会うことが決まったことを、楽しみに思ってくれているのか?
「どっちでも可愛すぎるだろ」
考えながら着替えたせいで、制服のボタンをかけ違えてしまった。
俺は思い知る。結局、柊からの顔文字で癒されないことなど起きなかったのだった。
「……ってことがあったんだよ。だから、ドーナツはまた今度に取っておいてくれないか?」
俺の説明に、紅葉は嫌々そうではあったものの納得してくれた。
「そうするわ。糖分過多で何も食べたくないもの。思い出したけど、GWの旅行先で、変なスキンシップを見させられたときも、食欲不振になったのよね。行列に並んでいたカップルがお互いのほっぺたを掴み合っていて、何が楽しいのかしらって思ったわ」
黒部ダムと立山・雪の大谷の旅行の裏で、そんな辛苦を舐めさせられていたとは。おみやげにもらった白えび煎餅を夢中で食べていたから、俺に愚痴を聞いてもらおうという気がしなかったのかな。
紅葉が遭遇したカップルと俺が居合わせていたら、聞こえよがしに舌打ちをする自信しかない。二人きりの世界はよそでやってくれ。
俺は我に返る。
「俺はそんな非常識なことをしてないからな。俺の男友達が可愛すぎてつらいって話をしただけだ」
「惚気話にしか聞こえなかったわよ。男友達だって『今はまだ』って文字がちらついているんだから」
「いやいやいやいや! ナナカとは正反対の俺が、恋愛対象に昇格するなんてどんな天変地異が起きてもありえないって!」
さすがに騒がしくしすぎたかもと思って周囲をうかがうと、俺と紅葉以外誰もいなかった。同じ掃除当番の奴らは、いつの間にしれっと帰っているんだ? 取り残された俺のほうきが哀れじゃないか。
「あれ? ほかの奴らは?」
「雪と私が掃除を終わらせておくから大丈夫って言って、帰らせたわ。惚気話を部外者にも聞かせたかった?」
「惚気話じゃねーんだけど、助かったわ」
それにしても、担任も消えているとは思わなかった。ほかのクラスの奴に呼ばれて教えに行かなければいけなくなったのは仕方がないけど、俺らのことを信頼しすぎだろ。
「私の日頃の態度の賜物よ。残りの机を戻すの手伝うから、ちゃっちゃと終わらせましょ」
「おう」
柊との約束の時間に間に合わせるには、十六時発の電車がデッドラインだ。今は十五時二十五分。駅までの所要時間を考えれば、うかうかとしていられない。
紅葉が運んでくれている間に掃き、多少は机を運んだ。
「雪って、急な予定を立てるのが好きよねぇ。スケジュールを限界まで詰めておかないと死ぬ病気にでもかかっているんじゃない?」
「昨日が新刊の発売日だと気づいて、翌日の放課後に本屋へ行くことはざらにあるぞ」
「地方民を敵に回したわね。金曜が発売日だったときは、翌週の火曜まで待たないと入荷されない悲劇。ネタバレの配慮のない都会民との熾烈な戦いが、何度繰り返されたことか」
「電子書籍もいいぞ」
「確かに紙だと拡大しにくいものね。でも、店頭に行くのが何だかんだで楽しみなのよ」
同感だ。店員の書くポップを読むのは楽しいし、買う予定のなかった本と出会えるのも本屋を訪れるときの醍醐味だ。
深く頷いてから、ちりとりに集めたごみを捨てに行く。
「自分でちりとりに入れるときに無自覚でパンチラさせちゃうのは、二次元だけの現象なのかしら」
聞き捨てならない発言に、秒で舞い戻る。
「おい! 二人きりにさせたのは、その検証が目的かよ! 紅葉!」
「だって期待しちゃうじゃない! 気づかないメイラちゃんの真剣な表情と、主人公目線のくい込んだ布地が再現されちゃうかもしれないって!」
油断も隙もないな。これのどこが品行方正な優等生なんだよ。
あの神絵師の挿絵を見なかったら、性癖が歪まなかっただろうに。おいたわしや。
装備を掃除道具から下校の姿に切り替え、俺は先に出ようとした。紅葉の問題発言で、友達をやめようと決めた訳ではない。性癖を暴露されて驚いたものの、あれくらいなら許容できる。俺も疲れているときは、似たような思考に陥らないとは言いきれないからだ。
この時間に出れば、駅までダッシュしなくてもいい。一緒に歩くと話に夢中になって腕時計の存在を忘れてしまうのは、目に見えていた。
さらば友よ。踵を返して歩き出したとき、紅葉が疑問を放つ。
「ラギさんはユイリィ推しじゃないのよね? わざわざ雪のためにナナカがいないガチャガチャをトライしてくれたってこと?」
紅葉が表示させていたのは、きゅうナイの商品一覧。先月発売のガチャガチャは、確かにナナカが含まれていなかった。
それ、今言うの? 自引きできなかったグッズを譲ってもらえることが嬉しくて、そんなことまで考える余裕がなかったのに。今から会うのに、どういう顔で柊を見ればいいんだよ。
「まさかっ! そんな都合のいい展開、夢じゃねーんだからさ。じゃあな、紅葉。またあしたあぁぁー!」
バグりかけの表情筋を隠すように、俺は駅まで疾走した。
「やっぱり雪っておもしれー女だわ」
笑い声とともに浴びせられた紅葉の言葉は、幻聴であってくれ。
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