第5話 リアルのラギさん

 ラギさんと会う日。 

 俺は待ち合わせ場所の改札口付近に着いていた。緊張で手汗が尋常じゃねぇ。


 冷静になってみると、だいぶ思い切った誘いをしたよなぁ。郵送してもらうこともできたのに、手渡しを頼むなんて。しかもDMから二週間以内に会う約束を取りつけるとか、どんだけラギさんと会いたいんだよ。リアルでは初めましての人との会話なんて、コミュ障持ちのオタクにハードルが高いのを忘れたのかよ。せめて睨むようなことはするんじゃないぞ。落ち着け、落ち着けぇ~俺。


 パーカーの紐を弄びながら、心拍数を整える。


 家族には友達と会うことにしていた。リアルでは初対面のネット民と会うなんて危ないと、止められたら嫌だからだ。


 マッチングアプリのCMを見た母が「昔で言うところのお見合いよね」と言ったことはあった。その言葉だけで肯定的に思っているかどうかは判断しにくい。ラギさんが自分より年上の成人男性なら、一人きりで会うのはやめなさいと言われてしまう気がした。せっかくのユイリィのグッズ交換のチャンスを、逃すつもりはない。だが、推しは生きていなきゃ推せない。俺も、シナリオ上のユイリィも。


 ユイリィのためならいくらでも尊死できるが、現役女子高生の貞操を奪われるのは別問題だ!


 会う人のことは秘密にする代わり、犯罪に遭うリスクは可能な限り避けたかった。万が一、車内に連れ込まれそうになったとき、腕力で勝てる自信はない。だから待ち合わせ場所は人通りの多い駅にした。お茶するために移動したとしても、駅に隣接した商業施設の中なら安心だろう。念のため、家や学校の最寄り駅ではないところにした。制服で特定されるのはまずいと思い、学校の創立記念日を選んでいる。どうだこの徹底ぶりは。最初の以外は、紅葉の入れ知恵だけどな。


 やっぱり平日五時過ぎの改札口は混むな。分かりやすいオブジェがある駅だったら、ほかの人の邪魔にならないところで待っていられるのに。銀の鈴やハチ公前は、有名な待ち合わせ場所だ。有名すぎて人が集まりすぎるくらいに。


 その点、広島県にあるアストラムライン本通駅の利用者はほどよい量だ。本通・平和記念公園方面の出口付近にある壁面には、出身作家の作品にちなんだステンドグラスが嵌め込まれている。ステンドグラスを撮るときに、人とぶつかって嫌な顔をされることはない。見上げながら歩くヒロイン姿は、これから階段で地上へ向おうとする人々の足を軽くさせてくれる。


 都内にも、程々のスポットを作ってくれないものだろうか。綺麗すぎたり可愛すぎたりしたら、写真目的以外の人の邪魔になるからな。


 改札から吐き出される人の波に、ラギさんが入っているかもしれない。今日の服装のことはまだ聞いていないから、確証は持てねーが。


「待ち合わせの十五分前に来ちまったけど、DMで着いたことを知らせといた方がいいかな。その前に、俺の服装を教えるのが先か? でも、そうしたら……」


 スノーさんのイメージが崩れちまう!

 リアルでもネットでも男っぽい俺が、実は女子だったなんて引くよな。イケメンお兄さんだと認識されていた場合、ガッカリ感が半端ない。ギリギリまで情報を非公開にするべきか、早く来ていることを伝えるべきか。究極の選択だ。


 俺の溜息に重なるように、苛立つ声が近くで上がった。


「なぁ。あんたがぶつかってきたから落としたんだけど。新しいの買って弁償しろよ」


 ガラの悪そうな男が学ランに絡んでいた。飲みかけらしいフラペチーノの容器は、半分以上減っている。飲もうとした直前に落としたのならともかく、大の大人が情けねーな。少し眠たげな学ランは、さっきまで熟睡していたように見える。飛び起きて電車から出た状態で、眠気が早々なくなる訳がないだろうに。


 あれ? 学ランのスクールバッグについてるの、全部ナナカのバッジだ! 交換相手のラギさんのアイコンと同じバッジもある。すごい偶然だな。


 とりあえずカツアゲは見てらんねーから、早く助けてやらなきゃな。


「んんっ」


 あーあー。マイクテスト、マイクテスト。

 俺は喉の調子を確かめて二人に近づいた。


「お兄ちゃん待った? メイト行こ」


 一億年ぶりぐらいに出した地声は、お隣さんの幼馴染を起こしに来る正統派ヒロインに似ていた。

 家族だけはこの声を褒めてくれる。だが、普段は俺の性格に合わねーから封印していた。

 アニメグッズ専門店へ一緒に行く兄妹がいるとは思えねーけど、中学生っぽく振る舞っとけば騙せそうだ。百五十もない身長と童顔が、たまには役に立つもんだな。


「はぁ? こんな冴えない奴に妹がいるのかよ。妹ちゃん、こいつ何もしゃべってくんないから、代わりに弁償してよ」


 俺の腕を掴もうとした男に、嫌な汗が背中をつたう。三次元のしつこい男は大嫌いだーっ!


「てめーに使う時間はねーわ! さっさと失せやがれ!」


 俺の視界から永久にな!


「ひゃいぃ~! 絡んですみませんでした!」


 ふん。他愛ねぇな。

 退散する男に鼻を鳴らすと、学ランの肩が揺れた。


 かわいそうなほど震えてやがる。もう怖い男達はいなくなったから、安心しろよな。いや……もしかして、おびえているのは俺のせいか? 知らない人が助けてくれたと思ったら、急に怖いしゃべり方になったもんな。そりゃ、こえーわ!


 二次元だったら心の声が読めたり、瞳にぐるぐるマークが出たりするんだけど。やっぱ三次元は不便だ。俺に怯えているのかでさえ、区別がつかない。誰か学ランの心情をナレーションで教えてくれ。無理か、無理だな!


「じゃ、俺はもう行くから。妹面して悪かった」


 歩き出そうとした俺の袖を、学ランは遠慮がちに引っ張った。


 これ、は……! 走り去ろうとするメインキャラに、大人しい子が勇気を出すシーンの再現か? 学ランがどんな表情してんのか、早く振り返って確認したい! 耳まで赤くなっていたら、後で美少女に脳内変換して楽しむ。


 まぁ、男の子でもアリだ。俺より背が高い子にちょこんとつままれて、尊さを感じることはできないのだろうか。いや、できる。


 学ランに促されるまま、スマホの画面を見る。


『ありがとうございます(߹ㅁ߹) 💦 怖くて声が出せなかったので、お姉さんに助けられました( *^^人)♬*°』


 くっそかわえぇ~っ!


 おびえるほど怖かったなんて小動物かよ。ポーカーフェイスなのに、この顔文字のセンスはずりーだろ! ユイリィ以外に尊死しちまうじゃねぇか。


 落ち着けよ、俺。紅葉以外の学校の奴らとは、上手くしゃべれていないんだ。勢い込んで話すんじゃねーぞ。せっかく可愛い顔文字を使ってくれた学ランを、怖がらせたくないだろう?


 学ランの可愛いさを叫びたい気持ちを、どうにかして抑え込む。


「有本雪って言います。絡まれて怖かったですよね。誰かと待ち合わせしていたんですか?」

『はい。本当はすぐに逃げたかったんですけど、ダブったグッズを人と交換するために来てて。初めて会う方との約束なので、何が何でも遅れる訳にいかないじゃないですか( +,,ÒㅅÓ,,)=3フンス!」


 さっきから使っている可愛い顔文字は、どこで見つけてくるんだ? 俺が使うとしたら、こういう奴だぞ(`・ω・´)フンスッ!


 こっちも可愛いけどよ。学ランの使う、つぶらな瞳はずりーよな。録音した声を繰り返し再生するおしゃべり人形みてーに、可愛いと連呼したくなる。


『すみません。自己紹介忘れていました///Σ(//ロ// )』


 顔はちっとも赤くなっていないのに、画面の中だと結構赤くなってんのな。ギャップ萌えを狙っているつもりか? もちろん俺の大好物だとも。


『貴崎柊です。濁点は使わない、きさき。ひいらぎじゃなくて、しゅうって読むんです。俺の名前(ᐢ' 'ᐢ)ᐢ, ,ᐢ)』


 可愛いが大渋滞してやがる。俺と柊は同じ一人称を使っているのに、こうも破壊力が桁違いなのかよ。

 俺はふにょんと溶けかけた唇を、どうにかして動かした。


「俺もグッズの交換で来たんですよ。ツブヤイターのアカウントは、スノーって名前にしてて」

『スノーさん? ユイリィ推しの? こんなにかっこいいお姉さんだったんですね.。.:*・'(*°∇°*)'・*:.。.』

「がっかりしたんじゃねーの?」


 こんなガラの悪い女子高生、俺だったら絶対関わりたくねーわ。縮こまりながら呂律の回らない舌を動かして、脱兎のごとく退散する。でも、どの路線を使ったか特定されたくないから、しばらく駅内をふらつくかもしれない。


『まさか。ヒーローだと思いましたよ ドキ(✱°⌂°✱)ドキ』


 だから顔文字が可愛すぎるんだって!

 ラギさんもとい柊と会った日、俺は三次元でも推しができるのだと思い知らされた。


 画面で事情を聞けば、柊はオタクの俺と直接話すのが嫌すぎる訳ではないし、同担拒否でもないらしい。その証拠に、彼の透明なスマホケースの中には、同じゲームのキャラクターであるナナカのステッカーが入っていた。柊も俺と同じぐらいオタクを極めていた。


 柊にとって、面と向かって人と話すことは極度に緊張させるらしい。何を言えばいいのか悩んで強ばる顔が、不細工ではないか考え込んでしまうようだ。困り眉になっても可愛さは減らねーのに。顔の半分を前髪で覆った男子高生が、可愛い顔文字を使ってるんだぜ? これを萌えと呼ばないでどうするよ。


『あの。もしスノーさんがよかったら、なんですけど(*n´ω`n*)』

「おう。遠慮なく訊いてくれ」

『まだ時間に余裕があったら、そこのカフェで話しませんか? 晩ご飯の都合があれば、飲み物だけでもご一緒できたら嬉しいです(*つー`*)』


 唐突な乙女ゲーム展開だな。もはやデートのお誘いだろ。ポーカーフェイスのままの柊からは、やっぱ感情が読めない。


 俺が意識しすぎなのか? 自分のことになると客観的な判断ができないもんだな。いつもアニメを見ているときは「デートだよ、デート!」だの「手を繋ぐタイミング逃すんじゃねーぞ!」だの悶えながら鑑賞しているというのに。くそっ! 綺麗な顔しやがって! そっちが動揺していないんなら、俺だって普通に答えてやるよ。


「問題ないぞ。移動するか」


 照れはなかったはずだ。おそらく。絶対!

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