第1章 不器用なオタク達
第1話 二次元みたいにうまくいかない
解せぬ。解せぬよ、俺は。
別の車両へ行ってしまったスーツを、俺は呆然と見送った。
さっせんした、だって。別に謝ってほしい訳じゃなかったのによ。ワイヤレスイヤホンの音漏れを教えてあげただけだ。
聴こえたのは、たぶんボイスドラマ。血を吸うのが苦手な吸血鬼の先輩に、練習台になってくれた吸血鬼の後輩が分からせようとする百合らしい。
「人間からそのまま直に飲むなんて、今後は絶対しないでくださいね。
ヤンデレっぽさを微塵も感じさせないピュアっピュアな後輩ちゃんが、独占欲を剥き出しにしてやがる! 先輩への重たい愛を隠すつもりがないの、可愛いなぁ! 癒されるなぁ! でへへ。
つり革を握りながら微笑していた俺は、傍目から見ると気持ち悪い図になっていたかもしれない。俺の名誉のためにも、音漏れをさっさと教えといてやるか。それくらいの考えで指摘したんだけどなぁ。百合に挟まる女として不快に思われたんなら、申し訳ねぇ。
俺はつくづく実感させられる。三次元は二次元のキャラと違って優しくないってことを。
ちょっと表紙がアレな本をレジに持っていけば、バーコードを読み込んだ後に表紙を向けられる。公衆の面前で性癖をバラされた挙句、興奮していないか顔色をうかがわれているような気分だ。自分しかいない部屋でゆっくり鑑賞したいから、バーコードが上に来るように置いてくれねーかな。レジに並んでいるときから気が気じゃなかった。先日は、後ろにいる小学生くらいの男の子に見られないか冷や汗をかいたものだ。純粋無垢なショタには刺激が強すぎるという配慮がもろくも砕け散り、表紙を手で抑えていた努力を返しやがれと腹立たしくなった。
肌に余すとこなく塗られたサンオイル。肌にぴったりと密着したマイクロビキニ。成年向けの表紙かと誤解されかねないほど、全年齢対象ラノベのイラストからは背伸びしすぎた雰囲気があった。
ウォータースライダーで脱げてしまった胸元を隠すシーンが描かれていたなら、他人に覗き込まれてもノーダメージで済んだのだが。発売日に書店で入手したい勢を、ふるいにかける試練かと思ってしまった。
冷静になってみると、表紙絵の制作背景が手に取るように理解できるな。胸を押しつけようとするポージングは、つけすぎたサンオイルを主人公の背中にお裾分けしようとしたのかもしれない。ストーリー本編では義妹の水着姿を想像させようと、ヒロインが耳元で囁く場面が書かれていた。その場面の挿絵はあったものの、主人公の耳元に近づくヒロインをアップで描いただけだった。
いかがわしいラノベと誤解されていまいそうな表紙は、ヒロインが義兄にしてあげたいことを可視化したものだったというのか。表紙に期待したあまり、読了後はがっかり感が否めなかった。読者の見たかった光景を表紙で補完してくれたのなら、新作の評価を高くしておかねばあるまい。
ツブヤイターに投稿しようと思っていた読了報告は、書き直しだな。一度に百四十字しか投稿できないから、結構時間かけて下書きを完成させたんだけど。ストーリー自体は既刊よりも義妹の可愛さがパワーアップしていて大満足だったし、前の文章よりいいものを書いて布教するか。『サキュバスになった義妹は兄を搾取したい』シリーズを。
限られた文字数で感想文を書く力が、いつか仕事をするときに役立ってくんねーかな。一応読書(ラノベに限る)は趣味にカウントできるんだけど、国語の成績は上がったためしがないんだよな。別に「尊い」「ヤバい」「神」と何十回も連呼している訳じゃねーのにさ。誰か、この謎を解明してくれよ。
スマホを取り出した俺は、タイムラインをチェックする。新グッズ、コラボイベント、春アニメの評価うんぬん。一週間前に人生初スマホを与えられた身にしては、完璧な使いこなしだな。
はー! 癒されるぜ。今日を乗り切るためのエネルギーがどんどん蓄えられていく。
入学式は午前中で終わり。放課後になる前に、できるだけ連絡先を交換しとかなきゃな。中学のときは親がスマホを持たせることに否定的で、人間関係に苦労したんだよな。高校は初日からオタク友達を作りてぇーよ。乙女ゲームの入学式みたいに、運命的な出会いができたらなおよし。
ただ、現実世界だと、角を曲がったときにぶつかる確率はかなり低そうだ。それを見越した俺は、別の形で印象に残るべく作戦を立てた。その名も、髪を褒めたくなる作戦。今まで黒髪が多い学習環境にいれば、俺の金髪は新鮮に映るだろう。まばゆいほど光り輝く髪に、魅せられない人はいるまい。
高校に進学したら、髪を染めてやろうと思っていた。だから自分の学力で行けるところより、校則の緩い進学先を選んだ。
オープンスクールや文化祭に足を運び、染色した髪の先輩を多く見てきた。茶髪やピンクがかった髪が許されるのなら、日の色を受けて透き通る金髪も許される。そういう風に、都合よく解釈していた。
意気揚々と教室へ入り、自分の席にバッグを置く。指に髪の毛を一房だけ絡ませながら、頬杖をついた。
これで準備は完璧だ。みんなはどの選択肢にするのかな?
『綺麗な髪だね』
『どこの美容院で染めたの?』
『サラサラで羨ましい』
どれを選んでも俺の好感度は下がらないから、安心して選んでくれよな。
数分も経たないうちに、クラスメイトは談笑をし始めた。その中に、俺は混ざれていない。俺の右手は、机の下で震えていた。
初対面の人に話しかけるのムズすぎんだろ!
会話のきっかけに、好きな本について振るのも考えた。だけど、趣味嗜好がはっきり表れやすい本の話をするのは、今日の下着の色を訊くぐらいのセンシティブ情報じゃないか? 人見知りには高難度のミッションでクリアできねーよ!
そもそも俺が話しかけようとしても、誰一人として俺と目を合わしてくれないんだが! 俺の記憶にはないんだけど、前世であんたらのこと殺したことでもあったか?
隣の席のハーフアップには「肌もちもちすぎん? これで手入れしてないとかヤバ!」「ネイル可愛いねっ!」なんて、大勢で話しかけているくせに。俺の存在は認知されていないとでも言うのかよ。そうじゃなかったら、俺の背中に「私は犯罪者です」と書かれた札が貼られているとしか考えられない。
気になって手を回してみたものの、悪戯を仕込まれた感触はなかった。それでも、思い過ごしでラッキーだったと、両手を上げて喜べない。諸悪の根源は、クラスに一人しかいない金髪だって言うのかよ。
ここまで悪目立ちするとは思わなかったぞ。そのライトノベルがえもい大賞受賞作の『英国留学生が俺の専属メイドになりまして』とか『義妹が英国美少女なんて聞いてません!』で、金髪ヒロインに惚れた高校生は男女ともに多いはずだ。
まさか俺の金髪に推しを思い出して、直視できなくなっているのだろうか。そんな理由で俺を避けるなんて……!
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