回想1

 オリビアがアエリと初めて会ったのは、まだ五歳の頃だった。

 アエリは商人の息子であり、偶然父親の仕事の関係でオリビアの住むフルール村へとやってきた。

 アエリを見て一番最初に感じた印象はうっとうしいだった。

 フルール村は小規模であったこともあり、オリビアと同年代の子は数人しかいなかった。しかも、その数人はともて排他的な性格だったため、アエリに近づこうとしなかった。そのため、アエリはオリビアに話しかけてきたのだ。


 オリビアはこの頃、会話があまり得意ではなかった。いまも口下手で人見知りだが、この頃はいま以上にそれがひどかった。村の子どもたちとすらも、ほとんど話すことはなかった。だから、アエリが話しかけてきても無言で離れていく。

 しかし、アエリはその背中を追いかけ、しゃべりかけてくる。

 はっきり言って、そんなアエリの存在はオリビアにとっていらいらするものだった。ヘラヘラした様子で話しかけてくる。


「ねえ、どこに行くの?」


「嫌い」


 ある日、いつものようにオリビアのあとをついてきたアエリにそんな拒絶の言葉をかけた。

 アエリは目を大きく見開くと、へなへなと地面に腰を落とした。

 そして、次の瞬間わーんと大声で泣き始めた。瞳からボロボロと大粒の涙がこぼれていき、その服や地面へと落ちていく。

 オリビアもその姿には流石に動揺を隠せなかった。誰かこの状況をなんとかしてくれないかとあたりを見渡したが誰もいなかった。

 再びアエリを見たが、一向に泣き止む感じはしなかった。

 オリビアはもうどうすればいいか分からなくなって逃げ出した。


「あら、今日は早いのね、オリビア」


 家に帰ると、母からそんな気の抜けた声がかけられる。まだまだ日が沈むのはだいぶ先の時間である。

 オリビアは無言で、母の横を通り抜けると、寝室へ入り布団を頭からかぶった。そして、モヤモヤした気持ちを払うようにギュッと身体を丸めた。枕に顔を押しつけた。

 だが、気分はどうにも晴れない。

 一体全体なんなんだと思う。別にオリビアは悪いことをしていない。ついてくるのがむかついたから嫌いと言っただけだ。どう考えたってアエリが悪い。そうに違いない。

 そんなことを布団にくるまりながら考えているうちにオリビアは寝てしまった。


 それからどれくらい時間が経っただろうか。

 オリビアは布団からもぞもぞと身体を出した。

 部屋のカーテンの隙間からはオレンジ色の光が入ってきている。夕方であることを知り、オリビアはゆっくりと布団から出て立ち上がった。

 それから、寝室を出て、リビングへ向かおうと廊下を左に曲がろうとしたところで立ち止まる。

 なにやら声がしたからだ。声は家の入り口から聞こえてきた。オリビアは耳をそばだてる。声の主は母とアエリだった。


 なぜアエリが。オリビアは強い疑問を抱いた。もしや昼間のことに対して、オリビアのことを糾弾に来たのだろうか。

 そんな根性があるとも思えないが、それは困ることだった。なにも悪いことをしていないのに場合によっては母に怒られてしまうかもしれない。

 そんな最悪の一日なんて過ごしたくない。

 オリビアは飛び出そうと思ったが、踏みとどまった。まだ状況が飲み込めていないのだ。そこで飛び出してもどうしたらいいか分からない。それなら、アエリと母の様子を見てから動いた方がいい。

 そう結論づけて、オリビアは静かに目をつむり耳に意識を集中させた。


「それで、そろそろ君がここに来た理由を教えてくれるかな」


「あの、オリビアちゃんのお母さん。実は僕、その、えーっと……」


「ゆっくりで大丈夫だよ」


 優しげな母の声音。少年はきっとそれにほっとしたのだろう。ゆっくりと次の言葉を紡いだ。


「僕は、オリビアちゃんにひどいことをしてしまったんです。それで、謝りに来たんです」


 オリビアは驚きを覚えた。

 アエリはオリビアの文句を言いに来たとばかり思っていたからだ。だが、全く見当違いであった。

 いかにアエリから出た言葉に大して迎撃をしようかと考えていたオリビアは拍子抜けしてしまった。


 そうなってくると、ずっと意地を張っている自分に嫌気が差した。

 アエリを糾弾することはできる。だが、それはつまり己の小ささを認めるようなもので、癪に思えた。


 オリビアは部屋から出ると、アエリの前に踏み出した。

 アエリはびくりと背中を震わせた。

 母はそれを予想していたのか、あらあらと言いながら笑っていた。オリビアはそんな母を見ずに、アエリの前に立った。


「ごめん」


 口を開こうとする前に、アエリが頭を下げた。 

 

「私も、嫌いって言ったのは、その、ごめん……。でも、ずっとついてきて話しかけてくるのは、嫌い」


 アエリはゆっくりと頭を上げた。


「そしたら、話していいって聞くようにする」


 なんだかそれは変な話だとも思ったが、オリビアは小さくこくりと頷いた。

 途端、アエリの顔がパーッと明るくなる。本当に変なやつだと思った。無口な少女と話してなにが楽しいだろうか。だがまあ、それは口に出さなくてもいいことだ。


「えーっと、改めてよろしくね。オリビア」


 右手を出される。


「話していいって言ってない」


 そんな親愛を向けられ、オリビアはぷいっと顔を背ける。

 アエリはそれを見て、がくりと肩を落とした。そんな姿に、少しだけかわいそうだと思ったオリビアは、その手を掴んだ。


「でもまあ、よろしく」

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回想 緋色ザキ @tennensui241

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