回想

緋色ザキ

口論

「今日も勝てなかった」


 椅子に腰掛けた長髪黒髪の女性、オリビアは小さくそうひとりごつ。

 夫のアエリと口げんかをして、今日もいつものように負けてしまったのである。

 今日の口論の発端は仕事の話だった。


 オリビアは魔王討伐後に、まわりの人間たちの強い要望もあり、オリビア魔法学院を創設した。そして、その初代理事長となったのだ。

 ただ、理事長といってもお飾りのようなもので、実質的な経営は学長以下一部の人間たちが行っている。そこにオリビアは一切口を挟めなかった。

 だが、別にオリビアもそのことに不満はなかった。オリビア自身、口下手なのもあり、そういった場にいてもとくになにができるわけでもないし、学校運営に明るいわけでもない。

 それもそのはず、この間までただの村人だったのだ。それが魔王討伐によって英雄と呼ばれるようになったが、中身は全く変わっていない。だから、のんびり理事長室で魔道書に囲まれて魔法を研究し、週に数回ほど生徒に魔法の指導を行うというこの生活は嫌ではなかった。むしろのんびりしたいまの生活が気に入っていたほどだ。


 しかし、ふだん生徒の指導に当たっていたケッケーム先生が体調不良で急遽その一週間休むことになってしまった。

 オリビア魔法学院は魔王を打ち倒した英雄オリビアという名前のおかげで創設数年とは考えられないほど多くの生徒が在籍していた。しかし、設立間もないこともあり、教員の数については十分とは言えなかった。他の教師もぎりぎりで授業を回していたこともあり、誰もフォローに入れないという状況に陥ったのだ。

 そこで白羽の矢が立ったのがオリビアだった。

 オリビアは端的に言って暇だった。たまに理事長室でうたた寝をしてしまうくらいには時間を持て余していたのだ。


 そんないきさつにより、その週のみではあるが、オリビアが先生として毎日みっちりと詰まった授業をこなしていくことになった。

 一日目は無難にこなした。オリビアは無口で人見知りではあったが、講義形式の授業については、声が大きくなる魔法が書かれた魔道書を用い、黒板の板書をメインにしつつ、たまに声で補足してというかんじで授業を進めていったのだ。

 実践形式の授業はこれまでも散々やってきたので問題なく運営を行った。


 だが、普段のんびり過ごしていたオリビアが一日中授業を行うのは相当の疲労がともなった。

 家に帰ったところでぐてりと横たわると、そのまま眠ってしまったのだ。次に目覚めたとき、目の前には心配そうな顔をしたアエリがいた。今日、アエリは遅くなるから作り置きしていたご飯を先にオリビア一人で食べる予定だった。


「一体全体どうしたんだい、オリビア?」


 オリビアはことの経緯をアエリへと話した。


「そうだったのか。それは大変だったね」


 アエリはオリビアの頭を優しく撫でた。アエリは細見だが、案外手はがっしりとしていて、非常に安心感を覚える。


「じゃあ、ちょっと遅くなったけど二人で夜ご飯を食べようか」


「うん」


 魔道書を魔法で手元に呼び出すと、火の魔法を使い、鍋を温め直す。

 すぐにぐつぐつと音を立て、香ばしい匂いが鼻をくすぐる。温め直した鍋と肉やサラダ、チーズを机の上に並べた。

 それから二人で机を囲んで、のんびり話しながらご飯を食べる。

 しばらくすると、アエリが思い出したように口を開いた。


「あっ、そうだ。オリビア。今週末は三日間くらいオリビアが食事当番だったと思うけど僕が変わるよ」


 食事当番とは、文字通り夕食を作る担当である。オリビアもアエリも料理はそこそこ得意なため、二人の仕事の予定なども鑑みながら持ち回りで行っていたのだ。とはいえ、商人をしているアエリの方が忙しいためこれまでは基本的にオリビアが作ることが多かった。


「嫌だ」


 オリビアは即答した。

 アエリはそれに怪訝な顔をする。アエリがオリビアを心配していることは分かっている。だが、オリビアもこればかりは譲れなかった。オリビアは料理が好きだったし、なにより自分の作ったものをアエリに食べて欲しかった。

 アエリに料理を振る舞い、一緒に食べることがなによりも楽しみだったのだ。


 そこから口論が勃発した。

 アエリはオリビアが心配なことを説いてくる。オリビアは料理を作りたい気持ちをアエリへぶつける。


「たしかにオリビアの気持ちは分かった。でも、今日みたいにくたくたで帰ってきて料理が作れるの?」


 最終的にそんなアエリの言葉が決まり手となり、オリビアは敗北を喫したのだ。

 そして冒頭にいたる。

 アエリはちょっと出てくると言って、外に行ってしまった。二人で言い合いをしたときは基本的にどちらかが席を外してクールダウンの時間を作るというのが暗黙の掟となっていた。

 今日のオリビアは疲れていたためアエリが席を外したのだろう。そういうところが好きだなと思った。けれども口論はまた別の問題だ。悔しさで心の中はもやもやしている。


 これで幾度目の喧嘩の敗北だろう。アエリとは数え切れない数の喧嘩をこれまでしてきた。そして、ほとんどオリビアの負け戦だった。たった一回、あのときを除いては。

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