恋人以上友達未満

第16話 警部の怪盗講座(1)

「君は怪盗エニーを知ってるかい?」


 自販機でお茶のボタンを押した瞬間、井原いばら警部が突然聞いてきた。


「あー、名前は知ってますよ。あとは、数年前に姿を消したというくらいですかね」


 僕は交番勤務だったが、最近ここに配属された。怪盗なんて今まで関わることもなかったから、記憶に残ってるのはそれくらいなのだ。


「そうか。ここで働くなら知っておく必要があるねぇ」


 僕が配属されたのは、警視庁組織犯罪対策部国際犯罪対策課。

 別に希望してたわけじゃないが、外国人が関与していた事件を解決に導いたことで、適性があると判断されて今に至る。


「数年も姿を見せないならもう引退したんじゃないですか? 今さら知ってもという感じがしますけど」

「俺もつい最近までは引退したと思ってたんだけど、ちょっと怪しい人物を見つけてね。もしそれがエニーだったら、すぐに対応できるように知っておいたほうがいいからさ」

「なるほど」


 もしそれがエニーじゃなく、さらにはとっくに引退してたとしたら、ただただ時間の無駄になるだけだ。

 それでも、新参者だから断る理由はない。


「じゃあ今から会議室で話そうか」

「はい」


 会議室を使う必要があるのかは疑問だが、広い署内に早く慣れるにはちょうどいい。



 会議室に着いたあと、井原警部はホワイトボードの前に立って話し始めた。

 僕は見やすい席に座った。


「えー、今から怪盗エニー講座を始めます。気になることがあればその都度質問してくれていいからね」

「分かりました」

「んじゃまず、怪盗エニーがなぜエニーと呼ばれてるか」


 井原警部の言い方からすると、自分で名乗ってるわけじゃないらしい。


「どんな人にも変装する。どんな場所にも出現する。どんなものでも作り出す。どんな状況でも盗み出す。こういういろんな、つまりanyがあることから、そのままエニーと呼ばれるようになった」

「分かりやすいネーミングですね」

「最初に呼び始めたのはアメリカかイギリスのどっちからしいが、まぁそこはどっちでもいいよね」

「あはは……」


 それで争いが生まれなきゃいいけど。いや、くだらないことでいがみ合う世界だ。希望は持たないでおこう。


「今出した四つの例が主な部分だから、それを順々に説明していくよ」

「はい」


 これは長丁場になりそうだな。


「まずは、どんな人にも変装する。これは特定の人物になりすますわけじゃなくて、そこらにいそうな誰かになるんだ。それもあってか、エニーは年齢・性別・国籍そのすべてが不詳。おまけに体格も分からんのよ」

「年齢と性別と国籍が不詳なのは分かりますけど、今まで対峙してきて体格が分からないんですか?」


 まずい……今の言い方は失礼だった。

 そう思っていたら、井原警部が笑った。


「まぁそう思うよねぇ。でも、エニーはレベルが違うんだよ。声色は大人から子どもまで性別関係なく使えるし、身長が高くなったり低くなったり、見た目は細くなったり太くなったりするんだ」

「そ、それはすごいですね」

「常にの状態だから、怪盗エニーはこれだというのがないんだよ」

「そういうことですか。特徴がないのが特徴みたいな感じですね」

「うまいこと言うねぇ」


 別にそこまでじゃないと思うけど、まぁいいか。


「じゃあ次、どんな場所にも出現する。日本はもちろん、世界中の国々に現れるんだ。たとえ火の中水の中、そう言っても問題ないくらいほんとにどこにでも出てくる。盗みが終わったと思ったら、もうそこに? なんて具合だから、まさに神出鬼没だね」

「そこまでなんですね」


 最後の部分は瞬間移動のたぐいだろ。ほんとに人間なのか?


「お次は、どんなものでも作り出す。これがエニーがエニーでいられる理由になってるんだけども、そっちの世界でまともに働けばノーベル賞も夢じゃないだろうに、って思わされるんだよねぇ」

「まさか、アニメみたいなことをやってるとか言わないですよね?」


 井原警部が高らかに笑った。


「そのまさかだよ。変装に使う道具でいえば、金属探知機に反応しないボイスチェンジャーと、完全無臭になるスプレーがあるね。他にもいろいろ使ってるだろうけど、本人が教えてくれたのはこのふたつ。あの時は『人間ですから』なんて言われたなぁ、はっはっは」

「な、なるほど……」


 声色を自在に変える能力じゃなくて、それができる自作の機械を使ってるということか。

 完全無臭はおそらく警察犬対策。誰にでもなれるということは、裏を返せば誰でもないということ。つまり、エニー自身を完全に消すためには体臭も気にする必要があるのだろう。

 あくまで人間だからこそ、技術に特化してるってことか……。


 それより、井原警部はエニーと会話するくらいの仲なのか。宿敵と仲がいいってのは、漫画とかによくある設定みたいだな。


「そして最後、どんな状況でも盗み出す。これはまぁ簡単に言うと、どれだけ厳重なセキュリティでもおかまいなしってこと。システムにハッキングするなんて朝飯前で、行動ひとつひとつが想像をはるかに上回ってくるから、普通に警備してても意味がないんだよね」

「僕たちは障害にすらならないってことですか……」


 なんとも悲しい現実だ。世間からすれば、警察はただの引き立て役だろうな。


「とりあえずエニーの由来から派生していろいろ話したけど、何か気になることはあったかい?」

「気になることばかりなので、今は大丈夫です」

「まぁそうだよね。でも、話はまだまだ続くよ」


 井原警部は笑みを浮かべたあと、ホワイトボードに書かれたものをすべて消した。

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