第3話 閑静な住宅街(3)

 イフさんとの電話が終わったあと、娘がリビングに戻ってきてどんな話をしたか聞きたいと言うので、私は簡単に内容を伝えた。


「えー、めっちゃ面白い人じゃん!」

「ちょっと意外よね」

「にしてもロケランって……ヤバすぎ」


 あの冗談は本当に衝撃的だった。声とのギャップがすごすぎて、武器名どおりの威力を発揮していたと思う。

 そんな人が仮の泥棒になって家に来るなんて、今考えてみれば怖いわね。


 その後もイフさんに関して話が広がったが、初日は特に変わった様子はなかった。

 まぁ休日だし、家族もいるし、こんな時には来ないか……。


 *


 それからあっという間に時間は過ぎ、気づけばもう一週間。

 結局、何も変わったことは起きてないような気がする。家族も怪しいと思ったことはなかったみたい。そもそも昼間はほとんど家にいないから、気づくのは難しいわよね。


 考えていても仕方ないので、とりあえずイフさんからの連絡を待つことにした。

 ただ、細かいところによく気づく娘は、何も気づけなかったことを悔しがっている。


「ねぇ、ほんとに何もなかったの? お母さんが一番家にいる時間長かったんだから、なんかしらあるでしょ? 思い出してよ!」


 そう言われてもねぇ……。まぁでも、イフさんから連絡が来るまでは特にやることもないし、暇つぶしになるか。


「じゃあちょっと静かにしてて、今思い出してみるから」

「うん」


 私は些細ささいなことでも普段と違っていたことがないか思い出してみた。



 初日は特に変わったことはなかったはずだから、まずは二日目ね。

 あの日は子どもたちが学校に向かったあと、先に家を出たはずの旦那が戻ってきたわね。なんか忘れ物をしたって言ってたけど、たまにあることだから別に気にするまでもないか。そのあとに私も家を出たから帰ってくるまで何かあっても気づけないし、二日目はここまでね。


 三日目と四日目は本当にいつもどおりで、特に何も引っかかることはないわね。いや、ただ覚えてないだけかも。最近忘れっぽいし。まぁそんなこと言っても思い出せないものはどうにもできないから、次いきましょ、次!


 五日目は、一昨日か……。あっ、そういえば朝からインターホンが鳴ったわね。まぁでもお隣さんが回覧板持ってきただけだから、これも普通ね。


 昨日も特に変わったことはなかったし、やっぱり何もないわよ。本当にイフさんは来たのかしら……。


「どう?」


 いいタイミングで娘が聞いてきたので、私は思い出したことを伝えた。


「うーん、怪しいのは二日目と一昨日ね」

「えっ、なんで?」

「ほんとにお父さんとお隣さんだった? もしかしたら変装したイフさんだったりして」

「そんなわけないわよ……」


 いや、分からない。意識して見てたわけじゃないし、細かく覚えてるわけでもない。旦那が戻ってきたのは確かだけど、すぐに家を出てその時に入れ替わってた可能性もある。お隣さんも普段話すわけじゃないから、回覧板を渡されたあとにってこともあるかも……。えっ、もしかして娘の言うとおり?


 私がそう思っていたちょうどその時、スマホに着信が入った。イフさんだ。

 まったく、なんてタイミングなの……。

 私は電話に出て、娘も聞けるようにスピーカーをオンにした。


「里崎さま、この一週間ご協力いただきありがとうございました。予告どおりに盗むことができましたので、そちらの報告をさせていただきます」

「お願いします」

「まず、今日までに何か気づいたことはありますでしょうか?」

「……いえ、特には」

「そうですか」

「やっぱり何か気づかないと防犯上ダメですよね……」

「確かにそうですが、私は金目かねめの物を見つけようと必死になるわけではないので、気づく人のほうが少ないです。ですので、そこまで心配する必要はありませんよ」

「はぁ」

「ちなみに、盗んだものは明日ご自宅に届きますのでご安心ください」

「あっ、はい」

「依頼料の案内も一緒に入っていますので、確認をお願いいたします」

「分かりました」


 何が盗まれたかは明日のお楽しみってわけね……。盗んだ方法は教えてくれるのかしら。

 私は恐る恐るイフさんに聞いてみた。


「簡単に言うと、二階にある娘さんの部屋の出窓が開いていたので、そこから入りました」


 もう、しっかりしてよ!

 表情でそう伝えると、娘は「灯台下暗し」と紙に書き、笑いながら見せてきた。

 あのねぇ……。


「いつも言ってるんですけど、たまに忘れちゃうみたいで……」

「単純に危険ですし、見つかる可能性も高いので、二階はあまり心配ないと思います。ただ、身軽な人は選択肢に入れるので、気をつけたほうがいいですね」

「はい……」


 あっ、でもわざわざ二階から入ったってことは、玄関の二重ロックは効果があったってことよね? よかったぁ……。

 私は一応確認してみた。


「はい、とりあえずは大丈夫だと思います」

「と、とりあえず? なんか懸念点があるような言い方ですけど……」

「普通の泥棒なら時間がかかるので諦める確率が高いのですが、私のレベルなら簡単に解錠できるので……といっても、そんな人が現代にいるとは思えませんが」

「はぁ」


 イフさんの泥棒スキルはそんなにすごいのね。さすがは元セキュリティ会社の社員さんと言ったところか。

 私が感心していると、イフさんは話をまとめに入った。


「閑静な住宅街での空き巣というのは意外と難しいものです。静かな場所では小さな音でも響いてしまい、誰かに聞かれる可能性もありますから。つまり、そこを狙う泥棒は隠密おんみつ行動に自信があると言えます。里崎さまのご自宅が狙われるかどうかは分かりませんが、できる限りの対策をしていただくようお願いいたします」

「はい、分かりました」

「これにて私の仕事は完了です。この度は仮泥棒のご利用、誠にありがとうございました。機会がありましたら、またよろしくお願いいたします」

「ありがとうございました」


 電話を切ったあと、私は深いため息をついた。

 いろいろ考えさせられたわね……。


「ねぇ、盗まれたものってなんだと思う?」


 娘は悔しい気持ちなどすっかり忘れているようで、笑いながらそんなことを言ってきた。

 あんたねぇ……。

 前までの私ならそう言っただろうけど、今の私は違っていた。


「なんだろ……ちょっと楽しみね」


 仮泥棒という今までにない体験をしたことで、心の中で眠っていた何かが解き放たれたのかもしれない……とか言ってみる。



 ——翌日。


 盗まれたものが自宅に届いた。想像していたよりも少しだけ大きな箱に入っていたのは……体重計だった。

 そういえば最近量ってなかったわね……じゃなくて! なんで体重計? 他に盗みやすそうなものはいくらでもあるのに。


 一緒に入っていた依頼料の案内には、振り込み先の口座と支払う料金が記載されていた。

 このシンプルさはあのホームページと同じね。


「あっ、届いたんだ! どれどれ……ぷっ、あははははー」


 体重計を見た娘は思いもよらなかったようで、涙目になりながら笑っている。反応が薄い息子も少しだけ口角が上がっていた。

 旦那を見てみると……うそ、笑ってる!? あの人の笑う顔を見たのはいつぶりかしら。イフさんにはいつかちゃんとお礼がしたいわね。


 ここ数年で一番いい雰囲気になっていたので、そのままリビングで自分たちの体重を量り、あれこれ言い合った。そのときの私たちは、まるで魔法にでもかかったように柔らかい笑顔だった。

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