第2話 閑静な住宅街(2)
「まず、私が侵入するのは里崎さまのご自宅で、住所は東京都練馬区——でお間違いないでしょうか?」
「はい、大丈夫です」
「次に連絡先ですが、私から連絡するときはこちらの電話番号で問題ないでしょうか?」
「はい、大丈夫です」
依頼フォームには入力欄がいくつかあり、必要事項は名前と侵入先の住所、それから連絡先と依頼理由だった。
侵入先の住所に自分の家を入力するのはかなり変な気持ちになったけど、ちょっと面白いかもと思ってしまう自分もいた。
これがもし仮泥棒の罠だとしたら……。
私がそんなことを考えていると、
「最後に侵入時の確認なのですが、戸建ては少しだけ面倒な場合がありますので、そのときは小さめのロケットランチャーで壁を壊してもよろしいでしょうか?」
とイフさんが優しい声でおかしなことを言ってきた。
この人は何を言ってるの? よろしいわけないでしょ!
私はそう思いないがらも、聞こえなかったふりをして「今なんと?」とだけ言った。
近くで聞いている子どもふたりは、心配そうな顔で私を見ている。
「すみません、冗談です」
冗談の規模がすごすぎる。本当にこの人に依頼してよかったのかな……。
「で、ですよねっ。急にどうしたのかと、ひやひやしましたよ」
「里崎さまが緊張されているようでしたので、少しだけふざけてみました」
「そんな落ち着いた声で言われたら本当だと思っちゃいますよ!」
「失礼いたしました」
私は軽く息を吐き、子どもたちにオーケーマークを出しながら笑顔を見せた。
娘はホッとした顔をしている。息子の表情もどことなくそんな感じだ。
ふたりは顔を見合わせて少し笑い、リビングから出ていった。
「でもイフさんがふざけるような人だとは思わなかったので、逆にちょっと安心しました。もしかしたら女性だったというのもあるかもしれませんが」
私がそう言うと、少しの間があってからイフさんが口を開いた。
「私は自分が女であるとは言っておりませんよ?」
「あっ、すみません! 素敵な声でしたのでてっきり女性かと思ってました」
慌ててフォローしたけど、気を悪くしてないかしら……。
それにしても、こんなに綺麗で優しい声をした男の人もいるのね。
「いえいえ。ただ、私は男であるとも言っておりません」
「……へっ?」
どういうこと? 結局どっちなの?
私が返答に困っていると、耳元で「ふふっ」と笑うのが聞こえた。
「里崎さまが私の性別を気にする必要はありませんよ。泥棒が男か女かなんて関係ありませんから」
「……確かに、そうですね」
言われてみれば単純だった。仮とはいえ、イフさんはできる限り本物の泥棒に近づけようとしているのだ。それが仮泥棒という仕事だから。
「依頼の確認については以上となりますが、何か聞きたいことはありますでしょうか?」
私は依頼ボタンを押す前に気になっていたことを聞くことにした。
「はい。依頼する前に確認していただきたいことに記載されていた『依頼料は総合的な判断』というのは、具体的にどれくらい用意すればいいのでしょうか?」
「そうですね……今回は一万円以下で済むかと思います」
「あっ、そんなに安いんですね」
「いつも驚かれます」
イフさんが笑顔で言っているのが伝わってくる。
あまり詮索はしないでとも書いてあったけど、さすがに聞きたい……。
「あのぉ……
恐る恐る聞いてみると、またも笑い声で耳をくすぐられた。
「お金に困っているわけではないので大丈夫ですよ」
「……そうなんですね」
元々セキュリティ会社に勤めてたって書いてあったけど、そんなに稼げるのかしら。気になる……。でもやめとこ。
ただ、ひとつだけイフさんにアドバイスしておきたいことがあったので、それは伝えることにした。
「すみません、聞きたいことではないのですが、依頼料に関してはもう少し分かりやすく記載されたほうがいいと思います。あれだとちょっと依頼しにくい気がしますし……」
できるだけトゲがないように言ったけど、言わないほうがよかったかな?
「すみません、あれは意図的に分かりにくくしています。というのも、仮泥棒は私ひとりですので、依頼がたくさん来ても手が足りないのです」
「あっ、そういうことでしたか。余計なこと言ってすみません」
「いえ」
お金に困ってないんだから人を雇えばいいじゃないと言いたくなったが、それは喉元に来たところで飲み込んだ。
これ以上深入りするのはよくないものね……。
私は聞きたいことがもうないことをイフさんに伝えた。
「かしこまりました。最後にお伝えしておくことがあります」
「なんでしょう?」
「盗みに伺う前に、数日だけ下見をさせていただきます」
「下見……ですか?」
「はい。実際の泥棒も下見は必須ですから」
「あっ、なるほど……」
何も準備しないで人の家に入るおバカさんはいないか。いや、今の時代ならいそうだわ。
頭の中に最近のニュースが流れ込んできたが、とりあえず見て見ぬふりをした。
「それと、盗む前に予告しますが、警戒せず普段どおりでいてください」
「普段どおり?」
「はい。普通は泥棒がいつ来るか分からないので」
「あー、確かにそうですね」
「それでは、下見が終わりましたらまた連絡いたします」
「分かりました」
ここでイフさんとの電話は終わった。
はぁ、なんだか疲れたわ。
——数日後。
私のスマホに着信が入った。画面には仮泥棒のイフさんと表示されている。
下見が終わったんだ……。
「もしもし」
「里崎さま、たいへんお待たせいたしました。下見が済みましたので、今日から一週間以内にご自宅に侵入し、ちょうどよさそうな何かを盗みます。ただ、下見の前にもお伝えしましたが、警戒せずに普段どおりでいてくださいね」
「分かりました。よろしくお願いします」
さて、ここから一週間、どうなることやら……。
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