第三章 鴉は舞い降りた 6

 また一件、家屋がガラガラと瓦の落ちる音を立てながら倒れた。


 狂想曲は第二楽章へと入り、盛り上がり始める。


 黒檀と月白は骸の折り重なる真ん中で、次々と現れる刺客と戦い続けている。

 月白の動きには目を見張るものこそあったが、それも最初だけだった。


 彼女は拍を外せるのだ。

 気になっていた違和感の正体は、ただそれだけであった。


 つまり人間が動く際には常に予兆があり、全体はいくつかの拍子で表せる。

 例えば剣を振るなら、重心を整え、剣を引く、重心を移動させ、全身で拍を打ちつつ振る。

 この拍子が綺麗に揃うと剣戟の威力はいや増す。

 鎧ごと敵を叩き切るような場合には重要な要素だ。


 だが銃の普及で鎧は廃れた。

 銃弾を防げるほどの鎧では重すぎて身動きがほとんど取れないので、いっそのこと軽装にして機動力を上げる方が良いとされたからだ。


 鉛丹が得意とした一拍の斬撃は時代遅れになった。

 月白の動きはそのような新時代に適応したものだ。

 軽装の相手に拍を外した拍子の浅い攻撃で手傷を負わせ、徐々に有利を取る。

 そのような戦法だ。筋力で劣る女子どもの戦い方だった。


 初見であれば不意を打たれることもあろう。

 来ると思っていない拍子に刃が差し込まれれば手傷は負う。


 だがもう識った。

 覚えた。不意はない。月白は問題ない。障害にもならない。

 単なる得意技を一つだけ持った小娘だ。

 すでに息が上がっている。すぐに月白は黒檀の枷になる。


 問題はやはり黒檀であった。

 真っ当に強い。さらに継戦を意識して戦っている。

 先の見えない戦いを続けることに慣れている。


 ああいう輩は偶にいるのだ。

 その手の輩にどうやって戦意を保っているのだと聞いてみると「ここらにいる生きている者をすべて斬れば仕舞いであろう?」等と訳のわからないことを答えてくるのだ。

 少なくともそういうつもりで戦っている。

 常にその配分で力を抑えて戦っている。

 それどころかこの状況下で動きは最適化され、鋭さを増していく。


 学習し、成長しているのだ。

 この領域で、この年齢で、まだ!


 黒檀は斬るべき復讐の対象だが、鉛丹にとっては学びも多い相手であった。

 状況が、立場が違えば剣を競う友になれたであろうか?

 わからないが、それは起こらなかった過去であり、今である。

 そして未来では斬ると決めている。


 埒が明かないと見たか、破落戸どもの中には銃を手にした者が混じり始めた。

 火災現場に銃を持ち込むというのは阿呆のすることだが、所詮は破落戸だ。

 阿呆なのだ。

 そして阿呆の前では、真っ当な者ほど割りを食う。


 黒檀は斬った者の身体をうまく盾にして銃撃を凌いでいるが、その意識は半分ほど月白を守ることに割かれている。

 明らかに動きから精彩さが失われた。

 黄都で出回っている銃は大半が旧式で、その有効射程は三十メートルほどだ。

 走っても五秒と掛からず到達できるが、銃弾を再装填するのは止められない。


 つまり撃たれてから斬るまで最速でも二回の射撃を躱さなければならない。


 まあ実際のところ銃というのは狙ったところに弾が飛ぶというものでもない。

 空気という分厚い壁にぶつかり続ける弾丸は思わぬ方向に曲がるからだ。

 有効射程というのは、比較的銃弾の行く先がばらけない距離であり、結局のところ余程の至近距離でもない限り、銃は撃つ側も撃たれる側もお祈りすることになる。


 だがそれも一対一での話だ。


 銃の有効性に気付いたのだろう。

 銃手の数が増えていく。

 二回避ければ斬れるという前提は崩れる。


 黒檀の判断は早かった。

 身動きが取れなくなる前に包囲網から逃げたのである。

 破落戸の銃手たちは黒檀を囲むように動いていたが、一か所だけ囲めなかった方向がある。

 火災の起きている建物の方向だ。

 すでに倒壊し、火の勢いは衰えていても、銃を持って立ち入ることはできない、そのような場所を選んで黒檀たちは飛び込んだ。


 それにしても粘ったな。と鉛丹は思う。

 黒檀たちは黄都にさほど思い入れも無いはずだ。

 さっさと逃げる判断をしても良かったのではないだろうか?


 そう考えながら黒檀たちの動きを追っていると、彼らが自分たちの住んでいた長屋に入っていくのがわかる。


 戻った?

 荷物などほとんどないはずなのに?


 黒檀たちはすぐに長屋から出てきた。そこで追ってきた破落戸どもと再び戦闘になる。

 銃手ではなく、刀を手にした者どもだ。


 この期に及んでも黒檀の動きは少しも乱れなかった。

 まだ体力が残っているのだ。


 だが月白は限界だ。

 まだ無傷ではあるが、刀がまともに振れていない。


 鉛丹は黒檀の腰に刀が増えていることに気が付いた。

 遠いのではっきりとはわからないが、装飾の入ったものに見える。

 黒檀が香染に語っていた国宝の短刀だろうか?

 実在はしたのかも知れない。でなければ黒檀が黄都にやってきたことの理由がわからない。


 追ってきた破落戸をすべて斬った黒檀は、地面に手を突いて息を整える月白に何か声を掛けている。

 おそらく月白はもう戦えない。

 ここから先、黒檀は月白を守りながら戦わなければならないはずだ。

 となると、そろそろ自分の出番だろう。

 下手に月白が死んで黒檀が自由に動けるようになってしまうと、もう手出しができない可能性すらある。

 月白が生きて、黒檀の枷になっているうちに動くべきだ。


 そう鉛丹が思って櫓から下りようとした時だ。


 黒檀に歩み寄る一つの姿があった。

 火災の迫る中を、悠々と金髪を揺らして歩み寄る女。

 よく見えないが、笑顔を浮かべているのは想像が付く。

 露草は考えていることが顔に出やすい。

 必要があれば隠すのだが、そうでない時は考えていることが丸わかりだ。


 黒檀と露草が何かを会話しているが、内容まではわからない。

 露草が歩みを止めることはなく、両者の距離は近付いていく。

 そして刀の届くそのわずかに手前で、露草は袖から小刀を引き抜き、投擲した。

 洗練された無駄の無い完璧な攻撃であった。


 飛翔する刃が黒檀と重なり、通り抜けた。

 鉛丹にはそう見えた。


 外した?


 いや、違った。

 小刀は黒檀の後ろ、わずか五メートルほどまで接近していた破落戸の銃手に命中した。

 黒檀を狙って放った小刀が、偶然その後ろにいた、黒檀を狙っていた男に当たるなどあり得ない。

 つまり露草は初めからその男を狙って小刀を投擲したのだ。


 なるほど。

 露草は狂人なのでその思考を読み切ることは難しいが、彼女は彼女の愛しい男を自ら殺すことに拘る。

 横から邪魔をされそうだったので殺した。

 十分に考えられることだ。


 黒檀と露草は再び何か会話をしている。

 月白が露草の傍に移動した。


 鉛丹は眉根を寄せる。

 違和感というより不快感があった。

 露草から月白に近付き、人質に取るというのならわかる。

 だが月白から露草に歩み寄ったように見えた。

 どういうことだ? 何かがおかしい。


 そして露草はその場を去った。月白を連れて。黒檀をそのままに。


 あり得ない。露草は自分の愛した男を殺すためなら、組織に金を払ってでも横やりを入れてくる。

 そのような露草が黒檀を殺せる絶好の機会を見逃すはずがない。

 しかも月白を連れてこの場を脱出するなど。

 これでは黒檀が自由に戦えるようになる。

 まるで黒檀に生きていて欲しいというような行動だ。


 黒檀と露草には面識がある。

 情報収集のために手駒を使い小芝居まで打って、露草を黒檀に近づけたからだ。

 その結果、露草は黒檀を殺害したいと思うようになった。

 そう露草は態度で示していたし、鉛丹もそれを信じていた。


 だが違った?


 一つだけはっきりしているのは、露草が裏切ったことだ。

 黒檀を殺す手筈だったのに、黒檀を救い、この後も死なないように手を貸した。


「露草ァ!」


 思わず鉛丹は絶叫した。

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