第三章 鴉は舞い降りた 4
その後、鉛丹は黄都内で押し込み強盗を行い刀と銭と命とを奪うと、そのまま東へと脱出した。
状況から考えると戦場から離れるべきだと思ったからだ。
野盗紛いのことをしながら、というか野盗そのものになり、やがて港湾都市である碧浜に辿り着いた。
牢獄で知った符丁を使い、碧浜を牛耳る裏組織と接触を持ち、その一員となった。
組織に名は無い。
他の組織と区別するときは碧浜の組織とだけ呼ばれていた。
鉛丹はほんの末端に過ぎず、薬物の運びと、貸金の取り立てが主な業務であった。だが、すぐに頭角を現した。
彼には暴力への躊躇が無かった。
殺しへの忌避感が無かった。
常人であれば覚悟をしてからでなければ、人は斬れない。
だが鉛丹にはそれが無かった。
彼はまるで食肉を切り分けるかの如く、生きる人を斬った。
そのうちに鉛丹には人を斬るような仕事が回ってくるようになった。
そして鉛丹はそれらを易々とこなした。
やがて鉛丹の名は碧浜のみならず煌土国の裏社会で知られるようになり、碧浜以外からも依頼が来るようになった。
鉛丹は求められれば何処にでも赴いた。そして斬った。
やがて組織も鉛丹の功績を無視できなくなった。
組織は彼を幹部に引き上げ、暗殺専門の部門を立ち上げようと考えたが、鉛丹は幹部への昇進を断わった。
何故ならその頃にはもう魔王動乱期が終わり、新たな平和の時代が始まっていたからだ。
勇者は魔王と和睦を交わし、七大種族は魔族――蜥蜴族を加え八大種族へと改められた。
その後に勇者は旅を終え、隠遁した。
彼が何処へ行ったのか、誰も知らない。
鉛丹はあの少年の消息も追ったが、勇者が魔王と和睦した時にはもう同行していないことが分かっただけだった。
鉛丹の行き場を失った復讐心は燻った。
ぶすぶす、ぶすぶすと燃え燻った。
残された復讐の対象は煌土の国であり、黒将軍であり、民であった。
彼の中には計画があった。
黄都の裏組織それぞれに通じ、お互いにそれと知らずに一気に火を放たせるというものだ。
制御不能の大火は黄都を大混乱に導くだろう。
何もかもが焼け落ちるに違いない。
それをしなければ鉛丹の人生は始まらないのだ。
彼の心はいまだあの勇者に弾き飛ばされた瞬間に取り残されてしまっていた。
過去を乗り越えなければならない。
強い意思と、現実的な計画がそれを可能にする。
鉛丹はそう信じていた。
しかし準備が整う前に大陸西側の情勢がきな臭くなり、ついには一部の猿族による蜥蜴族への反発から砂漠での小競り合いが始まった。
これに狼族と象族が介入、二種族は蜥蜴族側に付き、大陸全土が戦禍に巻き込まれていくことになる。
先の魔王動乱期とは状況が違った。
蜥蜴族の技術は他種族へと伝播しており、此度の戦では両陣営に火器があった。
剣が駆逐されるほどではなかったが、明確に戦争の在り方は変わった。
人は以前よりもずっと簡単に死んだ。
ばたばたと、ごろごろと、戦場には肉塊が転がった。
組織に所属している人員にも赤紙が届き、次々と戦場へと送り込まれていった。
鉛丹には戸籍が無かったので、赤紙が届くことはなかった。なかったが、組織の幹部子弟に届いた赤紙の身代わりとなって戦場に行った。
殺して、殺して、殺して、殺した。
いざ戦場で戦ってみれば、何故志願しなかったのかを疑問に思うほど鉛丹には馴染んだ。
銃の扱いもすぐに習熟した。
彼には自覚のあった通りに才があった。
殺しの才が。
蜥蜴族を斬った。狼族を撃った。象族を追い込み、焼き殺した。
現地昇進を繰り返すうちに、身元を検められ、身代わりであることが発覚した。
だが、軍は鉛丹の才能を手放さなかった。
血に染まった勝利が積み上げられ、猿狐鴉の連合軍が勝利した。
鉛丹の功績は少なくなかったが、実態は鴉族による航空爆撃が情勢を決定づけた。しかし鉛丹はそれを自分の力だと信じた。
初めて何者かになれたと感じた。
ここを始まりにしてもいいのだと思った。
軍に残り、敵を殺し続けるのだ。
だが戦争が終わってしまえば殺す敵などもはやおらず、軍は鉛丹を捕らえた。
必要の無い虐殺、必要の無い拷問などの罪で焼き印を入れられ、投獄された。
軍は自分の才覚を恐れたのだ。と鉛丹は信じた。
やはり他人を信じるべきではなかった。
復讐を果たさなければ何も始まらないのだ。
終身刑を言い渡されていたが、幸いにして碧浜の組織が鉛丹の身柄を引き受けるべく、国と取引を行った。
鉛丹は幹部子弟の身代わりとして徴兵されたのだ。彼を救わなければ、組織としての求心力に傷が付く。
だが鉛丹は自分の殺しの技術が組織に必要だったからだ、と思った。
戦争は終わったが、終わったからこそ、組織の介入できるような仕事が山のようにあった。
鉛丹はまるで国への恨みを晴らすかのように、依頼された殺しをこなした。
敗戦国の戦災孤児を誘拐し、売り払った。売れなかった子らを組織で飼うことにした。
気が付けば鉛丹は老いていた。
準備は整いつつあったが、人生を始めるにはもう遅すぎるのだと気が付いた。
そこで後進を育て始めた。
連れ合いも、子どももいない鉛丹にとっては組織で育てられている未来の暗殺者たちこそが自らの技術を伝える相手だった。
彼らはすくすくと鉛丹の技術を吸収して育ち、卒業試験を経て一人前の暗殺者となっていった。
彼らが活躍するようになったので、鉛丹に来る依頼は減った。
鉛丹は後進を育てながら、監獄の構成員たちを見張るのが仕事になった。
このまま老いて死ぬのだろうと鉛丹は思っていた。
そう、勇者が失われたとだけ言い残したとされる“宝玉”捜索を組織から命じられるまでは。
鉛丹はすぐに分かった。
組織がこの任務を命じたのは鉛丹だけではない。
むしろ自分は予備の計画なのだろう。
本命は別にいるか、いくつもいる。
鉛丹は後進を育てるうちに自分の才覚の限度に見切りを付けていた。
戦いでは狼族に敵わない。
狡猾さでは狐族に敵わない。
だが幸いにして鉛丹には計画のために広げた目と耳と手があった。
宝玉を求める者たちから情報を掠め取り、その行方に当たりを付けた。
宝玉が最後に確認された時には勇者一行にいて、その後姿を消した者がいる。
その人物は名が黒檀で、猿族の青年だったそうだ。
記憶を探れば、あの時の少年は黒将軍から黒檀の名を与えられたと牢獄で聞いたことがあった。
ともすれば少年が勇者から“宝玉”を与えられたか、奪った可能性がある。
それならば一石二鳥というものだ。
鉛丹は期待しすぎないように自分を律しつつ、自分の育てた暗殺者たちと共に行くことにした。
その結果として鉛丹が手塩に掛けて育てた狼族たちはたちまちのうちに返り討ちにあった。
笑ってしまうくらいに見事に。
呆れてしまうくらいに鮮やかに。
もはや疑う余地はなかった。
あの少年は戦いを知らなかったが、勇者と共に数多の戦いを潜り抜けた結果、鉛丹よりも強くなったのだ。そう認めるしかなかった。
そして鉛丹が黄都に用意していた駒の一つである香染が黒檀の来歴を暴き出した。いま鉛丹が追っている男こそが、あの黒檀で間違いない。
勇者に選ばれた猿族の少年。
鉛丹が復讐するべき相手。
もう自分を律する必要は無い。
鉛丹は歓喜した。
まだ終わってはいなかった。
今からでも始められるのだ。
人生は諦めさえしなければ、いつからでも始められるのだ。
香染は順当に失敗した。
そうだ。その程度の困難を切り抜けられない男であっては興醒めというものだ。
通過儀礼とは困難を乗り越えることにこそ意味がある。
そうして人は新しい自分へと生まれ変わるのだ。
鉛丹自身の経験ではなかったが、暗殺者を育て上げる中で幾度も見てきた光景だ。
より大きな困難を乗り越えた者こそが、そうではない者を圧倒する実力に成長する。
だからこそ彼を殺すことで鉛丹はより成長できる。
そのために用意していた手札だ。
すべて惜しみなく使おう。
準備は何一つとして無駄にならなかったのだ。
金を撒いた。
恩を売った。
病を持ち込んだ。
毒を使った。
家族を殺した。
復讐の手伝いをした。
ありとあらゆる手練手管を使い、鉛丹がばら撒き続けてきた悪意は今こそ芽吹く。
黄都で鎬を削る組織たちが、誰からも認められる善人が、誰も寄りつかない破落戸が、もしくは何でもない普通の人が、今夜誰もが火を手にした。
ポツポツと夜空を照らし始めた火が、鉛丹の篝火であった。
それを標にようやく始まるのだ。
鉛丹の輝かしい人生がようやく始まる。
時間と共に勢いを増す炎が未来を明るく照らし、鉛丹を祝福しているかのようだった。
「ハハ――、ハハハハハハハ!!」
鉛丹は哄笑する。
とうの昔に忘れていたと思っていた歓喜がわき上がる。
彼が見たいのはこの光景であった。
彼が計画していたのはこの大災害であった。
見よ! この夜天を照らす地上の業火を。
恐れよ! 鉛丹という男の執念の行き着く先を。
物見櫓の上で、自ら殺した誰かを踏みつけ、燃え上がる黄都を前に、鉛丹は心の底から笑い声を上げた。
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