第三章 鴉は舞い降りた 2

 かつてこの世界は魔王によって脅かされていた。


 ことの起こりは大陸の南西、砂漠の広がる不毛な土地にて異形の種族が発見された時にまで遡る。


 彼らは明らかに文明を築いており、この大陸に住まう第八の知的種族である可能性があった。

 そこで各種族は合同で使者を現地に送り込んだ。

 彼らを人類の輪に組み入れようという善意の取り組みであった。

 しかしながら交渉は決裂する。


 使者の半数は誘い込まれ惨たらしく殺され、残りの使者が彼らとの会談を行う際の食事として提供された。


 この事実をもって、七大種族は彼らを魔族と呼称することを決め、連合軍を結成して魔族を滅ぼすために砂漠地帯に攻め入った。


 そして容易く返り討ちにあった。


 七大種族の首長たちが想定していたより遙かに魔族は数が多く、知的で、技術的に進歩していた。

 七大種族が用いていた鉄をも超える鋼を持ち、火薬による砲を用い、連合軍を跳ね返した魔族は当然の結果として反攻を開始した。

 瞬く間に砂漠に近い国が幾つか滅んだ。


 なんとか逃げ延びた人々から驚くべき情報がもたらされた。

 魔族は種族を問わず、子どもを好んで食うというものだ。

 そこで各国は子どもたちを優先的に避難させながら、撤退戦を繰り返した。


 ひとつ。


 ひとつ。


 ひとつ。


 気が付けば無数の国が消え去っていた。

 もはや人類の西方とは大陸中央部を指す言葉になった。

 だが人類は失うばかりではなかった。


 捕らえた魔族から、女王、つまり魔王の存在を知った。

 狐族の受けた神託から、鴉族の勇者を見出した。


 魔族は魔王に絶対的に従う。

 よって勇者を送り込み、魔王を討伐すればこの戦いは終わる。

 失地回復も可能だ。


 絶望に光が差した。


 各国が勇者に支援を申し出た。

 資金を、武具を、戦力を。

 その対価として勇者は各国を回った。

 彼は鴉族なので、易々と世界を回れた。

 そして巡った各地で人々を鼓舞して回り、一方で仲間を集めていった。


 その勇者が煌土国を訪れていると聞いて、鉛丹は朝からそわそわしていた。

 彼はまだ幼い少年であったが、腕っ節では大人にも負けない。


 勇者の仲間に選ばれるだけの資質はあると自負していた。

 幼い少年の脳裏では、自分が勇者に並び立つ英雄になる未来図が描かれていた。

 自分は何にもなれない一般人とは違う、特別であるという自信があった。


 鉛丹の家は規模の大きい商家で黄都の中に屋敷が幾つかあった。

 鉛丹は本邸ではない別邸で暮らしていたが、それをとくに疑問にも思っていなかった。

 使用人達は彼に傅いていたし、望むものは大抵の場合、手に入ったからだ。

 実家の商家もいずれ自分のものになると信じて疑っていなかった。


 勇者は城の広場にて集まった腕自慢達の実力を確認するらしいと聞いて、鉛丹はさっそく出立の準備をするように使用人たちに命じた。

 慌ただしく使用人たちが準備に走り回る中、乳母の水柿が鉛丹に声をかけた。


「私もご一緒してよろしいですか? お坊ちゃま」


「ばあやが?」


「ええ、お坊ちゃまが勇者様のお仲間に誘われるところを拝見したいのです」


 乳母なのだから当然なのだが、水柿は鉛丹の性格をよくわかっていた。

 自尊心をくすぐられれば鉛丹は断わらない。


「わかった。オレの舞台が始まるのを特等席で見せてやる」


 そして鉛丹は水柿を伴って黄都の城に向かった。

 聞いていた通り、本日は城の門が開放されていて、腕自慢に来たわけではない民衆も物見に入れるとのことだった。


 黒将軍が国民の支持と戦意を維持するのに苦心しているのがわかる。


 城内は人だかりで大盛況だった。

 庭には縄で仕切られた空間があって、そこで武芸者が順番に自分の技を披露しているそうだ。

 鉛丹は自分の順番が回ってくる前に決まってしまっては困ると、さっそく武芸者の列に並ぼうとした。


「お坊ちゃま」


 鉛丹に水柿が声をかけたが、もう鉛丹には前しか見えていない。


「心配するな。ばあや。オレの勇姿を目に焼き付けるのだぞ」


 そう言って水柿を振り返りもせずに鉛丹は列の最後に並んだ。

 列に並んでいるのはいずれも屈強な体付きの男たちだ。

 まだ肉体的に成長しきっていない鉛丹は悪目立ちしていた。


 だが好奇の視線も鉛丹には心地良い。

 お前等が奇異の目で見つめた子どもが今から勇者に選ばれるのだ。


 列はゆっくりと、だが確実に進んだ。

 勇者が誰も選んでいないのか、あるいは全員を見てから判断するかのどちらかなのだろう。


「なあ、坊やは何ができるんだ?」


 後ろの男が声を掛けてくる。


「刀を一閃すればそれでわかる」


 迷いの無い物言いに男はわずかに気圧されたようだった。

 からかうつもりだった子どもが、迷いの無い言葉を返したからだ。


「あ……、恐ろしくないのか? 魔族は子どもを食っちまうらしいぞ」


「知らんのか? 魔族は子どもでなくとも食う。ただ子どもが好みだというだけだ。お前も選ばれたら魔族に食われるかも知れんぞ」


「そ、それは……」


 いま国内に残っている大人の男は、どんなに腕が立つとしても徴兵から逃れた者たちだ。

 戦う意思の無かった者たちだ。

 このような者たちが勇者に選ばれるわけがない。


 鉛丹は安心すらしていた。

 このような者たちと自分とでは比べるまでもないと思ったからだ。


 列は進む。もう少しで広場に入る、というところで動きが止まった。

 少し待ったが広場の方が騒がしい。何かが起きたのだ。


「ちょっとどけ!」


 鉛丹は列を無視して広場の方に向かった。

 他の男たちも鉛丹の動きに呼応して、列を無視して何があったかを確かめるべく広場へと向かう。


 ひしめき合う男たちの向こう、広場の中央には鴉族が立っていた。

 普通の鴉族より一回り大きいような気がした。


 であればあれが勇者か。


 そして勇者の目線の先は広場に縄で設けられた空間の外側、物見の人々の方を向いていた。

 鉛丹がその視線を追うと、そこには地面に仰向けにされた老婆と、そのそばに膝を突いた猿族の少年がいた。

 彼は勇者の目線を気にせずに、老婆に何やら話しかけている。

 そこに何人かの医師と思しき荷物を持った男たちが駆けつけた。

 老婆の様子を確認していく。


 そこでようやく鉛丹は気が付いた。


 あれは水柿だ。


 水柿に何かあったのか?

 あの子どもが何かをしたのか?


 鉛丹は人垣を掻き分けて水柿の所に行こうと思ったが、武芸者たちが邪魔で身動きを取れない。


「我は決めた! あの少年を連れて行く!」


 鴉族特有の甲高い声が広場に響いた。

 それは猿族の言葉だったが、鉛丹はその意味が理解できない。


 人々が、物見も、武芸者も、侍たちも、息を呑んだかのように静まりかえった。

 水柿を介抱していた医者ですら動きが止まっていた。


 一言。

 たった一言で勇者はその存在感を強く示した。


 そして人々が聞く姿勢であることを確認すると、勇者は甲高いものの、ゆっくりと誰にでも聞き取れるように続きの言葉を口にした。


「彼は誰もが我や武芸者に夢中になっている中で、その老婆の異変にいち早く気付き、声を掛けた。そして容態が悪いと見ると、直ちに声を上げた。黒将軍や我が観覧している席で、無礼打ちになる恐れもあったはずだ。だが彼はそれを歯牙にもかけなかった。少年よ、その女性は君の連れか?」


 少年は首を横に振った。


「知らない人です。でも具合が悪そうだったので……」


 勇者はその答えを聞いて満足げに頷く。


「医者たちよ。その女性の容体は?」


「心の臓が少し弱っているようです。しかし安静にして薬を飲めば大丈夫でしょう」


「聞いたな。少年。その女性はもう大丈夫だ。こちらに来なさい」


 人々がざわめきながら道を譲り、少年が縄を越えて広場の中央に歩み出る。

 人々の間を通るとき、人々は少年を手で叩いたり、拳を当てたりしているが、どれも優しいものだ。頑張れよと声が聞こえてくるようだ。彼を激励する意味合いの行為だった。


 ようやく鉛丹は勇者が何を言っているのか、その意味を理解し始めた。

 つまり勇者はその少年を選んだのだ。

 実力を見せもせず、よりにもよって鉛丹の身内である水柿の不調を介抱したというただそれだけのことで。


 状況を理解はしたが、納得はまったくできなかった。

 怒りで目の前がチカチカと明滅しているかのようだった。

 理由はわからないが背筋に雪でも入れられたかのように冷たくなった。

 いつの間にか歯が割れるほどに噛みしめていた。

 血が出るほどに手を握りしめていた。


 心の声は止めどなく溢れてきたが、喉から出てくることはついになかった。


 おい、止めろ。

 なぜだ。

 オレが一閃だけ刀を振れば誰もが、勇者だって認めるのに違いないのだ。

 そのような刀を持ったこともないような少年が、何故勇者に選ばれる。

 魔族と戦うために必要なのは力だ。

 何者をも圧倒する武力。

 それが必要なのではないか?


「ボクはただの町人です。刀を握ったこともなければ、人を殴ったこともありません。勇者ネブロン様、ボクが貴方様の力になれるとは思いません。どうか強い人を選んでください」


「少年、強さとはなんだ」


「力が強いことです」


「それは強さの一つであって、強さそのものの答えにはならない」


 ――は?

 鉛丹は意味がわからずに絶句する。

 力があること、それ以外の強さに何か意味があるか?


 頭がクラクラする。

 真っすぐ立っているかどうかも定かではない。


 勇者の言葉は鉛丹の価値観を全否定した。

 それはつまり鉛丹が自らを鍛えた、そのことが勇者にとっては何の価値もなかったということだ。

 怒りが、勇者に対する怒りが蒸気の如く噴き出す。


「よいか、少年。強さとは自分を押し通せることだ。腕力でも、技量でも、知識でも、あるいは心でも、言葉でもいい。他人に委ねないでいられることだ。それを強さという」


「それならなおさら別の人を」


「黒将軍や我の居る前で、そうやって物怖じせず自分の意見を述べられる者がどれだけいる? 女性の異変に気付いた者は? あるいは気付いたとして行動に移せた者は? 君だ。君だけなんだ。我は我が戦う時に君がいてくれれば安心できる。自分の背中や、仲間のことを任せられる。そのような強さが君にはある。共に戦ってくれるか?」


「ボクが勇者様の力になれるのであれば喜んで」


 少年は即答した。


 違うだろ。

 お前には荷が重い。

 断れよ。

 最初断わったそれを押し通せよ。

 なんて生意気なガキなんだ。

 それとも――、このガキはこうなると思って水柿を介抱したのか?

 狙い通りだとその真っすぐな顔の裏側で笑っているのか?

 オレを笑っているのか?

 あざ笑っているんだろう。

 すべて狙い通りに違いない。

 計算の上で行われたのだ。


 もちろん物見に来ていた民衆から具合を悪くする者が現れるとは限らない。それも自分の近くで。

 しかしそのような道理は鉛丹には見えなかった。

 ただただ自分を見てもらえる前に卑怯者に横からかっ攫われたという感想だけが頭のほとんどを占めていた。


 待てよ。おい。そこにいるべきなのはオレだ。

 そんな喧嘩したことすらないようなひょろっちいヤツではない。


 怒りは限界を超えた。

 これ以上茶番を見ていることなどできなかった。

 自分の実力を見せる機会すら無いなど、納得できなかった。


 そもそも勇者だからってそれがいかほどのものだ?

 鴉族など空を飛べる。ただそれだけではないか。

 ここで打ち倒して、どちらが勇者に相応しいかはっきりとさせてやる!


「道を、空けろぉ!」


 鉛丹は叫び、刀を抜いた。

 突然のことにさすがの武芸者たちも慌てて飛び退いた。

 物見の客たちが刃に悲鳴を上げる。

 何が起こっているかが見えて逃げだそうとする群衆と、まだ何が起きたかわかっていない群衆が押し合いのようになって場は混乱した。

 武芸者たちは武器を持っていたが、抜かなかった。


 腰抜けどもめ!


 だがそれが有り難い。

 彼らが飛び退いたことで広場までの道ができた。


 鉛丹は広場に向けて抜き身の刃を手に駆けだした。

 狙いは勇者だ。

 どちらが格上かここではっきりさせてやる。


「おやめください、お坊ちゃま!」


 水柿の声が聞こえたような気がした。

 だが、もう鉛丹は止まらない。止まれない。


 その時、少年が鉛丹を一瞥した。

 勇者を見上げ、そして一歩引いた。

 戦いから身を引いた。


 カッと鉛丹の頭に血が上った。


 何をやっている。

 勇者の同行者になるのであれば、身を挺して勇者を守るべきだ。

 それこそが同行者の役割だ。


 だが――、


「そうだ。少年。今はまだそれが正しい」


 そう言って勇者は大きく翼を広げた。

 鉛丹に向けて翼を一扇ぎした。

 それだけで突風が吹いて、鉛丹の足は止まった。


 前に進めなくなった。

 それどころか後ろに吹っ飛ばされそうになる。


 刀を強く握っていたために、腕で姿勢を守れなかった。

 鉛丹は無様にもその場に尻餅をついた。


 その鉛丹に、駆けつけた侍たちが飛びついた。

 広場に張られた縄を越えることもできず鉛丹は取り押さえられた。取り押さえられながら、鉛丹は獣のように叫んだ。言葉では無い怒りが声となって吐き出された。

 侍たちの捕縛術は見事なもので鉛丹はもはや身動きひとつできない。どんなに力を込めようとぴくりとも動かなかった。


 彼は選ばれなかったのだ。

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