第三章 鴉は舞い降りた

第三章 鴉は舞い降りた 1

 露草からの報告を受けた鉛丹は黄都にある生家の別邸から本邸に移動した。

 立場を考えれば露草を呼び出して報告を受けるべきだが、別邸を露草に貸している関係上、呼び出すのであれば本邸しかない。

 それは避けたかったので鉛丹が別邸まで赴いたのだ。


 別邸を構えていることからもわかる通り、鉛丹の家は裕福である。

 裕福であったというべきかもしれない。しばらく前に鉛丹が買い戻すまでは本邸も別邸も他人の手に渡っていた。


 買い戻したのは家族のため、ではない。

 鉛丹の身内はすべて死んだ。

 鉛丹の家で残っているのは彼自身のみだ。


 では感傷のため?

 それも違う。

 己の源流を忘れないためだ。

 今の鉛丹を産み出した始まりを幾度でも自分に焼き付けるためだ。


 別邸もそれなりの豪邸であったが、本邸は輪をかけて大きい。

 維持のために人を雇っているほどだ。

 別邸のほうは組織の誰かが黄都で活動するときの拠点として提供しているため、とくに人を雇う必要はない。

 だが本邸は鉛丹の個人的な持ち物だ。

 当然ながら私費を投じなければならない。

 組織の人間を使ってもお咎めはないかもしれないが、わざわざ試すほど鉛丹は愚かでない。


「おかえりなさいませ」


 玄関に入ると、すぐに猿族の家政婦がやってきた。

 名を長春という。

 紅梅が組織に引き込んだ女だが、使い物にならずに処分されるところを鉛丹が引き取ったという経緯がある。


 彼女は、人間はおろか動物すら殺せなかった。

 だが優しい女というわけではない。ただ手を汚すことを嫌ったに過ぎない。

 そしてそれは文字通り、手が血で汚れるのを嫌っただけなのだ。


 自らの命より手の汚れを嫌った女。

 組織としては使えないが、鉛丹はおもしろいと思った。

 この女がどうなっていくのかを見てみたい。

 だから傍に置くことにした。


「何か変わりは?」


「何もございません」


 それはそうだ。少し別邸に行って露草の報告を聞いただけだ。


「お食事はどうされますか?」


「用意してくれ」


「では十五分後に部屋にお持ちします」



「わかった」


 事務的なやりとりだけで女は下がろうとしたが、その背中に鉛丹は声をかけた。


「お前の旦那と娘は黄都を去ったぞ」


「まだ生きていたのですね」


 長春は鉛丹が火付盗賊改方に弱みを植え付け、いつか意のままに動かすために、紅梅を使いその娘に死なない程度に毒を盛っていたと知らない。


 その計画のために邪魔だったから、紅梅にあることないことを吹き込ませ、悪い遊びを教えさせて、長春をあの家族から引き離したことを知らない。


 知ればどういう反応を見せるかは気になったが、いま自分に敵意を向けられるのも面倒なので、黙っている。

 いつか面倒でない時があれば言ってやろうとは思っている。


 自室に籠もった鉛丹は今後の計画を練る。

 宝玉が失われたと思しきことは組織に報告しない。

 黒檀を害するのに組織の力を使いたいからだ。

 だが碧浜の組織では手勢が足りない。


 煌土国東方に強い勢力圏を持つ組織だが、黄都で幅を利かせているわけではない。

 黄都には幾つかの裏組織があって、勢力争いをしており、香染が集めた手勢もその内の一つに属していた。その動きから連中も宝玉を狙っていることがわかる。


 そして連中は黒檀に辿り着いた。

 第一陣は香染の、つまり鉛丹の手引きもあって黒檀を拘束したところまでは良かったが、黒檀の仕掛けた罠にはまり壊滅した。

 この組織はもう使い物にならないだろう。

 運良く生き延びた者を捕らえて、尋問してみたが、手勢のほとんどを失ったようだ。


 碧浜の、そして黄都の、すべての勢力を終結させたところで意味は薄い。

 うまく連動すれば話は別だが、実際には足を引っ張り合って自滅していくだろう。

 連携を欠いた攻撃ならば黒檀は容易くいなしてしまいそうだ。


 露草にはああ言ったが、鉛丹は黒檀を殺すのは自分だと決めている。

 なればこそ、そこへ至る手順をきっちりと構築しておく必要がある。


 月白は黒檀の弱点ではあるが、同時に武器でもあるようだ。

 どうやら彼女は見た目通りの娘というわけではないらしい。

 少なくとも戦いの訓練を受けていると考えたほうがよい。

 警戒心も強く、基本的に黒檀と行動を共にしている。

 月白を人質に取るのは難しい。


 だがこれまでの黒檀の行動を、とくに香染を救った行動から見えてくるのは黒檀の信念のようなものだ。

 それは敵であっても赦せる寛大さであり、わずかな関わりしかない男の見知らぬ娘であっても救おうとする高潔な精神だ。


 鉛丹は知っている。

 すべてを救う救世主気取りではなくとも、手の届く範囲でならどこまでも救おうとしてしまう人間がいることを。

 黒檀はそれだ。

 おそらく彼は無垢な民であるならば顔見知りでなくとも救おうとするだろう。


 つまり黄都の住民はすべて人質として機能する。

 問題はどこで帳尻を合わせているかだ。


 あの年齢まで生き延びていることを考えると、当然の如く、線引きはきちんとしているに違いない。

 順番はともかく自分自身と娘を第一と第二に置いて、その他は第三以降としているはずだ。

 その上で救えるものは救おうとするだろう。


 必要なのは混乱だ。

 黒檀を精神的にも肉体的にも消耗させるだけ消耗させ、そこを狙う。


 実際のところ、鉛丹は自分と黒檀の実力差を自分がやや劣ると見ていた。

 正々堂々正面からやり合えば、八割方負けるだろう。


 だが黒檀を疲弊させ、不意を突けば必ず殺せる。

 鉛丹は黒檀を正面から乗り越えたいわけではない。

 ただ自分の手で殺せればそれでよい。


 第一の組織の失敗は他の組織にも伝わっているだろう。

 黒檀のことを警戒してそう簡単には手を出せまい。

 ならば鉛丹の持つ情報を少し流してやるべきだろう。

 つまり黄都を混乱に陥れ、火付盗賊改方や軍ではもはや収拾できないとなった時、黒檀は必ず舞台に上がることを。


 普通であれば乗らない。

 だが一億円を前にすれば、組織といえど黙ってはいられない。

 それが他の組織に先を越されるかもしれないともなればなおのことだ。

 黄都の裏社会の勢力図を一変させるに違いないからだ。

 どの組織も必ず乗ってくる。空手形とも知らずに。


 これは碧浜の組織が黄都に食い込む好機ともなる。

 結果を出せば、宝玉を手に入れた場合には劣るものの、鉛丹は評価される。

 また幹部入りを打診されるだろう。

 だが鉛丹は断わるつもりだ。組織の評価が欲しくてこの仕事をやっているわけではない。


 すべては復讐だ。

 鉛丹を正当に評価しなかった煌土国への。勇者への。時代への。民衆への復讐だ。


 ことの始まりは四十余年前、魔王動乱期まで遡る。




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