第二章 神は救わない 7

 どうやら宝玉は手に入らないが、国宝の短刀は手に入りそうだ。

 計画通りとは行かないが、最悪よりは上で推移している。

 もちろん問題は山積みだ。

 短刀はまだ手元には無い。手に入ったところで悪党どもが裏切る可能性も残っている。金が手元に来るまでは誰も、何も信用してはならない。


 黒檀の案内通りに進むと標石はたしかにあった。

 そこで他の悪党どもと合流する。

 どいつもこいつも鍬や円匙を手にやる気は満々だ。

 いつの間にか掘り当てた者が金を多く分配されるという話になっていた。


 連中は金に換わる物品を目の前に香染の統制を離れつつある。

 香染に宝玉なり、宝を高く売れる伝手があるという事実だけが、こいつらを繋ぎ止めている。


 伝手自体は嘘ではない。

 宝玉がヴァルメルクスに一億円で売れるからと言って、狐族の領域まで移動している余裕は無い。

 目減りしてでも黄都で売れる先が必要だった。

 そこで火付盗賊改方として得た情報から、黄都の裏組織に接触を持ったのだ。

 連中が宝玉に対して付けた金額は一千万。わずか十分の一である。

 だが移送するにも危険が伴うと考えれば、そこで手を打つしかなかった。

 香染が集めた破落戸どもは五十名にも満たない。

 必要以上の金は手に入るはずだった。

 問題は裏組織の連中が宝玉ではない国宝の短刀に興味を示すかどうかだ。


 だがそこに関して香染は悲観してはいなかった。

 宝玉は価値が高すぎて無理だったが、国宝の短刀なら裏組織に対して、場合によっては火付盗賊改方として国に献上してもいい、という欺瞞が使える。


 どのような交渉でもそうだが、主導権を握った側が有利だ。

 強い手札を切った瞬間、あるいは強い手札を持っているかもと相手が思っている間に勝負を決める必要がある。


 宝玉という手札は失ったが、代わりに転がり込んできた国宝の短刀という札はそれなりに強い。

 むしろ渡すしかなかった宝玉より、短刀のほうが扱いやすいまである。

 裏組織に流さなくとも売却先があるからだ。


 たとえば美術品に目の無い大名などは、非常に良い取引先になるだろう。

 場合によっては今回の品を知っていて、熱望される可能性もある。

 入手経路さえ明らかにならなければ、大統領を相手に交渉だってできるかもしれない物品なのだ。


 山登りは思っていたほど苦ではなかった。

 真っすぐ進む以上、どうしても山道ではない場所を通るのだが、山が低いこともあり、崖や大きな川のような、進行不可になるような障害物とは遭遇しなかった。

 道無き道ではあるが、進めないというほどでもない。

 まあ、進めないような場所があれば、そこより手前に短刀を埋めたであろう。黒檀の言葉が事実なのであれば、老人の足でも真っすぐ進めるような場所だけのはずだ。


「金が入ったらどうするよ?」


「そりゃ飲む打つ買うだろ」


「ちげぇねぇ」


 馬鹿な奴らだ。

 無法者の羽振りが突然良くなれば、火付盗賊改方はその周辺を念入りに調べる。金の出所を探るためだ。

 火付盗賊改方として明確な基準があるわけではないが、香染が思うに、短期ならば稼ぎの十倍、長期だと二倍を超えると怪しい。

 おそらく金が手に入ったとしてもこいつらは近いうちにしょっ引かれるだろう。そして香染の名も出すに違いない。


 香染としては金さえ手に入れば、職も名も捨て、霞を連れて治療ができるという学術都市である進明まで行くつもりだ。

 今のところ他国に逃げた犯罪者を公的組織が追う手段はないから、国外にまで脱出できれば問題は無い。

 猿族の都市で煌土国から比較的近い、中立都市であることも都合が良い。


 中天に至った陽が傾きだした頃、黒檀が足を止めた。

 しばらく周囲を見回した後、


「この辺りだ」


 そう言って、後ろ手に縛られているため、手で指し示すことができず、黒檀は足で地面を何度か踏みつけた。


「どけ! 掘り当てるのは俺だ」


「押すな、馬鹿野郎。頭カチ割られたいのか!」


「うるせぇ、とんま」


 悪党たちは押し合いへし合いしながら、鋤や円匙を地面に突き立てた。

 腐葉土の地面はざくざくと掘られていく。


 香染は黒檀の背後にいるように注意を払った。

 国宝の短刀が見つかり、他に何も無いというのであれば黒檀は用済みだ。ここで殺して、いま悪党どもが掘っている穴に埋めてしまえばよい。

 浅葱も分かっている位置取りだ。


 他の者たちは誰もが穴掘りに夢中になっている。道具が用意できなかった者ですら、手で掘っている始末だ。黒檀が場所を間違えている可能性に賭けて、周辺を掘っている者までいる。


 程なくして黒檀が示した位置を掘っていた一団が歓声を上げた。


 阿呆どもが箱を奪い合っている。

 だから破落戸から抜け出せないのだ。その品は丁重に扱うべきで、どちらにせよ香染の手を介して売るしかないのだから。


 だがそのようなことはお構いなしに連中は箱を閉ざしている縄を刃物で切った。

 その場で開けるつもりだ。


 その時、黒檀が妙な行動に出た。


 体を反らし、後ろ手に縛られた腕を可能な限り持ち上げた。


 箱の蓋に手がかかった。


 まったく繋がらないはずの二つの出来事が目の前で進行している。


 嫌な予感がした。


 第六感。虫の知らせ。なんでもいい。

 この感覚に従うことで香染はこれまで生き延びてきた。


 香染は刀と銃を抜く一方で、身を伏せた。

 体を低くして、来るかもどうかもわからない何かに備えた。


 ほんの一拍の差であった。

 腹に轟く爆発の衝撃と共に視界は白く閉ざされた。

 悲鳴、嗚咽、慟哭、そして視界が閉ざされる寸前に香染はわずかな気配に気付いて目線を上げていた。

 木の上、枝葉に隠れて潜む白い影が舞い降りてきて、鋼の煌めきが黒檀の腕を割いた。彼の腕を縛っていた手縄が切り落とされたのだ。


 その認識を得た香染はことの次第を理解する前に行動しないことを選択した。

 そのまま地に伏せて動かなかったのだ。


「黒檀ッ!」


 気色ばんだ声音のこれは浅葱の声だろうか。

 剣戟の音に銃声。

 なにか碌でもないことが起きているのは間違いなかった。


 そしてようやく香染の思考は動き出した。

 木の上から舞い降りてきたのは黒檀の養女、月白だ。

 彼女が打刀を手に、黒檀の手縄を切り落とした。


 それが意味するのは、やはり香染たちは誘い込まれたのだ。

 国宝の短刀の話は作り話だった。

 すべては煙幕と、音からして恐らくは爆発物の罠が仕込まれた箱を香染たちに開けさせ、黒檀の身を自由にするためであった。

 つまり今朝、香染が黒檀を引っ立てた時、黒檀が月白に言った“後始末”とはこのことであったのだ。黒檀達は捕われる可能性をあらかじめ考慮していて、このような罠を仕掛けていた。


 煙幕が立ちこめていた時間はそれほど長くなかった。時間にして数十秒というところだろう。

 白煙が薄れ、視界が開けてくると、そこは地獄であった。


 爆発物でバラバラになった死体に、刀で切られた者、銃で撃たれた者、そして恐るべきことに仕掛け罠に掛かった者たち。

 つまり罠は刀箱の爆発物だけではなかったのだ。

 この場所自体が仕掛け罠で囲まれている。


 立っているのは黒檀と月白の二人だけであった。

 恐らくは香染と同じように地に伏せ息を潜めている者も一定数いる。

 また傷を負ったもののまだ息がある者も多くいる。

 動ける者が全員で一斉にかかれば黒檀たちに勝つことはできるだろう。


 だがそれにどのような意味がある?

 勝って、殺して、何になる?


 もはや金を得る未来は無い。

 霞は死ぬ。病魔に冒されて逝くのだ。ならば!


 香染は左手に持った拳銃を跳ね上げて撃った。

 咄嗟に黒檀が月白を庇うように動く。

 当たるとは思っていない。

 そもそも銃など単体で撃って早々当たるものではない。だが当たるかもしれない・・・・・・・・・から身は守らなければならない。

 香染が欲したのはその一瞬だ。


 飛び起きて刀を構える。

 身を伏せる時に抜いていてよかった。

 一動作少なくて済む。


 香染は何千回、何万回と繰り返した訓練通りに刀を振った。

 どんなに激情に身を焼かれていても、この一瞬は無心。

 感情を持つこと自体が剣筋を鈍くする。

 刀をを振るのではない。刀が敵を切りやすいようにこの身を動かすのみ。


 会心の一振りだったが、黒檀は刀を合わせてきた。

 お互いに刃を弾き合い、そのまま鍔迫り合いになる。


「良い一撃だ。巻き藁ならよく切れたであろう」


 言い返そうとしたが、またも直感が働いた。

 月白が、黒檀に庇われていたはずの月白がいない。


 その瞬間、香染は鍔迫り合いを諦めて後ろに倒れ込んだ。

 眼前を刃が通り過ぎていく。

 月白が香染の背後から横薙ぎに振った刀が通り過ぎていったのだ。


「外れました」


「善い善い。この男が良い勘をしておっただけだ」


 躱した。

 決死の一撃を躱したが、その後に続かない。

 香染は仰向けに倒れ、足下に黒檀が、頭の傍に月白が立っている。


「何故!」


 死ぬと確信した香染の心胆から声が出た。

 何かを考えて叫んだわけでもなかった。


「何故、貴様の娘はこれほどまでに動けるのだ!」


「ふむ……、そう言えばお前さん、初めて会った時、月白の顔色を気にしておったな。とは言え、月白は顔色こそ良くないが、極めて健康だしのう」


「顔色も悪くない」


「何を言うておる。白すぎるわ。ちゃんとお天道様に挨拶はしておるか?」


「してるもん」


 なんだ、これは。何を見せられているのだ。


「不公平だ! 私の娘は死病で苦しんでいるのに! どうして!」


「成る程。それが動機か。他の連中は? 何か事情のある者はいるか?」


 動ける者も残っているはずだが、誰も声を上げなかった。

 いま声を上げることが自らの利になるかどうか判断できなかったからだろう。


「まあ、どちらでもよい。さて、香染だったな。お前さんは不公平だと言った。その通りだ。この世の中、どっちを向いても不公平だよ。自分が優位な間は気付かないだけだ。私も娘を持つ身だ。お前さんの苦しみをわかるとは言わんが、同情はするよ。だがやり方はどうかな? 父が他の娘の父を殺し、その娘を売った金で救われて、お前さんの娘はそれを喜ぶような娘なのかね?」


「断じて違う! だが霞の命を救うためならば私はどんな悪鬼に成り果てようと構わない! 娘に生涯恨まれようとも、縁を切られようとあの子が生きていてくれるならばそれで良いのだ!」


「娘がそれを望まないとしても?」


「貴様も親ならわかるであろう! どんなに苦しくても生きていて欲しいと思ってしまうのが親だろうが!」


「……月白」


「なに? 黒檀」


「この男はお前を変態糞野郎に売り払うと言っていた。どうやらこいつの娘を救うためだったらしいんだが、許せるか?」


「許すも何も、そうはならないでしょ? 黒檀が守ってくれるもの」


「まあ、たしかにそうだの」


「なにを……」


「この子は物事を遠回りに伝える癖があってな。こう言ってるのさ。起きないことに許すも何も無い、と」


「私を殺さないのか?」


「もう危害を加える気もあるまい? それともまだやるつもりか?」


 生き延びられる? だがそれは――、


「抵抗すれば殺してくれるか?」




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