第二章 神は救わない 6

 黒檀の瞳がじっと香染の瞳を見つめている。

 そこには何の感情も込められていないように香染には思えた。

 しばしの沈黙があり、その後に黒檀はわずかに語気を強めた。


「お前さん、その言葉を口にする意味をちゃんと考えたか?」


「もちろんです」


 実際に香染は黒檀への脅しの言葉として言ったわけではない。

 考えたくもないが、黒檀から何も得られなかったとすれば、月白を金に換えるしかない。

 人身売買は御法度だが、忌み子を嬲るのが趣味の資産家がいることを香染は知っている。向こうは法の目を掻い潜る方法を熟知しているはずだ。問題は幾らで売れるかだけだ。


「しかしそれも貴方が宝玉を差し出してくだされば必要ない」


 一縷の望みに賭けて香染は言ったが、黒檀は首を横に振った。


「宝玉は、無い。失われた物を差し出すことは誰にもできん。その価値に見合う金も無い」


 黒檀の言葉に嘘は無い、と香染は判断した。

 つまり香染の計画は初めから破綻していたのだ。

 金は無かった。この計画のために借金までした。もう霞を助ける手段は無い。


 絶望が押し寄せてくる。

 悲しみで胸が張り裂けそうだ。

 怒りで手が震えそうになる。


 だがまだ平静を装わなければならない。

 せめてこの男からはすべてを搾り取らなければ気が済まない。

 香染がこれから失う物を、この男にも失わせたい。


 それが完全な八つ当たりであると香染自身も理解していたが、その気持ちを完全に抑えることはできそうにない。


「そうですか」


 取り繕ったが、声はわずかに震えた。

 気取られただろうか?

 悪党どもにも香染は金が欲しいとしか言っていない。

 連中に弱みがあることを知られるわけにはいかなかったからだ。

 誤魔化すように舌が回った。


「では貴方を殺し、好事家にでも月白さんを売るとしましょう。とても優しくしてくださるでしょうね。何人も忌み子を引き取っていらっしゃる方です。ええ、何人も、何人もです。どうしてすぐに新しい子を欲しがるんでしょうね?」


 煽るような香染の言葉にも黒檀は表情を変えなかった。

 心が強いのだ。

 だがどんなに心が強くとも、状況がすでに詰んでいる。

 香染が終わりであるように、黒檀ももう終わりだ。


「だが――」


 そのような暗闇に黒檀が楔を打ち込んだ。


「金に換わる物ならある。少なくとも月白を売るよりは金になる」


 あの部屋にあったのは一般的な家庭用品と、打刀が一振り。後は旅の道具だ。

 他には何も無かった。刀も無銘の数打ちに見えた。


「……物次第ですね。足りないと判断すれば月白さんを売ります」


「短刀だ。黒将軍から預かった国宝の短刀がある。遅くなったが、黒将軍……、いや今は相当する身分の方を大統領と呼ぶのだったな。とにかく大統領にお返しするつもりで黄都に来たんだ。だがどうせ私は死ぬのだろう。返せなくなるのであれば、同じことだ」


 黒将軍は黒檀に名を二つ与えたが、魔王討伐に送り出す者への餞別にしては少ない。

 金の援助もあっただろうが、武器を贈るのは印象が良い。

 国宝が魔王討伐の一助になったというのは国威高揚にも、また他国家との取引にも使える。

 黒檀の言葉には一定の信憑性がある。


「他には?」


 だが足りるとは限らない。

 宝玉は確実に一億円になるが、どのような国宝であっても一億円になるとは思えない。

 自分一人の計画なら千円になれば良かったが、すでにそういう状況にはない。


「それだけだ。他に価値ある物の持ち合わせは一つもない」


「ではまずはそれをいただきましょう」


 もちろんそれだけで済ますつもりはない。

 だがまだそれを明かす段階ではない。

 ひとつひとつ剥ぎ取るのだ。この男の価値をすべて。


「国宝の短刀とやらはいずこに?」


「隠した。見つからぬよう、街の外に。場所の説明は難しい。案内ならできる」


 香染の胃がきゅっと縮んだ。

 黒檀が仕掛けてきたと思ったからだ。

 月白に危害を加えると脅迫したことで香染は場の主導権を握ったが、黒檀の話に頷けば主導権はあちらに移る。


「……まず説明を」


「黄都の南西、四時間程歩いた先にある山林の中腹だ。刀箱に入れて腐葉土の下、一メートル程掘った穴に埋めた」


「何か目印は用意してあるんでしょう?」


「山の麓に標石がある。そこから山頂に向けて真っすぐに三八四〇歩だ。場所の風景は記憶にしかない。それだけだ」


 かなり面倒なやり方だ。

 歩幅など人によって違うものだし、歩く場所の環境等に大きく左右される。

 一発で掘り出せるとは思わないほうが良さそうだ。


「絵は描けないのですか?」


「絵心を試してみるか? 時間の無駄だ。私が月白に危害を加えられたくないと考えているのはもうお見通しなんだろう? 案内させるのが確実だぞ」


 香染は当然ながら罠の可能性を考える。


 国宝の短刀自体が嘘の可能性。

 埋めた場所が嘘の可能性。

 協力者がそこで待ち受けている可能性。


 しかし黒檀の置かれている状況から逆算すると、いずれの可能性もなさそうだ。

 そもそも罠を用意できる時間など無かったはずだ。


 案内させることで確実に短刀を手に入れられる。

 なんなら黒檀をそこで殺して埋められる。一石二鳥だ。


 問題なのは手勢を全員連れて行けないことだ。

 全員で街を歩くのは目立ちすぎる。

 黒檀は無手で刀を持った二人を制圧できる。

 それも寝ている状況から。

 少ない手勢では逆転されかねない。


 縛った状態で連れて行くのも難しい。

 やはり目立つからだ。

 手縄程度ならとも考えたが、その場合、本物の詰め所に向かわなければやはりおかしい。


 先に負傷させるか?

 いや、肉体的不調によって歩幅が変わる可能性もある。

 短刀が見つからなくて困るのは香染だ。


「何組かに分かれて標石のところまで移動をします。そこで合流して山を登り、短刀を掘り出します。黒檀の連行にはとくに腕に覚えのある者を、そうですね、十名では目立ちすぎる。私と黒檀を含めて六名が限度でしょう。四名を選出してください。道中はある程度離れて、しかし黒檀を囲うように移動を。道具の調達に時間は必要ですか?」


「三十分もいらねえ」


「鍬や円匙を、いかにも農作業に向かう装いでお願いします」


「よぉし、お前ら、腕に覚えのある奴は残れ。それ以外は道具集めてこい!」


 腕に覚えのある奴ばかりで一揉めしたが、浅葱あさぎという男の一喝で収まった。

 この男は誰もが認める実力者だったようで、彼の見立てで後三人が選ばれた。

 刀で強い奴。無手で強い奴。そして拳銃で強い奴が浅葱によって選ばれた。


「これならジジイが抵抗してもどうとでもできる。逃げようとしても後ろからズドンだ」


「念のために聞いておきますが、浅葱さんはどの獲物が一番なんですか?」


「俺か? 俺は全部よ。刀も槍も、銃も無手もいける。どれを使っても、こいつら三人がまともて掛かってきても勝てるぜ」


 自信家というのはいつの時代も、どのような場所にでもいる。

 そして大抵の場合、早々に死んでいく。

 だが戦後というこの時代でその自信を維持したまま生き延びているというのは、彼の強さの裏付けになる。

 見たところ三十過ぎだろう。戦場を経験したはずだ。


「それで浅葱さんの見立てで黒檀はどの程度強いと思いますか?」


 黒檀に聞こえるのも構わずに香染は訊ねる。

 自分はきちんと警戒している。油断はしていないと示すためだ。


「座ってるとこだけ見てか? まあ、それでもわかることはあるが。うーん、そうだなあ。お前よか強いのは確かだが……」


 香染も腕に覚えはある。

 戦争を生き延び、火付盗賊改方として悪党どもと斬り合いを続けた現役だ。

 訓練を怠けたことはないし、体も鍛えている。

 それでもこの衰えた老人のほうが強いと見るのか。


 香染は浅葱の実力はともかく、その見る目は信頼に値すると判断した。

 黒檀は無手で刀を持った悪党二人を制圧してみせた。

 自分がこの老人より劣ると判断されたことは不服であったが、香染自身も自分に同じことができるとは思っていない。


「後学までに、何を根拠にそう判断をされたのですか?」


「そうさなあ。雰囲気と言えば雰囲気だが、要は姿勢だな。たとえば今の話を聞いてないお前がいきなりジジイに斬りかかったとする。次の瞬間、お前は床に組み伏せられ、身動きが取れない。そうなるよなあ?」


「さて、どうかな?」


 黒檀ははっきりと否定しなかった。

 少なくとも浅葱と黒檀の二人はそれができると思っている。

 これは香染の自尊心の問題では無く、月白に危害を加えると宣言し、黒檀を完全に敵に回したことの危険性を物語っている。


「呵呵呵、そんなに心配そうな顔すんな。俺がいりゃあ平気だからよ」


「根拠はあるんですか?」


「駄目だったときは俺ァ死んでるだろうから、責任は取れんなあ」


 つまり黒檀はそれほどの腕だというのか。

 かつては優しい少年だったという話であったが、勇者との旅で鍛えられたのだろうか。

 あり得る話だ。

 魔王討伐とはつまり、少数精鋭による敵地潜入暗殺任務である。

 当然ながら猿族も鴉族も蜥蜴族とは姿形が異なる。

 潜入と言ったが、そのような生易しい物ではなかっただろう。

 それはまさしく血路であったはずだ。

 途中脱落したとは言え、生きて戻ってきたのだ。相応の強さを身に着けたということに他ならない。


 つまり油断はしていないつもりでいたが、まだ過小評価していたのだ。


「気を引き締めていきましょう」


 失敗は決して許されないのだから。

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